#141 珠殿の暗部 ムーンシナリオ2/8
ムーン視点
私が横たわるベッドの隣に立つのは、人型の、漆黒狼。
その風貌、ジャーマンシェパードそっくりだ。
このヒト、どこかで見覚えがある……ような、ないような。
「だれ……?」
「ムーン姫、俺は……、オレは……。グルゥ……。お気付きになられたようで、安心しました。では、私はこれにて……」
漆黒狼は、それだけ言うと、深く一礼して部屋から出て行ってしまった。
力強い目と、たくましい牙が印象に残った。
ドアが完全に閉じるまで、私の目は、彼の背中を追い続けていた。
「……し、紳……士?」
「アヤツのこと、気に入られましたかの?」
「ぎっくぅっ」
部屋には、ククヴァヤ爺もいた。
「がるぅ。ちょっと、びっくりさせないでよ爺っ」
「ホーッホッホッ、済みませぬ。案内と、潔白証明のため、彼から同席してほしいと頼まれ、仕方なくねぇ」
「じゃあ、私はまだ……?」
「ふぅむ。姫様の純潔は守られておりまする。残念残念ホーッ、ホッホッ」
「あおん……。し……紳士? ……ねえ爺? 何があったの」
「ホッホッ、ホーッ。実は――」
ククヴァヤ爺が言うには、気絶した私に触れようとしたブルドッグが、不思議な力で吹き飛ばされたらしい。
別の若雄もまた、やはり弾かれた。
誰も私に近づくことができない、謎の怪奇現象。そう、あの母上でさえも……。
その中で、漆黒狼の彼だけが、私に触れられたらしい。
彼が特別な存在なのか、特別な魔法で私の防御壁を破ったのか……。
私を抱き上げた彼は、ククヴァヤ爺に私の部屋へ案内させ、ベッドで休ませてくれたのだそうだ。
し……紳士。
◇◇◇◇◆◆◆◆
三者視点
玉座の前に漆黒狼が戻ってきた。
そんな漆黒狼を、他の若雄たちは歯軋りを立てながら睨みつけている。雄一の指輪に拒まれた自尊心を傷つけられつつも、それがかえって雄としてのプライドに火をつけたのだ。
しかし、プライドを傷つけられたのは、ジュピターも同じだった。
「グルル、この私でも破れぬ結界を……。テメー、痺れるねぇ。何者か、答えろ」
漆黒狼は、ジュピターの前に跪き、静かに答える。
「俺は、北方の森から来た。鬚髯ベアードだ」
「シュゼン? 聞かぬ名の狼族だな。て言うかテメー、何故娘に手を出さなかった。強姦しろと言う私の命令が、聞こえなかったのか。ああん?」
「グルゥ。呪いの指輪が、それを許してはくれなかった」
「呪いだぁ?」
「グルゥ……。そうだ。あれは、この世のものではない指輪。役目を終えるまで、解けることのない呪いが掛かっているのだ」
「ぐぬぬ、そうか分かった。あの小僧の仕業だな。なかなか痺れさせてくれるじゃないか……。おいベアード。テメーそのいまいましい指輪を、破壊できないのかい」
「無理だ。この世のものではない。そう、言ったろ……?」
「腕ごと切り落とすってのは、どうだい」
「クククッ……。自分の娘の腕だろうに、随分物騒な作戦だな。だがそれも無駄だ。指輪の願が成就しない限り、呪いは付き纏う」
「キイイイッ。ならば手出しが一切できないと言うのかっ」
「いいや。姫、自らの意志で、指輪を外させてやればいい。さすれば、指輪の使命も果たされ、呪いも消える」
「ほう……。娘の意志で外させるか。しかしどうやって」
「お前が、俺の恋路を邪魔しなけりゃ、外させてやる」
「フッ、フフフフフ……。テメー、うちの娘を、本気で口説き落とす気かい」
「グルゥ……。ムーンには俺の子を、望んで産んでもらう」
「フフフ……、いい度胸だ。久し振りに痺れたよ。気に入った。好きなように、やってみろ」
突然のフィアンセ決定を前に、候補から外された若雄たちは、あっけにとられていた。
しかし、ブルドッグが玉座の前に駆け寄り、ベアードの隣に跪く。ちゃっかりベアードの尻尾を踏みつけてから。
尻尾を踏まれても、ベアードが眉一つ動かさないのを横目に、ブルドッグは鼻息を立てて訴えた。
「ジュピター様。姫様の心を射止めるのは、我にございます」
ブルドッグの訴えに、ジュピターは、興味無さ気に、ただ一言「ほう」と呟いた。
すると、他の若雄たちも競うように列に並び、口々に恋愛バトルへの参加表明を行った。
ベアードは、微動だにしない。
―――グルゥ……。大人しく引き下がってりゃいいものを―――
「さて、ベアード。私はテメーの恋路に口出しするつもりはないが……。コイツら、どうする?」
「ブ男共は、血祭りに……」
「フフフ……。テメーますます気に入ったよ。やれ」
「ガルルルル!」
阿鼻叫喚が王の間を埋め尽くす。高笑いするジュピターと、真っ赤に染まるベアードだけを残して。
◇◇◇◇◆◆◆◆
ムーン視点
私は、念願叶って、雄一様に遭えた。
でも、裏ステータスカードの名前は、裏・ムーン・カオスのままだった……。
なんでだ?! なんで、神谷・ムーン・カオスにならないんだ?!
きっとムウの陰湿な嫌がらせに違いない。
問題はまだある。里帰りの目的だ。
私はベッドに身を任せ、母との一戦を振り返った。
ゲノム・イン・ゴッドの力を以ってして、あの母上には、手も足も出なかった。
ティアの見た、私の予知夢。あの母上を倒せって? そんなの無理ゲー過ぎるよ。
いや、ソレきっかけで、雄一様に出会えた。だとすれば私はもう満足。
「成すべきことは終わったのかもしれない。うん、きっとそうだ。早速、家出しなくっちゃ。これ以上ココにいたら、また母上に何されるか分からないし……」
コツン……。
なんだろう。脱出経路の窓を叩く音がした。ククヴァヤ爺の見回りか?
「違う……? これは、花?」
紫色のかわいい花。まるで十字架をなぞった花だ。
窓を開け、その花を摘まもうと伸ばした手に、今度は花束が飛んできた。慌ててそれを抱き留める。
「キレイ……。ん? メッセージカードがある。なになに? 『咲き誇る、槿花の園を眺むれば、貴女が浮かんでなりません』だって……。きっもっ」
下へ向けた視線の先には、コチラを見上げる漆黒狼の姿。
白い歯を出し、あどけない笑顔で手を振っている。
「し……紳士……」
自然と手を振り返す、自分がいた―――。