#130 陽炎
「そう言うことで、こちら側の要求は全て通り、承認を貰った。安心して移籍するよう、皆にも伝えておいてくれ」
「御意」
「長い間、隊長として、苦労掛けたな。紅」
「身に余るお言葉、恐悦至極にございます」
「ですが、ティア様、本当によろしいのですか。明日で」
「うむ。あほの雄一のせいで、二日も予定が遅れてしまっている。明日でいい」
「いいえ。むしろ、この二日で、気持ちの整理を付けられた者も、多くおります。」
「雄一様の治療に当たられる、ティア様の献身的なお姿に、心打たれて……」
「心打たれて? ふっ。勘違いも甚だしい」
「私は単に、新たに得た再生魔法の練習をしていただけだ」
「雄一の心配など、微塵もしてなかったわ。あは、あは。あははは~」
「……」
ティアが、笑顔で泣いている。
『ティア様、私たちばかりか、雄一様までを避けて……』
『どうして、このようなご決断を、なされるのか……』
紅は、自分を偽り続けるティアの姿を見ていられず、アトラスを連れて退出した。
お辞儀を済ませ、ぱたりと閉めたドア。その真横の壁に、背をもたれた、ララの姿があった。
「ぎくりっ」
「うふふ、本当は、言いたいこと、聞きたいこと、山ほどあったよね」
「そこを、あなたは、我慢した。堪えた。立派だったわよ。紅さん?」
「ララ様」
「でも、私は我慢しない。そこ、通してもらっていいかしら?」
紅とアトラスの間を通り抜けようとするララ。その前に、アトラスが立ちはだかった。
「待て。紅様への皮肉、見逃すわけにはいかん!」
「アトラスやめて」
「ララ様、聞いてください。私共は、主から突然、契約解除を通知され……」
「知ってるわ。事情は全て、料理長ガロプラさんから聞いたから」
「アトラスさん。メガロス軍の将軍就任おめでとう」
「ふん。お飾り愚王の下で、おめでとう、だと? 冗談はやめてもらおう」
「うふふ。浮かれていないようね。安心したわ」
横目で睨むアトラスを無視して、ドアに手を掛けるララ。
その手を紅が掴むように重ねた。
「ララ様、お願いします。」
「本当は、誰もこの決定に納得していません。ティア様と共にあれるなら、誰も死すらも厭いません」
「ムウ様の予言だって関係ありません。ですから、ですから……」
ララが、紅の手に、もう一方の手を優しく重ねる。
「うふふ。いい覚悟ね紅さん」
「ララ様、では……」
しかし、ララは、静かに紅の手を引き剥がした。
「ララ、様?」
紅は、懇願を訴える目を更に強くする。それに対し、ララは小さく首を横に振る。
「でも、ティアちゃんの覚悟は、きっと、それ以上に強いものだから」
「そんな……ララ様」
部屋の中に入るララの後ろ姿に、紅はガックリ項垂れ、下唇を噛んだ。
「大丈夫。きっと、またいつか、一緒に暮らせるよ。」
ドアが閉まる瞬間、紅は、確かにそう聞こえた。
「ララ……様?」
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「ふ~ん。広いばかりで、随分と落ち着いた部屋なのね。もっと、かわいいかと思ってたのに。ざ~んねん」
「余計なお世話よ。それよりララ、趣味が悪いわよ。盗み聞きなんて」
「うふふ、愛されてるわね。ティアちゃん。でも、今回ばかりは、それが裏目にでちゃったね。辛かったね」
「それも、余計なお世話。元々私は一人が性に合うの」
「悪いけど私、今も一人になりたいから、出ってってくれる? ララ」
「うふふ、一人になりたいんじゃなくて、一人で旅立とうとしてるんでしょ? ティアちゃん」
「ふん、相変わらずの、勘の良さね、ララ。一瞥記憶能力を失くしたくせに」
「あら、褒めてくれて、ありがと」
「別に褒めてないわよ。ミルクティ? それともアップルティ?」
「アップルで」
眉間にしわを寄せながら、ティアは、二人分のお茶を用意する。
お互いに、相手の出方を窺っているのか、目は合うが、口は動かない。カップから立ち昇る湯気が、細くなるまで沈黙が続いた。
「どうして、一人で行くの? 皆と一緒じゃだめ?」
