第二章 迷いの森編 #21 ムウの預言書
雄一は夢を見ていた。異世界へ召喚転移される前の夢。殆どの時間をベッドで過ごし、友達と呼べるものは本くらいなもの。
時々、両親と一緒に、車椅子に乗って出掛けられることが、何よりも楽しみ。
夢の中で両親が優しく微笑む。
「十歳のお誕生日おめでとう。雄一も、これで立派な、半人前の男の子だな。父さん嬉しいよ」
「雄一、お誕生日おめでとう。母さんも、嬉しくて、涙が出るよ。」
「これからも、あなたの成長を、楽しみにしているわ」
転移しなければ行われていたであろう雄一の「二分の一成人式」の夢を見る。
難病を抱える雄一たち、家族にとっては、特別、感慨深い式となる筈だった。
「ありがとう、お父ちゃん。お母ちゃん。」
雄一は、にっこりと微笑み、甘えたい気持ちを抑えきれず、両手を突き出した。
しかし、両親に姿がぼやけ始め、二つの影は遠ざかる。
その代わり、雄一を呼ぶ別の声。
『雄一君』
『雄一様』
『雄一……』
その声に導かれるように夢が醒めた。
雄一は、一瞬、異世界転移が夢であったと思う。しかし、左右から自分の顔を覗き込む二つの顔はララとムーンだった。
二人は、心配そうな顔と、雄一の意識が戻ったことへの安堵感が混ざり複雑な表情を浮かべている。涙目で眉を八の字にし、口元は笑っていた。
「ああ、良かった。目が覚めた」
雄一のお腹の上にポンと飛び乗るシゲル。
「邪魔だ、スライム」
楽し気に飛び跳ねるシゲルを、ムーンが水平チョップで払い除ける。
べちゃっ。
哀れ、シゲルは、壁に叩きつけられてしまった。
まだ、ぼんやりとする中、雄一はゆっくりと体を起こし座ろうとする。
ララとムーンが、雄一の背中を支え、折り畳んだ毛布を背もたれにあてがう。雄一は真新しい柔らかな寝巻きを着ていた。
「えっと、あのね、ぼく、おなか空いた」
「うふふ。病み上がりだから、お粥さんからですよ?」
「病み上がり?」
「それについては、私が話すわ」
部屋の隅で様子を見ていたティアが雄一の前に立った。
「改めて挨拶するわ。」
「私はティア・ディケスイニ。」
「メガロス王国魔導神官大司教枢機卿。神官たちの、序列最高位だから役職名が長いけど。別に覚えてくれなくてもいいわ。」
「さて、雄一。私があなたに「魔法ウイルス」を掛けたことは覚えている?」
「んー。それが、あんまりよく覚えていないだよ。ティア様の、泣き顔は覚えているんだけど」
「そこは、忘れていい!」
「鼻水出てた」
「るっさい! だまれ!」
ぷつぷつと、青筋を立てるティアは、歯を食いしばりながら「ムウの予言の書」を雄一に見せた。
「これは、ムウの予言の書」
「予言の書と言っても、内容の多くは「蟲毒の儀」に関する指示だけど」
「私たちの国は、この予言の書に従い、儀式を執り行ったのよ」
「その最終ページに書いてあった、最後の指示が、儀式の覇者に「魔法ウイルス」を処方すること。だったの」
ティアは、予言の書の捲ると、一文を指で差し、なぞった。
当然、雄一には、読めない。
「ムウさんは、なんで、ぼくをに病気にさせたんだろ」
「うーん。そこは私も分からなかったわ。」
「でもね、魔法ウイルスってワクチンだから、普通は、誰もこの魔法で病状が現れたりしないのよ。」
「それなのに、雄一は血を吐いて、昏睡し三日三晩高熱が続くほどの、重篤症状が現れたもんだから驚いたわ。」
「ぼく、昨日まで大きな病気をしていたからかなぁ。あははー。」
雄一が、ティアの説明にへらへらしていると、ララがお粥を持って戻ってきた。
ララは、席に着くと早速、粥をスプーンに一匙掬い、ふーふーと粗熱を取る。ムーンの目がギラリと光る。
「ララちゃん。それは、私の役目です」
ムーンが、ララから粥とスプーンを奪おうと、ベット越しに身を乗り出す。
それをさっと躱し、雄一の口へ、スプーンを運ぶララ。
「ララとムーンにも「魔法ウイルス」を処方したけど、何ともなかった」
「ひょっとすると雄一君はあの時、瀕死状態だったから合併症状が出たのかもしれないわね。」
