#17 師
「やあ、初めましてタクフィーラ。私はムウ。」
「ふぉっふぉっ。そなたがムウだと? あの有名な?」
「想像とは随分違うの。」
「少々話でも?」
「そうじゃのう。ここじゃ時間は無限にあるのじゃろう。少々どころか何時まででも構わんぞい。なんせ世界中で神とされるムウとの話じゃ。世界中の誰もが羨ましがるじゃろうて。ふぉっふぉっふぉっ。」
タクフィーラは、黄泉の世界で交わした、ムウとの会話を思い出していた。
『ああ、雄一君。わしは、全てを知らされた。この世界の、全ての歴史を。ムウの正体を。』
『今の君は、今、生まれたばかりの、未熟な卵。じゃが、世界を救うことができるのは、この星の歴史上で、お前しかいない。』
『ムウ。約束通り、雄一君の基礎能力の成熟は果たした。今度は、お前が約束を果たす番だ。』
『頼むぞ、ムウ。この世界を、我が孫のような雄一君のことを、我が娘のことを……。』
どさり。
誰にも届くことのない、声なき声を、か細く吐き出し、背中が地面に着くのを今、肌に感じた。
何とか起き上がろうと、天に向けた右手が震える。その天へ伸ばす右手さえも、ゆっくり地へと向かう。
「ししょーっ!」
雄一がタクフィーラに駆け寄り、地面に落ちそうだった右手を、寸での所で握り取る。
雄一の目には瞼いっぱいの涙が溜まる。
「師匠ごめんなさい。やり過ぎました、ごめんなさい。ごめんなさい。」
『ふお、ふお。ちっとも、じゃ。』
タクフィーラには話したいことが山のようにあった。
雄一に、伝えたいことが山のようにある。
励ましてやりたいことが山のようにある。
そして、話してやると言った約束がある。
しかし、どうしても声にならない。「ひゅー、ひゅー。」と、声が音にならない。
瞼を開けていることすら重く、辛い。
急速に体から抜けていく生気。しかし、その中にあって、雄一に握られる温もりを、肌に感じていた。
『あったかいのお。君の手は、魂に安らぎを与えてくれる……。』
『さすが、救世主の手じゃ。』
その時。
ガキイィィィィィン!!
凄まじい音がフロアに響く。師弟対決を見届けた騎士ララ・イクソスが、魔力を纏わせた剣で魔法障壁キャッスル・ウォールを切り裂いた。
一部開いた穴からララを押し退け、ムーンが中へ入り、雄一の傍へ駆け寄る。
次いでララも、タクフィーラの傍へ駆け寄る。
知らぬ間に、スライムのシゲルが雄一の肩に乗っている。
「ヒール」
ララが回復魔法をタクフィーラに掛ける。見る見る雄一から受けた腹部の抉れた傷が塞がっていく。
しかし、生気は戻らない。
息がどんどん細くなる。
「なっ、なぜ!?」
ララが焦りの表情を見せる。タクフィーラに最期の時が来た。
『優しいお嬢さん、回復魔法は不要じゃよ。』
『じゃが、まだまだ語り合いたかったのう。そうじゃあ、約束した褒美の話もしてやれておらん。』
『のお、神様よお。せめて、あと、もう少しだけ力をくれんか……。』
神様に強く願うタクフィーラの左目から一筋の涙が頬を伝った。
その時、神の奇跡が起きた。
もはや、肉体は限界を超えている。しかし震えながらも、タクフィーラの左腕が上がり、ある方向を指差した。
指差す先を皆が見る。その先には、外界へと繋がる巨大な扉。
「外へ出るための扉? どう言うこと?師匠」
『闘え雄一君。その思いと、願いを、拳に載せて。』
悲し気な雄一。タクフィーラは、しっかり目を合わせると、静かに左手を降ろした。
限界を超えたタクフィーラ。その心は満たされていた。
『ああ、いいものだ。愛弟子に見つめられ、美女二人に囲まれて逝けるのだから。』
その時、再び神の奇跡が起きた。皆の耳にタクフィーラの思いが、声となって届いた。
「ア、ア、イイ~ッ。……見つめられ、美女……囲まれ、イケる~っ。」
随分、ところどころだった。
「ガルル。このエロジジイ……。」
神の奇跡ならぬ、神のいたずらだった。三人の顔が引き攣る。これにはタクフィーラも慌てる。
『なっにぃー!!? ちがっ、違うぞ! 勘違いするでないぞ!』
必死に叫ぼうとするが、三度の奇跡は起こらず。無念、タクフィーラ。
ララが、少し困り顔をして、タクフィーラのおでこを優しく撫でてやる。
「ふふふっ、男の人は、いくつになっても仕方ないわね。」
「偉大なる魂に安息を……。」
『だから、ちっがーう。違うから! ああっでも、き、気持ちいい……ふおっ、これは素直に嬉しい。』
誤解を招くものの、結果受けられたララの厚意に、タクフィーラもまんざらでもない。
やがてタクフィーラの全身が光に包まれる。
「雄一様、蝶だわん。」
光は、無数の蝶になる。
ひらひらと羽ばたきだした蝶は、雄一たちを囲むように、空中を楽しみ、霧の様に消えていく。
次々と、次々と。
「綺麗……。」
「タクフィーラ、じいちゃん。」
蝶が乱舞する美しい光景の中で、偉大なる魔道老子タクフィーラの冥福を、皆が祈った。