#131 虎穴
「ナア・ユウイチー・ムーンヲ・オレニ・クレヨ」
「あはは~、ちょっと黙っててくれる? シゲルさん」
「オマエニハ・ホカニモ・ビジョガイルンダ・イッピキクライ・ケチケチ・スルナヨ」
「イイカ・ユウイチ・イチドシカ・タノマネーゾ」
「でも、さっきから、同じこと何回も言ってるよ」
夕暮れ時の図書室には、雄一と、シゲルの姿があった。
雄一は、大人でも開かないような難しい書物を捲りながら、紙に、たどたどしい文字を並べている。
「コノカラダノ・カンカク・スゲーンダヨ・ナマモノイジョウダ」
「オレ・アノモフモフヲ・ズーット・ナデマワシテ・イタインダ」
「ナァユウイチー・イイダロー? タノムヨー・クレヨー・ムーンクレヨ―」
「そんなこと言って、お嫁さん怒らないの?」
「アアン? ヨメダア? アンナ・ワガママナ・オンナハ・モウゴメンダゼ」
「ジブンカラ・コクハク・シテキテオイテ・オレカラ・プロポーズシロ・トカ」
「ダイタイ・シンダオンナヲ・ドウヤッテ・ダクンダ?」
「オレハ・オンナノカラダヲ・モフリタインダ」
「あはは~、シゲルさんはエッチなの?」
「オウ! オレハ・エッチダゼ!」
「ジマンジャ・ナイガ・エッチデ・オレノ・ミギニデルモノナドイナイ」
「オレハ・エッチデ・セカイヲ・スクウ・オトコダ!」
「あはは~、すごいんだね。シゲルさんは」
「エッチトハ・エロースダ・エローストハ・アイダ・アイハ・チキュウヲ・スクウノダ」
「あ。愛は、地球を救うって、それ、どこかで聞いたことあるよ」
「オッ・アイガ・ワカルカ・ユウイチ」
「ヨーシユウイチ・シゲルサンガ・アイニツイテ・ハナシテヤロウ」
「エーット・ココニハ・セイショ・エロホンガ……ナイミタイダナ」
「シカタガナイ・リンジョウカンハ・オレノ・トークテクニックデ・オギナオウ……」
十歳の雄一相手に、大人でも、聞くに堪えない下ネタを、連発し続けるシゲル。
シゲルの下衆なオヤジ化が半端ない。いや、口が利けなかっただけで、これが本性だ。
「……トマア・ショシンシャヘンハ・コンナトコロダ・ワカッタカ?」
「んーん。全然」
「ククク・オコチャマノ・ユウイチニハ・ジュウネン・ハヤカッタ・カナ」
「シゲルさんは、大人なの?」
「オウ・オレハ・オトナダゼ」
「ウマレタ・トキカラ・オトナダ」
「オレハ・コノヨデ・イチバン・ナガク・オトナノ・オトコヲ・シテイル・ト・イッテモ・カゴンデハ・ナイ」
「ふ~ん。たしかに、子どもは、そんなこと、言わないもんね」
シゲルが、得意げに胸を張る中、雄一は書き終えた文書に、サインと血判を入れた。
「わーい。おてがみ、できたー」
「ソリャ・ヨカッタナ・オコチャマ・ユウイチ」
二枚の文書を封入すると、雄一は、肩でため息を吐いた。
「でもね、シゲルさん。それは、大人とは、少し違うと思う」
「ナンダト?」
「きっと、本当の大人も、そんなこと言わないから」
「ガガー・ピー……エラー・ガ・ハッセイ・シマシタ」
「……クハッ・アヤウク・エーアイガ・フットブトコロダッタ……」
「オイ・ユウイチ・オマエ・オレヲ・オトナノ・オトコト・ミトメナイノカ?」
「あはは~、そうは言わないけど……あれ? そんなことより、シゲルさん。お客さん、みたいだよ」
「フン・ソレハ・トックニ・ワカッテイル」
いつの間にか開いている窓。
生暖かい、湿った空気が、雄一の首を撫でる。
「ヒヒヒ、俺様に気付いたか。ゴミクズステータスのくせに、生意気な」
図書室中に響く不気味な声。しかし、声はすれども姿は見えず。
雄一はキョロキョロと首を動かしている。溢れんばかりの笑顔で。
「ほんと、すごいよね。体を霧みたいに小さくして、結界の網の目を、潜ってきたもんねえ」
「なっ、何故それを」
「ククク・ナンダ・カクレテイル・ツモリ・ダッタノカ」
「オレノ・マドウカメラデモ・ヨク・ミエテルゾ?」
「ま、魔導カメラ? 着ぐるみパンダが、何を言ってる」
「ホホウ・レイギヲシラヌ・キャクジン・ダナ」
「ドレドレ・トリアエズ・ツカマエテヤロウ」
「捕まえる? ヒヒヒ、何を愚かな。手で霧状のモノが掴めるか」
「ククク・オロカハ・オマエダ」
「バババキュ~ム!」
シゲルは、顎を上げると、パカリと口を開け、凄まじい勢いで漂う空気を吸い込む。
ギュイイイイイン!
