#137 天衣無縫 雄一2/3
◇ララ視点◇
修行を終え、新しい目的地へ向かう準備をしていたら、不意に森の奥へと目をやった。
「どうしたの? 雄一君」
「だれか、襲われてる……」
「えっ?」
「ぼく、ちょっと行ってくるね」
「えっえっ? 雄一君? ちょっと待って?」
「ごめん、ちょっと待てない」
彼はそう言うと、森の奥へと消えてしまった。
「プルゥートちゃん。お願い!」
「承知よ、ララさん」
私の足では、とても追いつけない。俊龍の背に乗って追いかける。
「だめ、見失っちゃった?!」
「大丈夫ですわ。雄一様は回り道なんかしたりしない。この方向を一直線に進むはず」
さすがプルゥートちゃん。頼りになるわ。
樹林を掻い潜った先で空間が少し開けた。
「ギエエッ」
その時、恐ろし気な悲鳴が、森を駆け抜ける。
ブンッ。
そして、次の瞬間。巨大な影が私たちの、すぐ横をかすめ、ずしんと地面を揺らした。
それは怪物蜘蛛の頭だった。
「雄一君が斬ったのかしら」
「この斬撃跡……。まさか……父上の……?」
切り口を見たプルゥートちゃんは、青ざめた様子で周囲を警戒している。
私も周辺に気を配るが、誰の気配もない。代わりに、蜘蛛糸でできた団子が転がっている。
中身は、彼に違いない。すぐに出してあげなきゃ。
ナイフで穴を開けると、無事に頭が出てきた。
「ぷわっ。はーっはーっ、ふうっ。間に合った。ありがとララ姉ちゃん」
「間に合った? あら? この人は」
「ほえ、ほえ、ほえ」
糸団子の中から、もう一人。今にも朽ち果てそうな老人が、虫かごを持って出てきた。なるほど、このおじいさんを庇って団子になったのね。
「母ちゃんの服。母ちゃんの服~……」
おじいさんは、虫かごを置くと、藁でできた粗末な上着。その袖口の破れたところを、すっごく気にし始めた。
「おじいさん。そんなに落ち込まなくても大丈夫よ。その服すでに、煤けてボロボロだから」
「おろろん。おろろん。母ちゃ~ん……」
「あの、おじいさん? こんな危険な森で、何をしてらっしゃるのですか?」
「母ちゃ~ん。うちへ帰りちゃ~」
「あの、お名前は?」
「母ちゃ~ん。うちへ帰りちゃ~」
「お国はどこですか?」
「母ちゃ~ん。うちへ帰りちゃ~」
ダメだわ。全然会話にならない。目もどんより曇っているし、痴呆が随分と進行しているみたいね。
「うわあ~、虫かごに、珍しい虫がいっぱいいるよ。これは、山繭蛾。かなぁ?」
「うあっ、ばか! ばか! おろろ~ん! おろろ~ん!」
あらら。雄一君に虫かごを取られて泣き出したわ。雄一君、慌てて返したけど、怒って、雄一君に掴み掛かってる。
「助けられておいて、この始末。雄一様、こんな子泣き爺このまま放置致しましょう」
「プルゥートちゃん、いくらなんでもそれは酷いよ。雄一君がせっかく助けた人だし」
「ララさんはまさか、要介護レベルMAXを連れて、次の目的地へ向かうつもりですか?」
「まあまあ落ち着いて。自宅に届けられる方法を考えましょ? う~ん、そうね。地理的に、ここはオクトスロープの国境付近。このおじいさん、きっと、徘徊している間にここまで来ちゃったんだと思う。……国王キュウキを訪ねれば、何か分かるかも……」
「それは名案ですわ。最悪この爺、キュウキに擦り付けてやりましょう」
「そういう意図はないんだけど……プルゥートちゃん、どれくらい掛かりそう?」
「二分で着きますわ」
プルゥートちゃんは、私と彼を背に乗せる。でも、おじいさんを乗せるのが、どうしても嫌なご様子。
結局、おじいさんを爪に引っ掛けて飛び立った。まるで汚物を扱うように……。
「ぶら~んぶら~ん。ぎゃはは」
吊り下げられたおじいさんは、空の旅を満喫しているご様子。
よかった。
◇◇◇◇◆◆◆◆
魔獣人族の国オクトスロープ 玄武キュウキ視点
救世主、神谷雄一。位階授与式にてラブコールを送ってやったのに、一向に訪れない。
裏ステータス判明? 正体は伝説の鬼神オーガ? んなこたあ、どーでもえーんだ。わしが知りたいのは、神谷がムウ様に遣わされた真の目的だ。
ムウ様の予言は、いずれもその年に起こっている……。
つまり、間もなく厄災は復活する……。
その時、殆どの生命が失われるのか。救われるのか……。
いずれにせよ、世界がひっくり返る程の大革命が起こり、新時代が幕を開けるのだろう。
