#19 外界へ
師弟対決で雄一はタクフィーラと語り合った。言葉ではなく拳で。
タフフィーらの無数の拳による贈物を雄一はしっかりと受け止めていた。
理屈ではない。それは、魂とも呼べる意志。
雄一は、彼の意志を心で受け止め、深く刻んだ。
闘いは単に相手を傷つけるためのものではないこと。
生命の有限性、尊さ、儚さ。
拳を振るう意味とは何か。
様々な答えと疑問を引き継いだ。
そんな雄一は、確かに知っている。
力は、他人から与えられるモノではないと言うことを。
それが、戦いに勝ち残った者が得られる当然の報酬、権利であっても。
それを、言葉を使って論破できずとも。
「ごめんなさいティア様。どうしても、ララ姉ちゃんとは戦えない。」
「うまく言えないけど、師匠が扉を指差したのは、たぶん「ここから外に出られるとお前スゴイぞ!」みたいなことだと思う。」
「んなわけねえだろ!!」
ホログラムのティアが雄一の肩にツッコミを入れようとしたが、実態がないため空振りに終わった。
「バカには勝てないって、ほんとね。」
「さっきから、言ってるじゃない。外には絶対出られないんだって。扉には強力な魔法障壁が掛かってんだからっ。」
改めて説得を試みるティアを余所に雄一はロングソードを持って扉の方へと歩いていく。
「ちょっと、聞いてんの? 馬の耳に念仏? ほんっとうのバカ?」
瘴気を纏う扉に向かい、雄一は、力任せにロングソードを叩きつけた。
ガキィィィィン……ビュンビュンビュン!
「うああっ!」
高い金属音がフロアに走った直後、瘴気の欠片が棘のように飛散し、雄一の体を傷つける。
ロングソードは一振りで折れてしまった。凄まじいエネルギーが、扉を守る門番のように立ちはだかっていることに、今更ながら思い知らされる。
「ほら、ねっ。わかったでしょ。いくらあなたが強くても、一人ではどうしようもないわ。」
「タクフィーラ様を含めた六百人分の魔力と能力の塊なんだから。」
雄一は折れたロングソードを捨て、素手で瘴気障壁を殴り始めた。
ドゴ―ン……ビュンビュンビュン!
「うああっ!」
やはり瘴気の欠片が飛散し、雄一に襲い掛かる。
瘴気障壁そのものは、何事も起きていないかのように、七色に揺らめいている。
それでも雄一は、繰り返し扉を叩き続ける。
「雄一様。私も手伝います。」
「うん。でも、無理しないでね。」
ムーンが全身の体重を乗せて拳を繰り出す。
しかし、バチンと言う音と共に、ムーンの腕が弾かれる。
一瞬たじろぐムーンだが、雄一の姿を一瞥した後、ふんと鼻息を吐き、目に力を入れて再び壁を殴り始めた。
「ワオーン! こんな壁、私の武闘術で切り裂いて見せるわ!!」
ティアは困惑していた。このままでは、蟲毒の儀そのものが破綻する。下手すると召喚転移者は全滅だ。
国が数百年掛けて準備した儀式。ティア自身もこのためだけに生きてきた。儀式の失敗だけは何としても避けたい。
「ねえ、ララ。後ろからなら、あの子の、雄一の首が取れるんじゃない?」
「どうせ、あの瘴気障壁は誰にも破れない。彼は、消耗しきり、苦しみの果てに命を落とすだろう。」「あなたが六百の力を手に入れ、この世界の救世主となってもらえないだろうか。」
ティアがララに説得の意味を込めて誘惑する。ティアの言葉にララが「ふっ」と笑う。
「ティアちゃんは、私の素性も知っているの?」
「……知っている。」
「うふふっ。なら分かるでしょ? 私の死んだ弟は、雄一君と同じくらいの歳だった。私に、彼は殺せない。」
「そうだね。知っているわ。分かっているわ。分かっているけど、それでも、私は、頼まずにはいられないの。」
ティアは眉間にしわを寄せ、歯を食いしばる。
「ティアちゃん。私たちが生き残れる方法は、ただ一つ。雄一君に従うこと。だよ。」
「……ララ。」
ララは、ティアに微笑みかけた。そして雄一の左隣に立ち、剣を抜いた。
「微力ながら、私も尽力させてもらうわ。」
そう言って魔力を纏わせた剣を瘴気障壁目掛けて振り抜いた。
ガキィィィン……。
こうして、シゲルを除く三人が、六百人分の、魔力を宿した瘴気障壁へと立ち向かう。
ティアは、俯きながら棒立ちしていたが、やがて姿を消した。
大聖堂の部屋に戻る魔導士ティア。焦燥しきった表情で、椅子に座り込んだ。
そんな主の傍に赤虎紅が心配そうに寄ってきた。
「一体どうなってしまうのでしょう。」
「分からない。ムウ様の黒印にも予言の書にも、儀式の失敗など記していない。」
「残された、最後の指示は、儀式の覇者、救世主への対応だけだ。」
「恐れながら、「予言の書」の末尾に記された、解読不能の文章はいかがでしょう。」
「私も含め、多くの神官が解読を試みた。だが、少なくとも四種類の未知の記号、或いは言語で記された文章だ。」
「まるで分からない。例え、そこに対処法が記されていようと、今更……。」