「ぐわあ~っ」
吸引仕事量、三十万エアワット。秒速、約七十キロリットルを吸引する空気のうねり、バババキューム。
本棚に鎮座していた大量の本までが、桜花のごとく舞い上がり渦状に繽紛する。
そうしてシゲルは、瞬く間に、図書室に漂っていた、ディーを吸い取った。
「オクサン・ホカトハ・キュウインンリョクガ・チガイマス」
「イマナラ・ゼイコミ・ヨンキュッパ」
「オイソギクダサイ」
「シゲルさん。冗談言ってないで出してあげて? せっかくのお客さんに、失礼だよ」
「ナニ? シツレイ?」
「オレノ・ナカデ・ジュウニブン・オモテナシ・シテイルゾ?」
「マア・イイ・ダシテヤルカ」
シゲルは、軽く両腕を折り曲げ、がに股、中腰になると、尻を突き出す。
「マルヒ・オウギ・バクレツ・ヘダン!」
「ぷっぷっくぷー!!」
べちゃっ!
丸秘奥義、爆裂屁弾。強烈な、おならと共に、黒ずくめの男、ディーが床に転がった。
下品!
シゲルの、やること、なすこと、全てに品がない。
「おええ~くっさ~っ。最悪の気分だあ~」
「ナニヲイウ」
「コノ・ジャスミンノ・カオリハ・サービス・ダ・ゾ」
「それにしても、スゴイ音だったね」
「ラッパみたいだった」
「ワッハッハ・オレノ・ゼンシンハ・カンガッキノヨウナ・ツクリヲシテイル」
「ナンナラ・コレカラ・へオンキゴウ・ヘチョウチョウコウキョウキョク・ヲ・イッキョク・ブッパナソウカ?」
「あはは~、それはまた、しかるべき時にお願いするね」
バサバサ!
雄一とシゲルが下らないことを話していると、ディーが数多のコウモリとなる。
「このクズさえ、殺してしまえば、ココに用など無い!」
ディーは、雄一の背後で再び実体化すると、雄一の首を絞め上げる。
「うわわっ。なになに?」
雄一は、ディーを振り払おうとするが、全身を液体の様に流動化させるディーを捉えられない。
更にディーは、雄一の全身を、纏わりつくように覆ってしまった。
「ヒヒヒッ。このゲル形状ならば、吸うことはできまい」
「このまま、頸動脈を掻っ切ってくれる。死ね脳筋!」
「オロカナ・キサマナド・キュウインハモチロン・ツカムコトダッテ・デキルゼ」
「負け惜しみを……」
がっちり!
「オマエハ・スデニ・ブンセキズミダ」
「なにぃ!」
シゲルは、雄一に張り付いたディーに手を掛けると、ぺりっと引き離した。
「ぐわあっ!?」
「アッシュク・カイトウ・ハ・マッシ―ンノ・オハコダゼ」
「オット・ナニヲ・ニゲヨウト・シテイル?」
ずしん!
