#145 嘘から出た実 ティアシナリオ4/8
あたいは、たっくんと一緒に暮らすようになって「共有」の価値を学んだ。
一つの布団を二人でたたみ、一つの鍋を二人で囲み、一つのお風呂を二人で使う。そしてまた、一つの布団でその日を終えるのだ。
時の移ろいもそうだ。春の日差しを二人で喜び、夏の風を二人で感じ、秋の香りを二人で吸って、冬の寒さで二人、一つに身を寄せ合った。
共有した全てが、あたいの心で輝いた。
あたいは、魔女。たっくんは、人間。長年連れ添っても、子宝には恵まれなかった。それでもあたいは、この時、確かに「幸せ」の中にいたんだ。
その幸せに包まれてから六十七年。たっくんも、もう齢九十を回り、いいおじいちゃんだ。始まりがあれば、必ず終わりが来る。それは、仕方のないこと。
人間と魔女の寿命は余りにも違い過ぎるから、彼が先立つのは必然。間もなく別れが訪れる。寂しいけれど大丈夫、あたいは孤独に慣れているし、一緒になった時から覚悟はしてきた。
だからこそ、共有できる残された時間を瞬間まで大切にしよう。そう思っていた。なのに――――。
「すまんディアーナ。わしは、戦地へ行く」
「たっくん。ご本を買いに、マブロフイスイの城下町へ行ってたんじゃないの? どうしてそうなるの?」
たっくんが言うには、ブルードラゴン事件で弱体化したメガロスに、オクトスロープ軍が侵攻。戦火はそれぞれの同盟国に飛び火し、世界大戦へと発展しているらしい。
詳しい情勢は知らないけど、オクトスロープの軍勢が相当勢力を伸ばしているらしい。さすが四聖獣の一角。玄武キュウキってとこかしら。
そして、その軍勢は、このマブロフイスイへも迫っているのだそうだ。それは当然この丘も例外ではなかった。
「オクトスロープ軍は、既に砦を築き、万全の体制となっている。しかし、わしを生み、育ててくれた故郷を、お前の住むこの丘を、戦場にする訳にはいかん」
力の籠った、たっくんの凛々しい目。久しぶりに見たらドキドキしちゃう。
言ってることもカッコイイし、応援してあげるべきよね。
つうか玄武は、守りは強いが攻めには弱い。たっくんが行けば、半日で覆滅しちゃうだろう。
「分かったわ、たっくん。みんなを守ってあげて」
「すまん、ディアーナ。ありがとう」
「で? いつ頃返ってくるの? 今日買ったご本を一緒に読みたいから、晩御飯までには戻ってきてほしいわ」
「えっ? あ、いや、その~、え~と……」
「どうしたの? 随分と歯切れが悪いじゃない。甲羅を捨てた団亀料理なんて、たっくんなら、お手の物でしょ?」
「ディアーナ、聞いて欲しい……。敵にも、家族がある……」
「たっくん? あんた何言って……」
「わしは、マブロフイスイ軍もオクトスロープ軍も一切傷つけず、無力化することに徹しようと思っている。敵兵が撤退するか、戦争そのものが終わるまで……」
明日をも知れぬジジイが、長期戦を仕掛ける! バカなの? 知ってたけど、底抜けのバカなの?
「何言ってんの? たっくん、もうおじいちゃんだよ? そんな作戦、認められないよ」
「これは、贖罪をする最後の機会。敵味方問わず、人を殺しては意味が無い……」
「贖罪?」
「いや、なんでもない。とにかく、わしは明日、戦の前線へ行く」
「まさか、たっくん。この戦争で死ぬ気ね? だめ! だめ! それだけは、絶対にだめぇっ!」
「死ぬなどとは言うとらん。わしとて、生きて戻りたい。お前の居る、この丘へ!」
「ああ、そう。わかったわ。だったら、たっくんは好きなだけ丘にいろ。あたいが行ってやるから」
「なんじゃと?」
「みん~な、あたいの魂魄魔法で一網打尽にしてやる。クスクスクス……。明日の昼頃には戦場に、肥沃な大地が生まれてるでしょうよ。クスクス……」
「ダメじゃ! そのようなことをすれば、魔女の汚名が、他国にまで広がるぞ」
「うるさい! あたいは元より魔女だ!」
「違う! お前は女神だ!」
「違わない! ……だって。……だって、あんたと一緒にいられないなら……、女神をやってる意味なんて……ないもの……」
「違う! 誰が何と言おうと、本人が認めまいと、お前は女神だ! お前は……、俺の……、俺だけの、女神なんだ!」
「黙れタクフィーラ! お前の愛した女神は、もういない! あたいは、人間に不幸をもたらす、嫌われ者の魔女だあ!」
「封じるばかりで、虫も殺せぬ魔女がいるかっ!」
「殺せる! 殺す! まずはお前からだっ! 魔導老子アラーフ・タクフィーラ!」
「この殺気……、本気かっ! ディアーナ!」
一緒になったあの日から、初めてする夫婦喧嘩。最初にして最後の夫婦喧嘩。
あたいは、最後にして、しくじった。
最後にして、あたいは、女神であることをやめた。
ならば、最後は、魔女らしく、魔女としての愛し方で、終わらせよう。
「何をする気だ?! やめろ! ディアーナ!」
「魔女は、愛した男の魂を、その器ごと奪い去る!」
「なにいっ!」
「死ねぇっ!!」
あたいの爪が、たっくんに向かって伸びる。あんたの全てを、あたいの「モノ」にするために……。
クスクス、な~んてね。今更そんなことできない。できっこないよ。
そう。分かってるんだ。あたいは、たっくんが戦争へ行くことを許せないんじゃない。たっくんの死、そのものが許せないんだ。
魔女と人間が一緒になる。そのことを理解し、覚悟した? 誓った? そんなの全部「つもり」だよ。本当は、ずっと怖かった。
ああ、そうか。あたいは「共有の慶び」の他に、また一つ、たっくんから学ぶんだ。「本当の孤独」を……。
一人ぼっちでいた時は、まるで感じることはなかった孤独……。
二人で共有したがため、生じた孤独……。
あなたのいない世界……。想像しただけで、気が狂いそうだ。
この恐怖から、どうしたら逃げられる……? 例えばもし、あなたを憎むことができれば……? あなたから憎まれれば……?
あたいの心に宿る、六十年の輝きを、無きものにできるかも……。
そしたら、あたいは孤独から逃れられ、正気を保って、いられるかも……。
「ディ? ディアーナ……?」
愛しのあなた……さあ、あたいを憎んで、そのまま逃げて。
お願い。そうして。
それがあたいの、救いになるのだから……。
「読める……。いや、見えるディアーナ! ……君の……心が……!!」
さよなら。――たっくん――。
ざしゅっ!
「えっ? たっくん。……なんで?」
あたいの手には、たっくんの魂の器があった。
「はぁっ、はぁっ。最高の愛を、ありがとうディアーナ。わしは、世界一の幸せもんじゃあ」
たっくん自らが抉り取り、あたいに差し出したものだ。
「全部はやれんが……。君の孤独を埋めるのに、使ってくれ」
「うううっ……、くうぅぅっ……。……うわあああ~ん! たっくん、たっくん、たっくん!! お願いだから行かないで。何処にも、いかないで!! うわあああ~ん!!」
あたいはその場でへたり込み、少女のように雨泣する。本音の悲鳴を上げながら。
そんな中たっくんは、残酷な謝罪と謝意を繰り返していた――――。