#133 旅立ち
旅立ちの朝。
これまでになく、静かな朝。
大聖堂に、ティアの召喚獣は、もういない。
多くの者は、アース王、直属の軍へ入隊した。一部の者は、自分のクニへと帰っていった。
料理長ガロプラも、その一人だった。
「ガロプラさん。いつも、おいしいごはんを、ありがとうございました」
「雄一様。あなたの料理を作るのが、楽しくて仕方ありませんでした。名残惜しいです」
「ティア様、またいつかお会いできる日を楽しみにしています」
「うむ。これは、旅の路銀と、開業資金だ。退職金ではないぞガロプラ、また会おう」
「ありがとうございます」
正門で、何度も振り返るガロプラを、雄一たちは見送る。
「さあ、今度は、私の番ね」
「ちがうよ、ティアちゃん。私たち、だよ?」
大聖堂は、今日、国に明け渡される。雄一たちもまた、旅立たねばならない。
「わうう。今生の別れってわけでもないけど、寂しいよお」
「大丈夫よ、ムーンちゃん。皆、ステータスカードをリンクさせた」
「用事が済めば、雄一君を目的地にすればいいよ」
「わうう~、それでも、寂しいものは変わらないよぉ」
ティアは小さなリュックを背負った。
「そうね、寂しいけど、笑顔のままで別れたい」
「だから私、もう行くわね」
「ちょっと待って? ティア様」
雄一は、別れを切り出すティアを呼び止めると、ポケットから、小さな金属の輪っかを、取り出した。
「うっ、なによ。これ」
「なにって、指輪だよ。昨日、一生懸命、作ったの。ティア様に、あげる」
それは、雲で作った指輪だった。光の角度でキラキラとプリズム光沢を放っている。
『雄一ったら、私に告白を? やだ、こんな時に? うそでしょ?』
ティアの目が潤む。
「ゆっ、指輪だってことは、見りゃ分るわよ」
「ど、ど、どういう意味かって、聞いてんのよ」
すると雄一が、ティアの左手を取り、薬指に指輪を通す。
『うそ、これって、まさか、噂に聞く、エンゲージリングってやつ?』
『雄一ったら、告白、通り越して、プロポーズ?』
『別れの日にそんなっ。わっ私の、心が……』
踊る乙女心。高鳴る動悸。揺らぐ決意。
雄一は、ティアに向かって、口を尖らせる。
『雄一が、口をすぼめて……。これは、ち、誓いの……』
ティアは、うっすらと口を開け、瞼を閉じる。
「む」
「む?」
「無病息災」
「指輪って、元々、魔よけや厄払いの願いが、込められてたんだって」
『ですよね~っっ!!』
「はい、次はムーン。風邪ひかないでね」
「あは、あはは……はい。ありがとうございます」
「少し、ドキドキしましたわん」
「ララ姉ちゃんも、はい」
「うふふ、ありがと雄一君」
「私も、先を越されるのかと、思ったよ」
「もちろん、プルゥートちゃんにも、あるよ」
「光栄です、雄一様」
「青春、ですね」
雄一が、皆の薬指に、お手製の指輪を、順にはめていく。
『ド畜生が! なんで、わざわざ左手、薬指なんだっ』
どかーん、どかーん。
『んな訳ないって分かってても、期待するだろ。ばかばか、ばかーっ』
ちゅどど~ん。
その間、ティアが、ふくれっ面をして、なにやら地面に八つ当たりをしていた。
「あはは~、ティア様、元気だね」
「るっさい! 鬼に代わり、私があんたを殺してやろうかっ、この脳菌!」
「あ、ほんと、そうだね。その手が、あるね」
ティアの冗談に、雄一も冗談で返す。
いや、雄一は冗談で返したのだろうか。
まるで、ティアの冗談を真に受け、本音を答えたように聞こえる。
それが、ティアにはとても悲しかった。
「冗談じゃないわよ……」
「え?」
「私の覚悟を、ばかにしないでよ」
「そんな手、ないわよ……」
「ティア様?」
「そんなのが、手であってたまるかー!」
「あんたは絶対、私が助けるんだ! その為の、今日の別れなんだ!」
「だから、だから雄一! 私が帰ってくる前に、誰にも勝手に殺されるんじゃないわよ?!」
「ティア様」
「るっさい! ティア様じゃない! 私はもう、枢機卿でも何でもない! ただの女だ!」
「だから、だから雄一。あんたは、私のことを、ティアと呼べばいいっ! ――くっ、ウッ!」
ティアは、抑えられない、熱い感情に襲われ、慌てて閉口する。
『こっ、これは……ま、まずい。このままでは……』
『うううっ、ここは、気合と根性で、荒ぶる魂を鎮めるのよ。……ひゅうぅぅぅぅ……』
頭を下げ、胸に手を当て、静かに、ゆっくり深く、息を吐く。
『すーっ、すーっ……ふうっ。あ、危なかったわ』
なんとか、踏みとどまったようだ。
一息ついて、下げていた顔を上げると、雄一が優しい笑顔で、両手を広げていた。
「大丈夫、また、会えるよ?」
「うわあああん」
瞬間だった。
気合と根性によって補強、補修を終えた、様々な何かは、瞬間で弾けた。
ティアは、雄一の胸に飛び込み、全力で泣きじゃくった。
「うわあああん、うわああああん」
雄一に抱かれ、頭を撫でられるティアは、首を左右に振りながら、彼の胸に、顔を押し当て続ける。
『子ども扱いしないで! 私の方が年上なんだ! 聞いてるの? 私は、大人の女性なんだー!』
気持ちが声にならない。気持ちは全て、泣き声に変わる。
『はははっ、ダメだこりゃ。自分が自分じゃないみたい。どうやっても、泣いちゃう。雄一の胸で』
『今なら、ケッツァコアトルの気持ち、分かるかも』
『また、会える? そんな保証、何処にもないじゃない』
『ねえ? 雄一。聞いてる? 聞こえてる? 私、本当に、あんたのことが……』
「よしよし、もう、泣かないよ? ティア様」
「あれ? さま、付けちゃった。あはは~、練習しなきゃね」
「うわああああん」
『ばか! 雄一の、ばか!』
『様、取るくらい、難しいことじゃねーだろ。何が練習だ』
『もっと強く抱きしめろ、ばか! この脳菌! 脳菌! のーきーん!』
ティアの鳴き声は木霊となって消えていった。
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