だとすれば、雄一の真の能力を見極め、備えをせねばならぬ。
新時代、世界の覇権を握るのは、メガロスではない。
この魔獣族国家オクトスロープだ。
ああ、イライラする。今、どこにいるのだ神谷。一刻も早くお前に会わねばならぬのに……。お前がこの国の命運を握っていると言うのに……。
いや、わしはただ、お前に会いたいだけなのかもしれん……。
お前の起こす革命を、ただ誰よりも近くで、見たいだけなのかもしれん……。
コンコン! ガチャリ。
「急報につき、失礼します。キュウキ様」
「なんじゃ、シャドー・アラフニ。瞑想中は、神谷関係以外で声を掛けるなと言っておるだろう」
「はい。その神谷がキュウキ様を訪ねてきました」
「ぬわんじゃとおっ! それでっ、神谷は、今、どこにいるっ」
「例の矢倉に興味を持たれ、探索しておりますが。こちらへ連れて参りましょうか」
「よいっ、わしが行く! 案内に要する時間が惜しいわい」
「はっ」
よしよし、よぉし! やっと神谷が訪ねてきた。
裏ステータスの示した数億の数値。しかし、神谷の持つ真の力は、ステータスで測れるものではない……。
奴の目の奥を覗いた時、わしは、黒い巨木が立ち並ぶ、謎の密林にいた。
そこを飛び交うは、無数の神谷の同一魂。
あの場所は一体何だったのか……、何度もあの光景を考え、ようやく分かった。
あそこは、神谷の頭皮だったのだ。黒い巨木と思っていた物は、神谷の髪の毛一本一本だったのだ。
想像を絶する器の持ち主。神谷はマジでヤバイ化け物だ。ムウ様の、彼に賭ける本気度が伺える。
「キュウキ様。こちらの控室に、お通し……わわっ」
「どけっ!」
どーん!
一枚の仕切り板すら煩わしい。わしは矢倉の扉を蹴破り中へ入ってやった。
脅すつもりはなかったが、駿竜に警戒感を与えてしまったようだ。
「危ない雄一様! 私が盾に……」
ええい、雄一の前に立ちはだかるな。わしは、雄一の目の奥を覗きたいだけだ。
「すまんな俊龍。親父殿には恩義もあるが、今は相手をしてやれん。茫洋荊棘鎮守」
「なっ、縄!?」
ぐるぐるぐる!
「きゃあっ! うっ、動けないっ!!」
噛み切ろうと藻掻いているが無駄なこと。それは宇宙一硬い、わしの鎧甲でできた縄だ。
さて、わしの仮説だと、ムウ様によって神谷に与えられた能力の神髄は……。
「危ない雄一君! 私が身代わりに!」
むむっ、神谷の瞳孔を目前にして、またしも邪魔が……んん? この女、見覚えがある。ララとか言う魔導騎士だな。
「茫洋荊棘鎮守」
「あっ!?」
くるくるくる!
「こっ、この縄……、魔力を通さないっ!!?」
よし、これでもう邪魔は入るまい。
さあ、神谷の持つ、能力の神髄は、魂の感染後にある。とすれば、現在の神谷の魂は、相当数……?
「うちへ帰りちゃ~」
なにぃ、今度はきったねえジジイが現れた。コイツもアラフニに捕縛させ……。ん? このジジイは。
「ねーねー、キュウキの王様。このおじいちゃん。だれ?」
「ヒ、ヒサ! お前、ヒサ・オクトリバか! 良かった、無事だったか! うっ、その藁の羽織は、ミサ・オクトリバの……」
「ミサ~、母ちゃ~ん、ミサ母ちゃ~ん」
「良かったねおじいちゃん。お名前わかったよ? ヒサ・オクトリバだって。あれ? どこかで聞いたことあるお名前だよ?」
織師、ヒサ・オクトリバ。
彼が紡いだ糸で織った生地は、まさに天衣無縫。最高級の美しさと着心地が得られるだけではない。
時には幸運を招き、良縁を結ぶ。そして主人の危難には、その身代わりとなる。
そんな「生きた着物」を生み出す伝説の織師だ。
神の手を持つ者にして、我が国の人間国宝。いや、動く世界遺産だ。死んだとばかり思っていたが、まさか神谷にいざなわれるとは……。
「あ、思い出した。ぼく、位階授与式の衣装を、ヒサおじいちゃんの生地で作ったんだよ」
「うちへ、帰りちゃ~」
「おいヒサ! この矢倉の仕掛け。わしとお前で作った対厄災の仕掛けだ。覚えておるか? おい! ヒサ・オクトリバ!」
「うちへ、帰りちゃ~」
「くそっ、やはりダメか」
「ヒサおじいちゃん。ずっとこんな感じなの」
「ああ。半年前からこうなんだ」
◇◇◇◇◆◆◆◆
神谷の奴、この一カ月で随分と変わってしまったな。気配が、まるで別人のような印象を受ける。洗練でもされたのか?