ようやく出てきたララの質問に、ティアは落ち着き払った様子を見せて答える。
「ふん。ムウの予言書よ」
「雄一君が解読した、メッセージのこと?」
「っそ。ムウは、儀式の為だけに生きた私に、これからは、自由になっていいと言った」
「そして今、私は強大な力を手に入れた。ハッキリ言って、もう何も怖くない。だからこれからは、誰に縛られるでもなく、好き勝手に生きるんだ」
「それに引き換え、ムウは、ララにこう言った。雄一たちをよろしくと」
「大変よね~、天真爛漫な怪物を任されて。私じゃ荷が重すぎるわ。あいつが、何考えてるか、未だちっとも、分かんないし」
「でも、才色兼備のララなら私も安心だわ。神谷・ララ・イクソスだし?」
「どお? これで、満足した?」
「目に涙が浮かんでるよ? ティアちゃん」
「うっ」
慌ててララから顔を逸らすティア。
ティアは、逸らした顔を天に向けた。そして、頬を小刻みに揺らしたり、瞼を波打つように動かしていた。まるで百面相だ。
しかし結局、袖口で瞼を乱暴に拭いた。
「雄一君の裏ステータスを調べた時、ティアちゃん、驚いてはいたけど、私たちのそれとは違った」
「知ってたんでしょ? 雄一君に棲む鬼、守天雄一のこと」
「それに、その後のラークさんへの提案も、とても不自然に感じたわ。まるで、ラークさんの求める答えが聖道にあることを、知っているかのようだった」
ティアは否定も、肯定もしない。ただ、押し黙り、不安げな表情を浮かべている。その弱気なティアを呑み込むように、ララは目に力を籠める。
「……見えるのね、ティアちゃん」
「未来が……」
ティアは、唇を噛んで、大きく横に首を振る。二度、三度。振る度に音もなく床が濡れる。
「えっく、えっく。ララなんか、嫌いだ。ムーンも嫌いだ。えっく」
「紅も、アトラスも、みんな、みんな、嫌いだ……雄一なんか、大嫌いだ! えっく、えっく」
ララは、そんなティアを、迎え入れるように全身で優しく包み込む。
「ティアちゃん。あなたはこれまで、多くの過去を一人で背負ってきた」
「その大いなる力は、何度もあなたを傷つけ、とっても辛かったでしょう」
「その上、今度は、皆の未来まで背負い込もうとしてる」
「お願いティアちゃん。心配くらいは、させて」
「あなた一人で、抱え込まないで。ね? ティアちゃん」
ララは、左右に振り続けるティアの頭を、その胸に抱く。
「ふええっ、優しくしないでララ。私の道しるべが、まるで海市蜃楼に沈む。私、一体何が本当の自分か、分からなくなるの……」
「大丈夫よ。だって、あなたはもう、ひとりぼっちなんかじゃないでしょ?」
「うううーっ」
「あなたの道しるべは、雄一君。だよ?」
ティアは、いつの間にかララの背中に腕を回していた。
「ララ……」
「うん」
「私、夢を見るの」
「とても、もても怖い夢」
「七本の角を持つ鬼が、雄一を……殺しちゃう、夢」
「そんな……まさか」
ティアを胸に抱きながら、ララから表情が消えた。
◇◇◇◇◆◆◆◆◇◇◇◇◆◆◆◆
長身のその男は、季節外れの革製ロングコートを身に纏っていた。頭には顔を覆い隠すほどのシルクハットを被っている。
「ほう。なかなか強力な結界が張ってあるな」
「有能な魔導士、千人引っ張ってこなきゃ、この網は、破れまい」
夕日に赤く染まるインレットブノ大聖堂。帽子の影から浮かぶ目が、その正門を睨み上げる。
痩せこけた頬。貧相な顔立ち。まるで、せーたかのっぽの貧乏神。そう、彼は大魔王ゼクスの使い、暗殺者ディー。
彼は、身元を偽り、国際郵便局員として、メガロス国内に侵入していた。
「この私をポストマンになさるとは。ギヒヒ。ゼクス様もお人が悪い」
「何人も、私の正体を見破ることなどできませぬのに……」
「そう。どのように強力な結界であっても、私を捉えることなどできん!」
「待っていろ、ゴミクズステータスのエセ救世主。ギヒヒヒヒ……」
ドラキュラの血を引く暗殺者ディーの、無謀な……否、無音の足音が、今まさに雄一へと迫っていた。