#128 天空海闊
雲が掛かる遥か上空に位置する天空城は、午後の日差しを贅沢に浴びる。
その本丸は、雄一と、竜王トウテツの激闘により崩れ落ちた。既に瓦礫と化し、切り立った水晶を、強い太陽光が通り抜け、複雑に光を反射し、あちらこちらに虹を作る。
八方に伸びる虹たちは、城下町へ伸び、果ては地上にまで届いた。
天空城は、まさに幻想の城となった。
そんな天空城跡の城門前に、竜王トウテツが、仰向けになって倒れている。
白目を剥き、口の裂け目からは長いベロをだらりと垂らし、死んだトカゲの様に両手足を折り曲げ浮かせている。
そのトウテツの隣には、娘のプルゥートの姿があった。
プルゥートは、何やらトウテツのハラをゴソゴソとまさぐっている。
「えっと、血管を傷つけないように……」
ぶちゅ。
「あ! また、やっちゃった」
プルゥートは、父親であるトウテツの下腹を、鳩尾付近から、膀胱辺りまで、切り裂いている。
「ふう。硬い皮膚だったけど、何とか開いたわね」
「さて、他の臓器は、傷つけないように……。おえっ、気持ち悪っ」
「はあーっ、はあーっ、落ち着くのよ。カエルの解剖と同じだと思えばいいの。……したことないけど」
「でも、コレが少し邪魔ね。少し、どかさないと……」
ぶちゅう。
「きゃあ。やだ、引き裂いちゃった」
「まぁ、同じようなものが、反対側にもあるから、一つくらい無くなっても、大丈夫よね。たぶん」
「さあ、やっと、でてきた。この袋を切れば、いいのよね……」
プルゥートは、トウテツの胃にナイフの様に尖った爪を差し入れた。
すると途端に胃の中に溜まっていた胃液が噴き出し、プルートの爪を焼き焦がす。
プルゥートは痛みを集中力に変えて、縦方向に切り裂いた。
「おええっ、くっさ! やだ、私ったらつい……」
「それにしても、なんて匂いなの。お父様の消化液、鼻が歪みそう……。」
プルゥートは、意を決し、息を止め、割れたトウテツの胃の中に両手を突っ込んだ。
「やあ!」
じゅるり、じゅる、じゅる……。
強酸によって立ち昇る煙を辺りに撒き散らしながら、プルゥートは、胃の内容物を取り出した。
それは、ドロドロの粘液にまみれた雄一。
「雄一様……」
プルゥートは、生死のつかない雄一を、優しくその胸に抱き、天空城から地上へと飛び立った――。
その数分後、トウテツが息を吹き返した。
「ぶはぁ~っ。はぁ、はぁ。こ、ここは……」
「おおっ、良かった、助かった。ここは、我が城、天空城」
「ふぅ~っ、それにしても、とんでもない悪夢だった……」
意識を取り戻したトウテツは、安堵の表情を浮かべ、胸を撫で下ろす。しかし、自分の鳩尾から下に手応えがないことに気付く。
「ぐはっ。なんじゃあ、こりゃあ~!」
「ハラが、真っ二つに割れておるではないか! あ、悪夢じゃ~!」
体の異常に気付いたトウテツは、慌てて縫合処置を施した。自らの手で。
「そうか、プルゥートか。プルゥートが開腹手術で、病原体の雄一を取り出してくれたのだな。」
「クハハ、二人の命を同時に助けるとは。やりおる……」
「まあ、開けたのなら、閉じておくくらいは、しておいて欲しかったがな。ククク……」
嬉し気に、それでいて、少し寂し気な目をして笑うトウテツは、お腹を庇いつつ、おぼつかない足取りで歩き出す。
向かった先は、崩れた城の地下。天空城の中枢部分。
青白く光る水晶の、長い一本の階段を下りた先には、ムウの黒印があった。
「ここで生き仏となられた、永遠の主にして、万物の神、ムウ様」
「粉骨砕身、挑みましたが、力及ばず、神谷雄一を取り逃してしまいました」
ムウの黒印もとい、ムウの墓標に膝まずく、トウテツ。
すると、墓標の一部がコトリと音を立て、小さな小箱をトウテツの前に差し出す。
それを見たトウテツは、直ぐにその意味を理解した。
口に手を当て、小さな嗚咽を立てて胃の内容物を吐き出す。その拍子に、まだ、ふさがり切れていない胴から、血で濁った体液が滲み出る。
「クハハ……。この程度の血肉すら、我では消化できぬか。」
トウテツの掌には、小さな、小さな肉片が乗っていた。雄一のカルビだ。
それを、震える指で墓標の小箱へと納める。
『進化なさい、青龍トウテツ。進化なさい、究極生物へ。進化なさい、幻獣、黄金竜へ。』
雄一の肉片を収納した、ムウの墓標がトウテツに語りかける。
慈しみに溢れる声色を使って。
「――。」
音もなく、墓標が開く。まるで仏壇の様に観音開きに開いた先には、暖かな黄金の光が見えた。
「お、お、お……。ムウ様。我を、我をお導き下さい」
『我は、まほろば。我は、お前のまほろば。我は、宇宙のまほろば』
『さあ、トウテツ。還りなさい、あるべき姿に。還りなさい、まほろばに。還りなさい、我の一部に……』
恍惚の表情を浮かべ、只、突っ立っているだけのトウテツ。その目はどんよりと濁り、焦点は乱れている。
そうして、まるで見えない糸に引っ張られるように、トウテツは墓標の中へと進んだ。
ゆっくりとトウテツを呑み込んだムウの墓標は、再び音もなく閉じた。
『おかえり……トウテツ。私は無有……』