もはや、打つ手なし。ティアは頭を抱え、成り行きを見守る他なかった。
水晶には、血塗れになりながら障壁を穿ち続ける、三人の姿が映っていた。
どれ程時間が経っただろう。消耗しきったムーンが遂に倒れた。
攻撃と回復、その両面で支援してきたララも、限界を迎える。
二人が倒れ、ただ一人残った雄一も、随分覇気が無い。
「蟲毒の儀」の舞台となったインレットブノ大神殿。これに注がれた、膨大なお金と時間と労力の歴史を知っているティアにはこうなることが分かっていた。
約五百年前に神殿が作られ、約二百五十年前に行われた「最初の儀」。
その五十年後に、発見された「予言の書」に従い、今回の「蟲毒の儀」は準備されてきた。
この儀式に穴などない。六百人分の力が、余すことなく生き残った唯一人に注がれるよう仕組まれている。
逃げ道など用意されていない。誰も逃がさない。それに逆らうには、逃げるには「死」しか用意されていない。
ティアは、そのことを、誰よりもよく知っている。
「儀式は失敗だ。雄一も、ララも死ぬ。迷い込んだ、あの犬を巻き添えにして。」
「自業自得。これは、彼らが選んだ道だ……。」
自分の、これまで積み上げて来たものが、音を立てて崩れ去る。
「選んだ道? ん? なんだろう、この心の違和感は。」
「私も、道を、選べないだろうか……。」
ティアは、これまでに新しい感情の芽生えを感じた。それは、恐ろしくも魅力的な気持ち。
「よし、紅。儀式は、潔く諦めよう。」
「はへ? いや、しかし、ティア様!?」
「心配するな、紅。儀式は、諦めるが、彼らを救うことは、まだ諦めない。」
「大神殿の外側から扉を開け、皆で力を合わせて魔法障壁が破れないか試してみよう。」
「は? いえ、そのようなことを言っている場合ではないかと。」
「儀式の失敗で、主が全責任を取らされる可能性が高いです。」
「その対応について行動されるがよろしいかと愚考致しますが。」
「いいだろう。全責任を取ろうじゃないか。元より、その覚悟の上での枢機卿だ。」
「だが、彼らに罪は無い。助けられるかどうか分らんが、こうなった以上、できる限りのことをしてやりたい。」
随分スッキリとした表情をするティアを見て、紅が全てを察する。
『ティア様。命すら捨てるお覚悟を。』
紅は、ティアに片膝を着き、頭を下げる。
「御意! 全属性満遍なく、主要なメンバーを集めます。」
「よろしく頼む。人数は、転移施設の使用限界、十三名。」
「五分後に、大聖堂武闘練習場からメガロス・インレットブノ大神殿、扉前へ転移する。」
ティアの指示後、五分を待たずして広い武闘練習場に集められた精鋭が、大神殿へと転移した。
小高い山の頂付近。自然の山と言うより人工的に作られたような雰囲気がある。その山頂にもう一層小さな高台がある。その高台に神殿の巨大な扉はあった。
この扉の向こうに雄一たちがいる。
「皆の者よく聞け! これよりこの扉を開き、魔法障壁を我らの力で突破する。」
事情を、詳しく知らされていない皆が、一瞬ざわりと戸惑う。だが、ティアの次の言葉で、皆の目付きが変わる。
「この先に、消えかかっている希望の光がある!」
「それは、私の命に代えても、守るべき光だ!」
「うおおおおおおおっ!!」
「皆の者。私に付いて来い!」
歓声が小高い山に木霊する。すると、同時に別の音が聞こえる。
ギギギギ、ギギギギ……。
ティアが振り返ると、大扉が、内側から、開かれ始めている。
「ま、まさか……。ゆう?」
「ちがう! コイツは……!」
扉から現れしは、禍々しいオーラを放つ、扉程大きな体の、赤鬼。一本角を生やした、幻の妖怪。
誰の目にも、そう見えた。
しかし、それは幻だった。外の光を浴びた鬼は、朝霧のように消えた。
皆が瞬きをしている中、外へ出てきたのは、ボロボロのちっぽけな少年だった。
「これが、希望の光。」
誰かが呟いた。
小さな少年は、全身を血で染め上げ、震えながらも、二人の少女をおぶさりながら出てきた。
「ゆーいちー!!」
ティアが、今にも泣きだしそうな声を出して、雄一に駆け寄る。
「やぁ。ティア、様。」
ティアに気付いた雄一が目を細めて答える。喉をやられたのか、詰まるようなしゃがれ声だ。
雄一は、魔法障壁を撃破し、遂に外界へと辿り着いたのだった。
「ティア、様。ここは、美しい、世界だね……。」
「うううっ。雄一……良かった。本当に良かった。」
雄一の言葉と、姿に、堪え切れないように涙を零すティア。
しかし、雄一が出てきた以上、ティアにはやるべきことがあった。
涙を流し続けながらも、ボロボロの雄一に、魔法の杖を向け、呪文を唱える。
「魔法ウイルス……。」
数秒後、雄一はガタガタと震えだし、口から血を噴き出した。
二人の少女を背負ったまま膝から崩れ落ちる。
ドシャ。
地に落ちる寸での所、ティアが雄一を抱き留める。
ティアの小さな胸の中に体を預け、雄一は、そのまま気を失った。