#163 負け犬 ムーンシナリオ(7/8)
ベアード視点
俺は、生まれた時から、将軍だった。俺の宿主は、中身空っぽのピーマン頭だったが、その強さは本物。相対する敵は鎧袖一触、ならぬ鬚髯一触の強さを誇る。
一兵卒から出世していくなかで、ふんぞり返っていたクズどもが、みんなペコペコ頭を下げていく。まったくいい気分だ。まあ、大抵うわべだけの、おべんちゃらだったがな。そう。俺は、バラダー・フルリオ……の、顎髭だ。
そんな俺の前に、女神が降臨した。
飛鏡が如き、透明感と輝きを放つ、艶やかな毛並み。シルクが如きプリズム光沢を放つ毛は、一切の攻撃を寄せ付けぬキューティクルによって、護られていた。
そのスペックは、油分に塗れ、俺の曲がりくねった、陰毛が如き我がもじゃもじゃと、何もかもが違う。
それだけではない。宿主も相当だ。不死身無双の宿主をも恐れぬ面罵が、俺の脳裏に刻まれる。
まさに本能剥き出し。なんと純真で熱い女か。まるで猛炬のように、俺の毛根から毛先に向かって震える。
ああ。どうにかしてこの娘と、毛と毛の交際を持ちたい。
『緊急指令! 緊急指令! この娘を我がものとせよ!!』
毛根からピーマン頭へ、ムーンを娶るよう訴えたが、伝わることはなかった。そして出会いから間もなく、俺は殺戮マシーンMKPに殺された。
少年の、血と涙に抱かれ、埋葬される中、俺は祈った。
『もしも輪廻があるのなら、来世では、あの胸を覆う体毛として、生まれたい』
『あはは~。今を生きるムーンの毛に生まれ変わるのは、さすがに無理だよ髭さん。だから、今を生きようね』
気が付けば、俺の目の前に、一人の少年が立っていた。神谷雄一だ。そんな彼は、奇跡を起こす。土中の無機物、有機物に働きかけ、俺の体を形成していったのだ。
あっと言う間の転生劇。俺は新たな体を手に入れ、墓から蘇った。前世の記憶を持ったまま、生まれ変わったのだ。
しかも「毛」としてではなく、人型の漆黒狼として。
『グルル、雄一様。あんたは俺に命を宿らせてくれた。この恩は一生わすれねえ。どうか、名付け親になってくれ』
『え? 名前? 髭さん。じゃ、だめ?』
『それは前世の字名。どうか、新しい名を……』
『ん~、じゃあねぇ。鬚髯ベアード。で、どう?』
『グルル。シュゼン・ベアードか……。うむ、気に入った』
『鬚髯は、ひげ。ベアードも、ひげって意味だよ? 前世が髭さんのあなたに、ぴったりでしょ?』
『グルゥ!! 俺は、この魂に鬚髯ベアードと刻み、忠義に生きる! 神谷雄一様、何なりと、御命令を!』
『あはは~。そう? じゃあ~。遠慮なく命令するよ?』
『なんなりとっ!!』
『鬚髯ベアード。自分の今を懸命に生きよ』
『そっ、それは、自由ってことか? 本当にいいのか?』
『あはは~、もちろん。ベアードさんの人生だもん』
『グルゥ! あんたはなんていい人だ。ならば早速、彼女の元へ急ごう』
自由を謳歌するため森を抜けようとした。しかし、そんな俺の目の前に、朱雀が立ちはだかった。それは、超絶グラマラスなボディを持つ新種の朱雀。名をモモカと言った。
馴れ馴れしく触ってきたので、飛び掛かるも、こてんぱんにされ、踏みつけられた。
「ぐへぇっ!! ……グルル……。つ、強過ぎる……」
「フフフ。急速にパパ・パンデミックが広がる中で、お前は他のより、パパの匂いが強いけど……。所詮、混ぜモノね」
「グルルルル……、化け物め、グハァ!?」
「口には気を付けなさい。バラバラにするわよ? ……ん? なに、あんた、ド淫乱ムーンのことが好きなの?」
「グルルッ。彼女は俺の、前世からの悲願……。生まれる前から、好きだった……」
「混ぜモノの癖に言うじゃない。……フフフ。前世から、ひと月にも満たないくせに」
「そうか……。殺されてからひと月も経っていたのか……。しかし、時の長さで……想いを、測るな」
「あら、それは同感。見どころあるじゃない。……そうだ、ベアード。妾と手を組まない? ……フフフ」
「グルルル、誰が、キサマなんかと……。死んでも断る」
「あらそう残念。それじゃぁ、言い方を変えるわ。……ねえベアード? ムーンと一緒になる、手伝いをしてあげようか」
「なに、ほんとか? お願いする。魂を売ってでもお願いする!」
「フフフ、じゃあついておいで。まずは心身ともに鍛え上げ、獣王国に認められるだけの、紳士にしてあげるから」
「がおがお」
