#122 定款
雄一が、天空城へと昇った直後のメガロス城。税務局事務次官リング・ベンサルが口をぽかーと開け、空を見つめる。雲一つない天気だが、顔色はすこぶる悪い。
「あわわ。建物全体の屋根が、吹き飛んだ……」
「あのバカに関わると、建物がいくつあっても足りないわね」
メガロス城の一角。契約竜のご機嫌を取るための、巨大な飼育施設の屋根が、プルゥートの羽ばたきで、消し飛んだ。
ケッツァコアトルの城を、半壊させた張本人が、それらの要因は、全て雄一にある。と、言う口ぶりで、ため息をついた。
「まあ、雄一のことだから、テキトーに問題を起こしてから、帰ってくるでしょ」
ティアはそう言うと、青ざめたリングを捨て置き、インレットブノ大聖堂へと魔法陣転移した。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆
竜の住む天空城。それは蒼天の果て。地球上、最も天国に近い場所にあり、巨大な水晶の結晶により多くの城下町が形作られていた。
城下町を支える大地は、随時溢れては消える朧によってできている。
雄一は今、天空城の本殿へと案内されている。
隣にはブルードラゴンのプルゥート。そして、少し距離を開けた目の前には、天空城の主、竜王がいた。
竜王は、ビルの様に高い、水晶の玉座にもたれ、顎を肩肘にのせ、雄一に鋭い眼光を向けている。
その姿は、鱗に覆われ、尻尾と羽が生えている以外は、まるで人間。ただ、その肌は透き通るほど美しく、エメラルドのように輝きを放っていた。
『まさか、ここまで小さな子どもとは。鍵として喰うには、まだ早いな……』
『この地で、即身仏となられたムウ様。あなた様が生前言われた通りの少年が、天空城へ現れました。まさか我が息子に、いざなわれてくるとは、夢にも思いませんでしたが』
『さて、雄一よ。まずは、その人となり、じっくりと見せてもらおうか。伝説の大進化。黄金竜への、鍵となる者よ』
竜王の側近キャンドル・ライトが雄一に歩み寄る。全身を羽衣のような薄布で包み、ワニの様な頭を出している。鼻先からは、電線のように長太いドジョウ髭。それが左右一本ずつ、偉そうに宙を泳いでいる。
「んっん。小さき者。名を何という」
「はーい。ぼくは、えーと。神谷、雄一です」
「んっん。よろしい神谷雄一。心して聞くがよい」
「はーい」
キャンドルは、顎の先に手を当て、んっん、と偉そうに咳ばらいをする。
そして、威厳ある態度で、人とドラゴンの間で結ぶ「契約の定款」を述べる。
「んっん。元来、我らは天空を治める、特別な存在であり、人間の道具ではない。わかるね」
「んっん。元来、我らは人間との契約を、こちらの好意で行っているものである。わかるね」
「んっん。元来、人が我ら竜を愛し、敬うことが契約の前提になくてはならない。わかるね」
「んっん。よって人間は、我らから愛されるだけの存在でなければならない。わかるね」
「んっん。よって我らは、高度な召喚が行える者のみに、契約の機会を与える立場である……」
「んっん。神谷雄一よ。これで、わかるね」
雄一は、ポカンとしている。
「んっんーって、なに?」
キャンドルの眉がピクリと動く。
「んっん。お前は、竜に愛されもしていないし、召喚能力もないのだ」
「んっん。神谷雄一よ、わかるね。これで」
雄一は、口を、ただぼんやり開けたままにして、首を横へ振る。
「全然」
キャンドルのこめかみに、青筋が立つ。
「んっん。つまり、おめーには、竜と契約する資格は無いってこった! んっん! これで、わかるね」
雄一の、間の抜けた態度に、キャンドルの口調が、どんどんぞんざいになる。
「契約ってなに?」
