#142 噛み合わない歯車 ムーンシナリオ3/8
ジュピター視点
四聖獣白虎、コントン・カオスは、ムウ大陸の八割を支配する世界最強生物。
鮮白の狡好とした魁牾には、青翠のまだらを走らせ、私の知り得る女性の誰もが、彼に痺れていた。
十六年前、そんな彼に、繁殖期が訪れた。
子作りに、彼が選んだパートナーは、この私。この世界で、只、私一人。
私。ジュピター・ケルベロスは、覇王の寵愛を一身に受け、自分が誇らしかった。しかし、彼は、一族の掟に従って生きる武人。人の形こそすれ、美しくも、醜いその正体は、無慈悲な雷獣そのものだった。
「きゅーん、きゅーん」
「ああ、痺れますわ。ほら、見て下さい、あなた。私たちの赤ちゃんです」
「グロロ、雌……か。雌になど用はない。ククヴァヤにでも預けて、次を作るぞ、ジュピター」
「あなた。申し上げにくいのですが、その……」
◆◆◆◆◇◇◇◇
「なんだと? ワリャ子育ての間は、発情も、排卵もせぬだと?」
「はい。犬猫のように、ポンポンとは参りませぬ。それが生態系の頂点立つ、我が種族の宿命にございます」
「グロロ……愚か者。それでは待ち受ける過酷な白虎一族の掟が、円滑に遂行できぬ。こうなれば仕方がない。先程産み落とした雌を、さっさと処分し、再び発情しろ」
「処分……とは?」
「殺せと申しておる」
「なっ? それでは、子殺しをする、野蛮な熊どもと、変わりませぬ」
「優秀で強い遺伝子を残すためだ。その熊もまた、子殺しの尊さを、知っておるのだ」
白虎の後継者は、掟により男と定められている。だから、そう言われることは、覚悟していた。でも、この可愛い赤ちゃんを見れば、気が変わるかもしれないと、思った。次の発情まで、待ってくれると思った。
でも無駄だった。コントン様は、女の子の誕生を、認めはしなかった。話し合いに応じず、ただ「産み直し」を命じるだけだった。
「どうしてもとおっしゃるのなら、他の女に産ませてもいい。後生です。この子だけは、勘弁してください」
「グロロロォ! ならぬならぬ。パートナーは、ワリャでなくては、ならぬのだ」
「えっ? あ、あなた……。そうまでも私のことを?」
「掟に定められた、純血でなくてはならぬのだ。雑種では、白虎は生まれぬ」
「あなた……。それは、あんまりですわ」
そう。彼が私に求めたものは、暗黒獣ケルベロスを父に持つ、私の血統。愛などではなかった。
そう。分かっていた。そんなこと。嫁ぐ前から……。ずっと、貴方を……、貴方だけを、見つめてきたのですから……。
「あなた、やめてっ! やめてくださいっ! コントン様ぁ!」
「ワリャができぬのなら、ウラがやるまで。さあっ、ソレをよこせ、ジュピター」
愛しているからこそ。私、貴方のことなら何でも知っています。
貴方の、その魅力も、その残虐性も、何もかも全て。
そう、貴方を封じる、方法さえも……。
「この子は、我が命に代えても、守って見せまする!!」
ぶちぃっ!!
「ジュピター。ワリャ、ウラのペンダントを!!?」
「この黒玉の力を解放し、あなたを封じます!!」
裏切るつもりはありません。好きです。大好きです。今までも、これからも、ずっと愛していますコントン様。ですが私は……、母になったのです。
「グロロッ! 待てジュピター! 早まるなっ!! うああああああっ!!!」
バシュバシューン!!
白虎コントンは、眠りについた。幼獣チワワと姿を変えて……。
「この子が初潮を迎えるまでに十年……。どうか、十年御辛抱くださいまし。この、子育てが終わる、その日まで……」
この子には、私と同じ過ちを犯させてはならない。良き伴侶の光を受けて、美しく輝いて欲しい。そう願いを込めて、ムーンと名付けよう――。
◆◆◆◆◇◇◇◇
「かような姿でも、私はビリビリ痺れますわ。なれど予定は遅れて十六年……。もう少し。もう少しの辛抱にございます。コントン様……」
「ホーッ、ホーッ」
「で、今日はどうだった? ククヴァヤ爺」
「ホーッホーッ。二人は早朝から、狼の姿となって、陵丘までピクニックを楽しんでおられました」
「いい大人の男女が、朝から弁当持ってピクニック? 何とも幼稚な」
「誠に誠に、ホッホッホッ」
「この進展の無さ……。ベアードは、何と申しておる」
「ホーッホーッ。孫の顔が拝みたけりゃ、黙って見てろ、ババア。と」
「なっ、下郎が何たる言い草か!」
「ホッホッホッ。あの者、獣王にでも、なるつもりでしょうか」
「ヤツが狙うは、この玉座か。フフフ、痺れるねえ。呆れを通り越し、頼もしいわ……。ククヴァヤ爺。ヤツの素性が知りたい。鬚髯という一族を、徹底的に調べ上げろ」
「お任せあれ、ホーッホー」
バサバサバサ……。
「……しかし、未だ指一本触れぬ鬚髯ベアード……。奥手のヘタレ野郎ってオチじゃ、ねぇだろうな……」
◆◆◆◆◇◇◇◇
ムーン視点
母、ジュピターに打ち負かされて、一週間になる。この間、母に動きは無い。心配していた雄一様討伐も、私への嫌がらせも無かった。あるのはベアードとの楽しい時間だけだった。
「あぉ~んっ、たっくさん走ったから、疲れちゃった。もう寝よっと」