俺はモモカから教養を授けられ、合気道を仕込まれ、その後、獣王国へと送られた。
彼女を娶るため……。
しかし、彼女との再会を果たした際、俺は彼女の気持ちを知ることになる。
彼女の想い人は……神谷雄一。
命の恩人を交えて、恋の三角関係。迷昧する俺に、雄一様は『アドバイスするから、がんばって』と、背中を押してくれた。
『ムーンはね、思ったことを口にして、後先考えずに行動するの。でもそれは、本当の自分を隠すためにわざとしてるんだよ? 本当は、誰よりも、寂しん坊で、臆病なの』
雄一様は、彼女の深層心理や、過去に受けたトラウマまで知っていた。およそ、本人すら気付いていないことさえも……。
彼女との交流が深まるにつれ、募る想い。それと同時に気付かされる、望まぬ現実。
『男の人に、たくさん怖い思いをしたけど、大丈夫。時間を掛けて、優しさで包むことができれば、きっとムーンは受け入れてくれるよ。あはは~』
ここまで言われれば、確信せざるを得ない。彼女を幸せにできる相手は、雄一様以外にいない――。
『雄一様。俺は、彼女への愛が深まるほど、思い知らされるのです。彼女を幸せにできるのは、あなた以外にいない……、と。そして、彼女を愛しているからこそ思うのです。俺は、彼女から身を引くべきだと……』
『……。ん~ん。ムーンを幸せにできるのは、ぼくじゃない。ベアードさんだよ?』
『何をバカな。何故。何故雄一様は、彼女の襟情を拒まれるのです……』
『あはは~、拒んでなんかないよ。ぼくだってムーンのこと大好きだもん。それこそ、ベアードさんにも負けないくらいにね? でも、ぼくは、それと同じくらいベアードさんのことも好きなんだもん』
『!!?……』
『それに……』
『それに?』
『それにぼくじゃ、ムーンの願いを、叶えてあげられない、から……。ぼくは、大人になれない子ども、だから……。だからベアードさん、ぼくの代わりに、ムーンを幸せにしたげて。ね?』
『できるだろうか。俺に』
『あはは~。できるよ。ベアードさんになら。だってあなたは、大人だもん』
◇◇◇◇◆◆◆◆
「グルルルル……。ムーンの望む、理想の紳士になり、あと一歩のところだったのに……結局フラれた」
「がるっ、勘違いするなハゲラー。私があんたに惹かれたのは、紳士だったからではない。あんたの内々に、雄一様がおられたことを、本能が嗅ぎ取っていたからだ。だからあんたを、伴侶にするなど、永久にないと知れ」
「ぅぅぅっ……」
「しかし、絶対の忠誠を誓うなら、私の傍にいることを許す」
「グルゥ……。本当ですか?」
「わぅ。奴隷としてだがな」
「ぇ……」
「これを、私の傲慢と捉えるか、愛と捉えるかは、お前次第だ!」
夫候補から転落した先は、友人、知人にも劣る、奴隷の身分……? 俺の耽恋を悉く踏みにじりやがって……。しかし、俺は……。それでも俺は……、貴女のことを……。
「ぐるる。たとえ奴隷としても……。私はそれをムーン様の愛と捉え、永遠の忠誠を誓います」
「よし、では腹を見せろ」
言われるがまま、俺が仰向けになると、ムーンは両手で腹をさする。
本来は、主従を決める屈辱的儀式だが、白魚のような手が、毛中を這えば、感じたことの無い快感が俺を襲う。
「ぐろろろっ、ウソだろぉ! 尻尾が……。尻尾がっ……。とめられにゃいっ!!」
彼女の手首を飾る細毛が、俺の剛毛と触れ合う。
死して尚、忘れ難き本懐。その触感は、予想外のしなやかさ。予想以上の繊細さ。
なんと素晴らしい毛だ。一本。ただの一本でいい。その毛を、俺のモノにしたい。
激しい恍惚感に耐え、彼女とのフェルト化を狙うが、キメの細かい、引き締まった※スケールに、付け入る隙はない。
(※スケールとは、動物繊維の表面を覆う鱗状のたんぱく質。スケールはダメージを受けると開き、スケール同士が絡み合う)
「しかし……ダメだ。キューティクルコーティングが……、半端にゃい!!」
ドコォ!
「ぐふぉっ!? 顔面グゥパンチ?」
「奴隷如きが、尻尾どころか……、どこをおっ立ててやがる!!」
ベッコォ!
「へげぇっ!! 更に、鳩尾に肘鉄落とし!!」
この苛烈なアメとムチ。嗚呼、思い出した。コレだ。俺が彼女に求めていた真実は、コレだったんだ。
プツン……。ひら、ひら。
その時、手首から一本の女神が舞い降りた。キューティクルはそのままに、俺の毛と混ざり合う。
「まさか、抜け毛……?」
「違うっ!」
カキ―ン!