早く目の奥を覗きたいところだが、今はヒサ・オクトリバだ。
「ヒサ・オクトリバの作品は、数百万単位の高額で取引されている。だが、製造する本人は、つましい生活を送っていた。それは彼が、得られた財の殆どを、国や公共の施設へ寄付していたからだ。わしもこれまで、どれ程助けられたか……。敗戦後などは特に、ゴニョゴニョ……」
「おじいさん、ずっと慈善活動を……?」
「んっん、ああ、そうだ。彼はまさに摩頂放踵。他人の幸せを願い続けた聖人だった。それなのに……天も残酷なことをする」
「天? 何があったの?」
「半年ほど前、ヒサ・オクトリバの工房に、巨大な落雷が落ちた」
「なんですって?」
「幸い、ヒサ本人は外出中で無事だった。だが工房には、最愛の妻、ミサ・オクトリバがいた」
「まさか、それじゃあ」
「ふむ。ヒサ・オクトリバの全てが、灰となった」
「そんな、なんて酷い」
「ヒサが今、着ている羽織は、若く貧しき頃に、妻ミサのために織った逸品」
「まさか?」
「落雷による火事から、ヒサの羽織は、ミサを守ったはず。しかしミサは羽織を脱いで抱き締めた。ミサは、己の身より、ヒサから貰った、この羽織を守ったのだ」
「奥様の形見……。だから破れたところを、あんなに気にしてたのね。うううっ……可哀そうに」
聞いているのかいないのか、神谷は茶菓子に夢中か……。この姿を見ると、以前と何も変わっていないようにも見えるな。
「ヒサは、そのショックで頭が狂ってしまった。わしは、何とか正気を取り戻してもらおうと、精神病院で治療を受けさせた。だが、回復の兆しはなく、それどころか、何度も病院を脱走し、とうとう行方不明となってしまったのだ……」
「ミサ母ちゃ~ん。わしゃあ、うちへ……うちへ、帰りちゃ~」
「ああ、我が友ヒサよ……。失った妻を、家を、今なお探しておるのか」
「吃音症に悩まされていた私には分かりますわ。ヒサにとっては、頭を狂わせることが、生きるための防御手段だったのでしょう……」
「生きる手段か……。そうかも知れぬな。わしも万策尽きた。これからは、無理な治療はせず、穏やかな余生を送れるように配慮しよう……」
「あはは~。だいじょうぶ。だよ?」
なんだ神谷のやつ。急にしゃべりだした。と言うか、話、聞いていたんだな。
「神谷、一体何が大丈夫なのだ」
「ヒサじいちゃん、きっと戻ってくるよ? だって、心はまだ、ここにあるから」
「ふうむ」
確かに、心はヒサの中にある。しかし、わしには見える。彫刻のように精巧で繊細なヒサの心は、無残に砕け散っている。
ヒサの治療に特効薬など無い。意思もなく、さまようだけの生きる屍のようになってしまっては、自己回復も難しいだろう。
だが、どうしてだろう。神谷が言うと、本当に大丈夫な気がしてくる。
ああ、そうだ。そう言えば、まだお前の眸睛を覗いていなかったな……。
「神谷。少し、お前の目を……」
「プルゥートちゃん、メガロスまでは、どれくらいで着く?」
「あれれ? 神谷?」
「五分もあれば十分です」
部屋の中で、ドラゴンに乗りこむ連中。イカン。イカンぞこの流れ。
「おい、神谷! わしに背を向けず、コッチを向けっ! おいっ神谷!」
「キュウキの王様ありがとう。それじゃあ、ぼくたちもう行くね」
「バカなこと言ってないで。コッチを向けってばっ」
「ぼく、急ぐから、ごめんね。それから、ごめんね」
「何故、二度謝る」
「プルゥートちゃん。部屋の壁もろとも吹き飛ばして、メガロスへ向け出発! だよ」
「かしこまりました。雄一様」
「この矢倉の壁を吹き飛ばす?! ざけんな神谷!」
どっかーん!
「わーっ、矢倉ごとぶっ飛んだ! このドアホ! 壁だけで、すんでねぇじゃねえか!」
「だから、ごめん。ごめんね」
「待て神谷! 仕掛けが無事なら矢倉のことはいい。許すから目を……せめてわしに、目を見せろ!」
ばひゅん!
「だーっ! ちっきしょー行っちまいやがったああぁっ!!」
行ってしまったか。お前の能力同様、どこまでも自由な奴よ……。ん? なんだ? 感じる……。見えるぞ? お前の姿が、こんなにも近くで……。
『あはは~。み~っけ?』
ふっ。ふははは……。これが脳筋能力の神髄か。どうやら憶測通りのようだ。
ならば頼んだぞ? 世界……、いや、ヒサのことを。