自室のベッドに倒れ込み、大きく伸びをする。今日は、ベアードからの挑戦を受け、駆けっこをした。とってもいい勝負で、最後、ギリギリ、ほんとハナ差で、私が勝った……。ううん。本当は分かってる。彼は終始、私のペースを見極めていた。ただ、上手に勝たせてくれただけ……。
「紳士……」
ランチの後も、彼と丘で遊んだ。……鬼ごっこ。……ずっと彼が鬼の番。私を回り込んでも、追い詰めても、最後はおどけて逃がしてくれた。
「くすっ。結局一度も、触れることなく……」
彼は、例え遊びであっても、私に手を出しはしなかった。これで下心があるってんなら、相当なヘタレ野郎でしょ。でも彼はヘタレなんかじゃない。礼儀をわきまえた紳士。私の本能がそう囁く。
だから明日も会う約束をした……。早朝から……森で……会う……。だからもう……寝なきゃ……くぅっ、くぅっ……。
『あはは~、やあムーン』
『雄一様!? きゅ~ん、きゅ~ん。わんわんわん』
小型シベリアンハスキーの雄一様! 超かわいい。抱きしめて、ほっぺすりすりしちゃう。
『ベアードさんって、いい人だね』
『ぎくぅっ。違うんです雄一様。私別に、あの漆黒狼に特別な感情なんて、持ってないんです』
『ぼくは、いい人だねって、言っただけなのに……。特別な感情ってなに?』
『はい。ベアードはいい人。いい人です』
『あはは~。好きなんでしょ? 別に、隠さなくてもいいのに』
『あわわ、だから誤解しないでください。彼はただの友人。気持ちはLikeです。それに引き換え雄一様は恋人。LOVEなのです』
『ライクとラブ、どう違うの?』
『ぎゃあああっ、そんなの感覚で理解してーっ』
ダメだ。何を言っても裏目に出ちゃう。……と言うか、笑ってるけど、雄一様は、どう思ってるの? 私のこと……。私の気持ち……。
いい? 聞くよ? 聞いちゃうよ?
『雄一様?』
『なぁに』
『雄一様は、私がベアードのことを好きになっても、構わないのですか?』
わうぅぅ、聞いちゃった。どうしよう……こんなこと言って、嫌われないかな。いや、これでいいんだ。だって、ベアードと一緒にいる間、ずっと考えてた、ことだもの……。
『構わないよ?』
『へっ?』
『ムーンが、他の誰を好きになっても、ぼく、全然、構わないよ?』
『えっ? えっ? えーっ!!』
夢から覚めた……。どうして? どうしてそんなことを言うの? それって、私の心が、雄一様から離れても、構わないってことだよ?
ひどいよ。雄一様……。
◆◆◆◆◇◇◇◇
「おや、どうされました? ムーン姫」
「え? 何が?」
「随分と目が、腫れておいでのようですが……」
「ううん、なんでもないわ。それより、今日は何をして遊ぶの? ベアード」
「むふふふふっ。今日は、姫を、襲わせて頂こうかと、思いましてね……」
「えっ?」
鬱蒼と茂る薄暗い森。ベアードはそう言うと、私の肩に手を掛けた。
「きゃーっ」
ドコッ!
◆◆◆◆◇◇◇◇
「で? ククヴァヤ爺。鬚髯ベアードに関して、何か分かったか」
「今のところ何も……。しかし、諜報部隊アオバズクを動員して、何も掴めないところを見ると……」
「フンッ! 朱雀……。アスカ・ケッツァコアトルの森か。……アオバズクでは荷が勝つ相手。お前が行ってこい。ククヴァヤ爺」
「はっ! ホーッホーッ」
バサバサバサ……。
「さて、今日こそ二人の間に、進展があれば良いのだが……」
◆◆◆◆◇◇◇◇
「ガルルッ……合気道? 何よそれ。私にエッチいことを、しようとしたんじゃないの?」
「ち……違います……ぅぅぅっ。姫にお伝えしたい、体術にございます」
「ああん? 体術だぁ?」
「この数日間の、遊びを通じて、分かったことがあります」
「遊びって……。駆けっことか、鬼ごっこのことか?」
「はい。そうです」
「それで、何が分かったと言うのか」
「はい。姫は、その身に秘めた膨大な力を、小手先でしか使えていません」
「がうっ、小手先?!」
「合気とは、全身の力を自由に操る方。その基本は、正しい姿勢と、呼吸にあります。しかし、姫は、姿勢も呼吸もバラバラ。力全体の、一割も活用できていません」
「がうっ!!?」
私の脳裏に衝撃が走った。要するに私は、ゲノムインゴッドの力を、使いこなせていなかったのだ。
そしてベアードが言うには、合気の境地へ立つと、相対する敵の力すらコントロールできるらしい。
「本能のまま行動され、自己流色の強い姫には、合気道は難しいかもしれません。ですが、もし、体得できれば、ジュピター様をも凌ぐ力を得ることに、なりましょう」
「あの母上を、倒せる……だと? 合気で……?」
「先程は、合気の心得を、少し経験頂こうと思いましたが……。ふふふ。いきなり股間を狙われるとは思いませんでした……。私もまだまだですね」
ベアードが襲い掛かってきたのは演技。合気の入門をさせようとしていたのだ。そうとは気づかず、キ〇テキしてゴメンね。
「ベアード。私に、合気道を教えてくれる?」
「はい。勿論です。姫」
「姫……ね。くすっ。ムーンでいいわ」
「え?」
「私、何だかあなたのこと、前から知ってるような気がするの。姫って呼ばれると、何だかくすぐったくて。……だから、ムーンって、呼んで」
「……」
「あはは、でも変だよね。いつ会ったかなんて、まるで覚えてないのに」
「……それは……、前世の記憶……に、ございます」
「え?」
「いいえ……。では、参りますよ。ムーン!」