「あはは~、そうかもね。ぱくり、もぐもぐ」
「うふふ、おいしい? お礼が遅れちゃってたね。ありがとう雄一君」
「ララちゃん? 雄一様は、私のご主人様です。お世話は、私がします。さっさとそれを、よこしなさい」
「あはは~、二人とも元気で良かったね」
三人の様子を、鬱陶しそうに一瞥するティアが、溜息を着く。
「ねぇねぇ。ティア様? 予言の書の最終ページって言ってたけど、まだ続きのページが残ってるよ」
「ああ、次のページは読めないんだ。解読不能の記号で書かれているから」
雄一の言葉に、ティアは、予言の書の最期のページを開いた。
それを雄一が見つめる。
「えーと、ぼく、読めるんですけど~」
「えっ!?」
雄一の言葉に、ティアの目が見開く。
「うん。これ、ぼくの国の言葉で書いてある。日本語って言うんだよ?」
「えーっ!!」
日本語。主に「ひらがな」「カタカナ」「漢字」で構成され、「ローマ字」まで平気で混ぜられる悪魔の言語。
ムウは、雄一にのみ読める文章を、用意していたのだった。
二千年を超えて、神と崇められる預言者ムウが、雄一だけに宛てた手紙。
ティアは、震える胸を、体を、手足を、何とか抑える。
「あの……雄一? いや、雄一……殿? あああ、もし、もしもし? もし、差し支えなければ? こここ、声に出して、よよよ、読んででで、もももらえる?」
体の震えは抑えられたが、ティアの声は、異常に震えた。
『落ち着け私! 相手は小さな子ども。うまく、掌で転がすのよ!』
ムウは、世界に最も影響を与えた、二千年前の人物。
死後、時と共に神格化され、現在は、世界で最も偉大な「神」となった。
この世界も「ムウ」。神様も「ムウ」と言う絶対的な存在だ。
予言の書が発見されて二百年以上もの間、未解読だった「神の言葉」を目の前の少年が、読めると言うのだから大変だ。
まさに歴史的快挙。ティアは、祈る気持ちで、雄一へ予言の書を手渡す。
「いいよ。じゃあ読むね。」
「待った待った!! 早い!! 返事が早い!! 読もうとするのも、早い!!」
汗を噴き出し、焦って、雄一の眼前に、両手を広げるティア。だいぶん興奮している。
「はぁ、はぁ、ふぅ。落ちつけ私。こちらの思うように、事が進んでいるのよ。焦らないのよ、私」
目を瞑り呟いた後、落ち着き払った様子で椅子を一脚出すティア。
ララに、手でしっしと場所を開けさせ。雄一の隣に座る。
「まず、読んで貰えることを有難く思うわ。」
「何せ、「予言の書」の解読はこの国の悲願。いいえ、世界の悲願。」
「思えば、我々が理解できたのは四種類の言語であると言う憶測のみ。数多くの言語学者が世界中から集められ……」
「ティアちゃん? それ、話が長くなりそうだから、それくらいでストップしようか」
「うぐっ、失礼。んっんっ、コホン。雄一、始めてくれ」
「うん。では、読みます。えへへ、「読み聞かせ」するみたいでちょっと恥ずかしいな」
ちょっと頬を紅潮させ右手で頭をぽりぽりかく雄一。
彼の口から、予言の書最終ページが解き明かされた。
「やっほー。みんな! おっつかーれさーん」
「まてまてまてまて!! マジで!!? 雄一!? マジで、そんなことが書いてあるの?」
ティアが椅子から立ち上がり、雄一の持つ予言の書と、雄一の顔を交互に覗き込む。
「そうだよ」
キョトンとしている雄一。
『うあっ。なんて、つぶらな瞳……いやいや、違う。違うが、少なくとも、嘘を言ってる目ではない』
「うふふ、私は、ムウが何者か知らないけど、確かに少し軽いね」
「あははー。明るい性格の人だったのかなぁ?」
転移者のララと雄一が、ほのぼのと笑い合う。
「じょっ……冗談じゃないわよ……」
まだ、一行目と言うのに、ティアにとってこれまでの「ムウ」と言う存在のイメージと余りにもかけ離れていた文頭。
頭を抱え、ぶつぶつと独り言を呟き続ける。
ティアが落ち着きを取り戻すのに十分程掛かった。
その間に、雄一は、お粥を三度、おかわりした。