#160 深夜の告白 ムーンシナリオ4/6
ムーン視点
ベアードから、合気道を習うようになって、ひと月ほど経つ。まだまだベアードには及ばないけれど、今日も充実した一日だった。
厳しくも楽しい修行が、明日も待っていると考えれば、高揚感で目が冴える。ダメダメ。休息もまた鍛錬ってベアードからきつく言われてる。
ベッドで横になり、微睡みに誘われた時、私はあることに気付く。
「……まてよ、明日ってそれこそ、救世主決定戦じゃなかったっけ……? そうだ、明日には雄一様の元へ戻らないと……。でも……、あれ? なんだろう、この実感の無さは……」
わたしはよもや、決定戦と修行を天秤に掛けているのだろうか。
まさか、雄一様とベアードを? そんな筈はない。でもどうして、旅立ちへの気持ちが、決心に繋がらないのか……。
「目が覚めたわ。そうだ。卒業試験だ。合気道の免許を貰ってないから、決心できないんだ!」
そう思っていると、コツンと窓を叩く音がした。
窓を開けると、月影に照らされる彼が口元に指を当て、手をこまねいている。
部屋から飛び出す際、気配を殺して。
「わおん、ベアード。明日のことなんだけど……」
「私も明日の予定でお話が……」
「がぅ。じゃあ、ベアードも、卒業試験の話を?」
「ご冗談を。淑女を深夜に誘い出し、出来得ることなど、ただ一つ……」
それは、愛の告白だった。今更驚いたりしない。だって、彼の気持ちには、とっくに気付いていたから……。
答えなど決まっていた。NOだ。その……筈だった。でも、いざとなると即答できない。惑う私の足は、ゆっくりと深い森へと向かった。彼もまた、私の後をついてくる。一寸の距離を保ちつつ……。
揺れる心は、足をさらに迷走させてしまう。そんな私は知らぬ間に、彼の後ろに下がり、後を追っていた。
私は彼に導かれ、気が付くと眼前に月を浮かべる湖が広がっていた。
「わぅ……。私ったら、どうかしてるわ。天湖両面の月彩を受けて、やっと道標を思い出すんだもの」
「どう言う意味だい? ムーン」
「最初っから、私の歩む道に、分岐点なんてないってことよ。だって、私の心にはずっと……」
「神谷雄一がいる……から?」
「なっ?! なぜベアードが、雄一様のことを……」
「そりゃあ知っているさ。なんたって私は、大人の雄一。担当だから。ね」
「まさか、あんたがアダルトバージョンの……? そんなのウソよ! そんな訳がないわ! そんなこと……、信じられない!」
「ムーン? 受け入れられる愛は、一つだけじゃ、ないんだよ?」
「がぅ?! どうして、その言葉を……」
「ムーン。君には魂だけでなく、愛も受け入れ、大人になって欲しい」
◇◇◇◇◆◆◆◆
私の脳裏に刻まれた、卑しく、醜く、汚い目。それは、性の本能に操られた、男共の牙。襲われ、犯されかけた、あの晩の恐怖心が、私の理想を、狂わせた。
神谷雄一。十歳。
救世主の資質を持つ彼は、誰も及ばない力を持ち、純真無垢で、自由奔放。その中で、私が一番惹かれたのは、彼が十歳ってトコ……。
「って、ちゃうわっ、ベアード! さっきから、なに勝手なこと吹き込んでんのよっ」
「否定する気持ちは分かる。なぜならこれは、君の深層心理……なのだから」
「ちがう、ちがう、ちがう! 断じて、ちがうううぅぅ~っ!!」
「分かったよムーン。もう言わないから。だから落ち着いて」
「ふーっ、ふーっ! がるるっ!」
いや、図星だ。心当たりもある。幾つもある。私は、力と、力を持つ相手との子を求めていた。しかし、トラウマから男性恐怖症になってしまった。
そんな私は、色目を持たない少年雄一に、安堵したのだ。
そう。私は雄一様に、求めたものは、デタラメな脳筋能力でも、愛でもなかった。彼に求めたのは、心の拠り所だったのだ。
「がるぅ……。確かに出会った時はそうだったけど……。でも、でも今は、本気で彼との子を私は……」
「私も、子どもである彼を尊敬し、愛しているよ?」
「え?」
「聞けば矛盾を感じるだろうが、私は、ある意味。彼から産まれた」
「それって、子どもの心から、大人の心が芽生えたって……意味?」
「……。彼は言わば、私にとっての太陽だ。そして、君にとってもね。そうだろ?」
「ベアード……?」
「受け入れられる愛は、一つだけじゃない。子どもの彼に、君は照らされていればいい。私は、月を映し出すこの湖のようであろう。……。全身を広げ、月が来るのをじっと待ち続ける湖だ。私は、どんな姿の月でも、喜んで受け入れ、美しく映し出すよ?」
「ベアード……」
ベアードは今日まで、私を尊重してくれる紳士でいてくれた。……何かをはぐらかせた感じも受けるが……。
「生涯を、君に捧げる覚悟がある。どうか、私と一緒になってくれないだろうか」
でも、ベアードは実際、強くて、優しい。見た目もジャーマンシェパードでカッコイイ。幼心に私の描いていた、理想の男性像を蘇らせる。
私の本能も、彼が花婿に相応しいと、認めている。
『受け入れられる愛は、一つだけじゃないから』
ベアードは、私の愛する雄一様も、まるごと受け入れてくれる。そっか雄一様。今になって分かるよ。この言葉の意味が。
「ベアード……。ありがとう、私も、あなたのことが好き」
「ムーン。それじゃあ……」
だけど、違う。
彼を受け入れようとすると、心の奥底が、ギュウッと締め付けられるんだ。
神谷雄一。
君の名は、本能なんかよりも、強い情念で私の心を縛ってる。君の名が、私のこの魂を、掴んで離さないのだ。
「でもごめんなさい。その気持ちに、私は応えることができない」
「ムーン……何故」
「私の受けてきた愛が、一つだけじゃないって、分かったから……」
「な、ん、だ、と……」
そうか。やっと、分かったよ。雄一様。私の描く、君への愛の形が――。
「ごめんなさいベアード。私、このまま出て行くわ。今、この時だって戦いに身を置く、彼の元へ」
「そうか。分かったよムーン。……でも、その前に、これをごらん」
「んん? ナニコレ」
私の目の前、そこには小さなコインをぶら下げた振り子があった。
「ベアード……?」
「ククク……。君の気持ちはよ~っく分かった。一途な魂を持つ、いい子だね……いち……にぃ……いち……にぃ……」
「私……いい子……?」
いち、にい、いち、にいと、彼の声に合わせて、左右にコインが振れる。コインは、月光を冷たく反射させ、私の眸睛、奥深くへと届ける。いち……にぃ……いち……にぃ……。
「あれ? なんだろう。私は、今、何が分かったんだっけ……。私は、何をするんだっけ……?」
「ククク……。できれば、この手は使いたくなかったんだが……。悪い子だ……ムーン」
「私……わるい……こ……」
「明日君は、この鬚髯ベアード様と祝言を挙げるのだ。分かったね? ムーン」
「ベアード……?」
「違う! 俺の名は、鬚髯ベアード様だ! 言い直しなさい。ムーン」
「……はい。……シュゼン……ベアード……さま……」