「ぶほぉっ!! 更に金蹴り! アリガトオゴザイマス!」
「……聞けベアード……。雄一様から聞いた……。元来野蛮なあんたが、無理して紳士を演じていたのは、私のトラウマを克服する狙いが、根底にあったのだと……」
「え……?」
「お陰で、私の男性恐怖症は、消えた。……その毛は、その礼だ」
「ムーン……様」
「さあ、ベアード。偽り紳士の仮面は剥ぎ棄て、これからは粗野で下品な奴隷として、その人生を謳歌せよ!」
「がお……。はい! ……くうぅぅっ……。……がお! がお! 有り難き、幸せ! ムーン姫様!!」
「ふっ……。女王様と、お呼び!!」
「がお! 女王様! 踏んでください!」
「このド変態がっ、死にさらせ!」
ドコドコォッ!
「アヒィ!! ご褒美アリガトオ、ゴザイマース!」
前世からの悲願が、叶い、これほどの情愛を受け、忠誠など誓えるわけがない。俺が誓うは、服従。そう、絶対服従だあぁっ!!
「わおん。これにて一件落着!!」
「まてまてーっ。まだ落着してなーいっ!」
「なんだモモカ……。まだ、いたのか。て言うか、お前、随分と育ったな。……特にこう、胸の辺りが……」
「犬同士くっついてりゃいいものを。パパが許しても、妾がお前を許さない」
「モモカこそ、ゼロ歳二カ月のくせに、此度の卑劣極まりない権譎。どう言うつもりだ」
「卑劣はお前だ、ムーン! こうなったら、お前には死んでもらう!」
モモカが、鷹視を女王様に向け、飛び掛かった。
「この鬚髯ベアード、この身を盾に変えて、女王様をお守りします!!」
ゲシシッ!
「アヒィ!! にゃっ、にゃぜっ!!?」
女王様は、俺を足蹴にし、冷笑を浮かべてモモカと対峙した。
「奴隷如きが主人の前に立つな。ハゲード」
「その理不尽、素敵過ぎます!」
二人の女王様は、両腕を掴み合い力比べの様相だ。その下で、引き続きぐりぐりと踏み付けらているが、これは俺へのご褒美だ。
「よくもパパを、穢してくれたな」
「がおっ。私が雄一様を穢す? 我が身より大切なお方に、誰がそんな真似をするか」
「怒り狂ったママから聞いた。パパが無抵抗なのをいいことに、全身を舐め腐りやがったこと、忘れたなどと、言わさぬぞ」
「全身を舐めるなど、そんな下劣な真似……。ああ、青龍から受けた傷の……、治療か……?」
「治療だと?! あんな卑猥な行為が、治療と言えるかっ!」
「うむ。雄一様と結ばれた今、お前はある意味、ギリギリ義理の娘に当たる子。嘘は言えないな。よし、正直に言おう。モモカ、あん時はママ、チョー興奮したぞっ」
「コロス!!」
ゴゴゴゴゴ……。
マグニチュード八・三。両者のぶつかる力が地を震撼させ、教会を破壊し始めている。
それにしても、それは訴えられても、仕方がない蛮行だ。誰だって、自分の父親が、よその女に愛撫されるのは我慢し難い屈辱だ。モモカの、「父」を慕う気持ちが、憎悪の念へと変わったのも頷ける。俺は、二人の女王様の足の下で、そう解釈していた。
しかしそれは、大きな間違いだった。
「なんだと?! モモカも雄一様の、花嫁になるだと?」
「そうだ。妾は、パパの子を産む。つまりお前は、憎っくき恋敵だ。ベアードとくっつかないなら、ここで死ね、犬っコロ」
パキュン!
「おっとあぶない! 目からビームを出すとは……。しかし、契約の契りができるようになるまでには、五年以上かかると聞いてたが……?」
「大丈夫。見ての通り、私は早熟なのだ。まぁ、パパと結ばれるために、そうなるよう自分で肉体改造したんだが……」
「無茶苦茶だな。さすがは変態ロリババアの遺伝子を継ぐだけのことはある。……しかし、それでは、数千年を生きる、お前の寿命が縮まらないか?」
「大丈夫。妾は、乾ききった千年より、潤いに満ちた百年を選ぶ」
「お前のママは、許しているのか?」
「猛反対しているが、関係ない。勘当上等でパパと繋がる」
「ママは正しいぞ? だって、近親相姦になるだろ」
「大丈夫。愛を混ぜ合うだけだから。血は関係ない」
「この、変態!」
「あんたにだけは、言われたくないわ。このド変態!」
どうやら、幼い少女の口にする「おっきくなったら、パパと結婚する~」ではなさそうだ。
この場は完全に、変態らによって支配された。