逃げようと、もがくディーを、シゲルが足で踏みつけた。
「ぐええっ」
「おのれ、この上は脳筋の血を吸って思いのままに……」
「ククク・ワルイコトハ・イワン・ソレダケハ・ヤメテオケ」
「ギヒヒ、さてはそれが脳筋の弱点だな」
「アホ」
すかさず、シゲルがディーに囁く。
「ムダナドリョクハ・モウヨセ」
「オレハ・オマエヲ・ブンカイ・スルコトモ・デキルンダゼ?」
「ぶ、分解!?」
「ククク・オマエヲ・ヘニスルコトダッテ・デキルッテコッタ」
「ナルカ? オレノ・オナラニ」
「ひぎい、そんな、ヒドイ……」
ディーは、潰されたカエルの様に、手足を床へ、ポトリと落とした。
品格は最低だが、脅しの効果は抜群だ。シゲルは、MKPの持つ能力を活かして、ディーの心をへし折った。
「ふう。あー、びっくりした。あれ? どうしたの? この人、震えてるよ?」
「キニスルナ・ユウイチ」
「はじめまして、ぼくは……、神谷雄一です。あなたは、だあれ?」
「し、失礼します。私、エッフェルと言う、しがない郵便局員です……」
「ウソツケ・コノ・ダボ」
シゲルのライトフックがディーの鳩尾に深々と刺さる。
「ぐほおっ! うっ、嘘などでは。こ、これを……」
「ホウ・ミブンショウカ……ククク・ヨクデキテイルガ・コレハ・ニセモノダ」
「キカイノメヲ・ゴマカセルト・オモウナヨ」
「オイ・ホントウノコトヲ・イエ」
「ミギテヲ・オナラニ・カエルゾ」
「しええっ! やめてくれぇっ」
シゲルに掴まれたディーの右腕が、白い泡を噴き出し始める。
「エッフェルさんは、郵便屋さんなんだね。丁度良かった」
「ユーイチ・オレノハナシ・キイテイタカ?」
「このお手紙を、メガロスのお城にいる、リング・ベンサルさんに渡しておいてください」
「オイ・コイツノ・ミギウデハ・イマ・オナラニ・ヘンカンチューダ・アブナイカラ・サワルナ」
シゲルの警告を無視して、ディーの泡立つ右手をとり、封筒を手渡す雄一。シゲルはやむなく、蛋白質屁変換作業を中止した。
「ほ~っ、た、助かった……」
「チッ・ユウイチノ・オヒトヨシニハ・ツイテイケナイゼ」
「オラッ・タテ・エッフェル」
「えっ? なんで?」
「トドケニ・イクンダローガ・ソノ・テガミ」
「ういいっ!? まさか、お前と一緒に?」
「アタリマエダ・ニゲラレルト・オモウナヨ? ククク」
シゲルが、乱暴にディーの首根っこを掴み上げる。
そして、手紙を届けに、図書室を出ようとした。
その時、シゲルが立ち止まる。
「オコチャマデ・オヒトヨシノ・ユウイチ」
「オマエニ・ヒトツ・イッテオキタイ・コトガアル」
「なあに?」
「……イヤ・ヒトツ・キキタイ」
「オマエ・ホントウハ・オレガ・ナニモノカ・シッテイルノカ?」
「うん、知ってるよ。命茂らすシゲルさん、でしょ?」
「イノチ・シゲラス? ククク・ソレデ・オレヲ・シゲルト・ナヅケタノカ」
「そーだよ。違うの?」
「……」
「フッ・ソウカ……。イヤ・ナラバ・ナニモイウマイ」
「マタナ・ユウイチ」
「うん。またね、シゲルさん」
「……」
雄一に背を向けたまま、図書室の扉を開け、ディーの尻を蹴飛ばして退出するシゲル。
一人になった雄一は、散乱した本を元の場所へと片付ける。そして今度は、パンツにしていた雲の塊を机の上に広げ、粘土のように捏ねだした。
シゲルが、再び大聖堂に戻ることは、永久になかった。