#16 師の試練
タクフィーラの全身が赤く染め上がる。ユラユラと揺れる闘気を全身に纏う。
目つきが鋭く、現れるは苦痛に歪む苦悶の表情。
角もない、体も華奢な老人の体躯であるのに、まるで赤鬼。
雄一は、余りの変貌振りに驚き、構えたまま固まっている。
「さて、雄一君。私も、残された時間が僅かとなったようでな。これから、最後の試練を君に与えようと思う。」
「時間が僅か? どういうこと、師匠。」
「なぁに、簡単なことじゃ。」
「わしは今から、本気で君を殺しにかかる。お前は、わしの猛攻に耐え、逆に一本でも取ってみろ。」
「ふふふ。楽しかったぞ雄一君。わしの生涯最後となる、本気の攻撃をとくと味わえ!!」
これまで、常に雄一と距離を取り続けていたタクフィーラが、初めて雄一に向かい距離を詰める。そのスピードは雄一同等。いや、それ以上だ。
たじろぐ雄一に構わず勢いに任せて、全身の体重を乗せた拳を、雄一の顔面に叩きつけた。
「うああ、ぐーで、ぶたれたっ。」
雄一の体は顔面から地面へ叩きつけられる。
倒れ込んだ雄一に追撃とばかりにスタンピングで雄一を踏みつけるタクフィーラ。
「あ、あぶう……。」
雄一は、体を捻じりスタンピングを寸でのところで避けた。
バゴオッ!
鉄球が落ちてきたが如く床が爆ぜる。礫を激しく体にぶつけながら、態勢を整える雄一の顔には火傷の後が残る。
タクフィーラの全身を覆う禍々しい赤いオーラは、まさしく火炎だった。
「魔法防御×攻撃魔法×身体強化魔法×自動回復魔法を同時発動。わしの究極魔法『鬼神拳』じゃ。」
そう呟きじろりと雄一を見やる。その眼つき、明らかに人間の放つモノではない。
「なんじゃ、その構えは。隙だらけじゃぞ、愚弟。くらえええっ。」
怯む雄一に、タクフィーラは無数のパンチを繰り出す。
「やあああ!」
雄一も負けず、その数だけ拳を放つ。肉弾戦は雄一の土俵。ここで、打ち負けては雄一に勝機はない。
ドガガガガガガ……。
タクフィーラの拳を上手く捌いているように見えるが、雄一の拳が見る見る赤く腫れていく。
拳の重さもタクフィーラが上を行くと見え、ズルズルと雄一は後退しながら打ち返す。
「うううっ。」
拳が焼け爛れ始め、唸り始める雄一。
「あっつー!!」
雄一は、我慢の限界とばかりに叫ぶと、パンチからキックにスイッチした。タクフィーラはニヤリと笑うとそれを受け足技へと変える。
今度は二人の蹴りの応酬が始まった。
タクフィーラの拳をよく見ると皮膚が裂け、崩れているように見える。タクフィーラもまた強烈な雄一のパンチで少なくないダメージを受けていた。
「し、師匠も痛かった?」
「生言うんじゃあない。もっと、よく見よ。」
タクフィーラの手は、自動回復魔法効果で、崩れた皮膚が見る見る繋がる。
「うわ、ズルだ。」
「ぬかせ、愚弟。お前にも、備わっておる。呼び覚ますのじゃ、生命の本領を。」
それにしても、見とれるほど美しいタクフィーラの足技。上下の打ち分けに回転技。雄一は瞬きもできずに見惚れてしまう。
フェイントなどの小細工は一切ない。凶悪で荒々しく猛々しい力業だが、まるで武闘演武のように華麗だった。
「カッコいい。師匠。」
「ふぉっ、悪い気はせん。じゃが褒めても、何も出んぞ。」
「パンチやキックが出てるよ。」
「違いない。では、更にくれてやる。」
捌くのに精一杯だった雄一。タクフィーラの猛撃に、足だけではとても捌ききれなくなった。そして、今度は、足が焼け爛れ始める。
「んーっ、もうっ!!」
雄一は蹴りとパンチを交互に繰り出し始めた。タクフィーラもそれに応じてパンチとキックを織り交ぜる。タクフィーラも足がひび割れているように見える。
ここから先は、お互い消耗戦になると思われた。
『わしの鬼神拳によく耐えよる。技術は素人同然で粗削りだが、流石にこの力は本物じゃ。』
『そして、無事に覚醒させたようじゃの、雄一君。君の、君だけの回復魔法を。』
顔面をどつかれて火傷を負った頬。少し腫れているが、殆ど消えている。
手の傷も、足の傷も、両手両足織り交ぜて戦い始めてから、火傷が広がる様子はない。
覚醒した能力。それは、人が誰しも持つ自然治癒能力。その能力が尋常でない速さで働く。
それに加え、雄一の体は更なる変化を始めていた。深刻なダメージを繰り返すうちに表皮が角質化し始めたのだ。所謂「タコ」である。
この変化により、タクフィーラの攻撃が無効化されていく。
『ムウの言っていた通りじゃわい。雄一は魔力も魔法耐性も持っておらんが、人が元来から持っておる潜在能力を発揮して、課題を克服しよる。』
『ふぉっふぉっ、おもしろい。おもしろいぞ雄一君。もう50年早く、君に出会えておれば、わしも更なる極みに立てたじゃろうに。』
それから更に、激しい打ち合いは続いた。
もはや、雄一は完全に火炎系及び熱耐性を得たに等しい拳と足へと変わっている。それに比べ、タクフィーラの治療魔法は雄一の自然治癒能力に遅れを取り始めた。
雄一からは、表情の一切が消えた。
目は虚ろでどこかぼんやりとしている。しかし、繰り出される攻撃は、さらに激しさを増していく。
攻撃の回転は上がり、タクフィーラはいつの間にか防戦一方となった。
攻めに転じる雄一。この熾烈な戦いに集中し過ぎて、我を忘れている。これ即ち没頭脳。人の持つ能力が、最も成長する状態だ。
『今じゃ。今こそ、この子に一生涯の技を伝授する時。受け取れ! 雄一ぃっ!』
互いに、一つ一つの拳と蹴りに鋭さが増す。著しい成長を秒ごとに、瞬間ごとに見せる雄一の姿を誰よりも近く目の前で見るタクフィーラは震えていた。痛みや恐怖からではない感動による震えだった。
熱くなる目頭を堪え、激しく燃え上がるタクフィーラ。しかし、その直後、まるで花火の終わりの様にタクフィーラの闘気が消え失せる。
『くおおっ。まだだ、まだ終わってはいない。」
タクフィーラは、もはや、立つことも難しくなった足で踏ん張り、受ければ砕けるような腕を振り上げる。
「これで、最後じゃああっ!!」
ドン!!
渾身の力を籠めた一撃は、光速をも超えた。しかしそこに雄一の姿は無かった。
雄一は、タクフィーラの懐の中。お互いの息遣いが感じられる距離。
タクフィーラが見下ろす。雄一が見上げる。
タクフィーラが口角を上げ、笑みを零す。雄一もまた、笑顔を返す。
ズドン……。
フロアが震えるような打撃音が響いた。
雄一の一撃を左脇腹に受けたタクフィーラは、ガクガクと震え、膝を手で押さえつつ二・三歩後ろに下がった。
「み、み、みごぉ――。」
パアン。
纏っていたオーラが弾け飛び、鬼神拳が解ける。
どうしても伝えたい言葉が、ただの一言さえも出ないまま、タクフィーラは仰向けに崩れ落ちた。