「ああん? そりゃあ、なんだ? 約束、とか? 誓い、のようなものかな。んっん。わかるねっ」
「契約って、ちゅう、のこと?」
「違うわ! そりゃ、結婚式の、誓いのキスだろ! 言っている契約とは、そんな形式的なものではない」
「んっん! 竜との契約は、絶対的なルールだ。召喚能力のない、脳筋のおめーでは、相手にできないってこった。んっん! わかるね」
「ふーん。でもぼく、髭さんとは、したよ。約束」
「髭さん? ああ、バラダーとの約束か。竜の譲渡が人間同士でされてたまるか。んっん、竜族なめんなよ!」
「ああ、ごめん。髭さんと、バラダーさんとは違うよ。それにぼく、他にも、たくさん約束した。いっぱい、いーっぱいしたよ」
「そんなこと知るか! 訳わからん!」
キャンドルは更にヒートアップする。
その様子を竜王は、口元を掌で覆い、黙って見ている。少し、肩が震えているようだ。
「コッチの話、聞いてっか? おめーが、他の人間に、いくら約束しようと関係ねーんだ。んっん、バカ!」
「さっきから、どうして怒ってるの?」
「んっんーっ、バカと話すと、バカが移るからだ、んっん、バーカ!」
「もう、移ってるよ?」
「うるせー! バーカ、バーカ! んっんー! んー!」
竜王が、掌で、顔を覆う。
『クハハ……なんだ、なんだ? この小動物は。まるで純真無垢な、幼獣ではないか』
『やはり、とても、機が熟しているとは思えん』
『ククク、これなら一度、プルゥートに預けておくのも、一計だな……』
『それにしても、キャンドルの、憤怒するあの姿……。普段、真面目な男なだけに、ツボに嵌る……』
そして、堪えきれず、笑いが声になる。
「くははは!」
「りゅ、竜王様。こやつ、まるで話が通じません」
腹を抱える竜王。常識を持つ、いい大人が、自由闊達な少年に振り回されている。その様子が、純粋に滑稽でならなかった。
「うむ。なかなかに、手強い相手のようだな。くくっ、も、もうよい、下がれキャンドル。くはっ、くははは」
「竜王様、しかし……」
「二度も言わす気か? キャンドル」
「うっ。んっん~」
竜王の一言に、肩を落として嘆息するキャンドルは、雄一を一睨みして、悔しそうに喉を鳴らしながら、部屋の脇へと下がる。
「神谷雄一」
「はーい」
「我は、四聖獣の一角、青龍にして、竜王である。名をトウテツと言う」
「トウテツさんだね。覚えたよ」
「ふむ、いいおのこだな。少し、昔話をしてやろう」
「むかしむかし、今から二千年ほどむかし。人類は、生態系の底辺で、もがき、苦しんでいた。一方、我ら竜族も、強壮効果のあるこの肉を、多くのモンスターから狙われていた」
「人類と竜族は共に、絶滅の危機に瀕していたのだ」
「その、人類と竜族に、救いの手を差し伸べたのが、全知全能の神、ムウ様だった」
「ムウ様は、我ら一族と人類を導いて、共存共栄のシステムを構築し、共に発展させた」
「しかし、人類が一定程度、発展すると、底がない欲望を持つ人間と、我ら竜族との間に距離をとるため、天空城をお築きになられた」
「そして、我らにとって、有利な契約に関する定款を定められた。キャンドルが申した先程の内容がそれだ」
「そっかー。昔話って言うから、てっきり、ももたろうの話かと、思ったよ」
「我が一族の昔話。内容が分かるかね。雄一君」
「分からないし、つまらなかった」
雄一は、退屈そうに地面の土ならぬ、綿帽子のような、ふわふわの雲を、こねくり回して遊んでいる。
「くはは、そうか。まあ良い。本題はこれからだしな」
「できたー」
「んん?」
話を、まるで聞いていなかった雄一は、こねていた雲の塊を、左右に、みょーっと広げる。そして右足、左足と通せば、まるで、わたあめを履いたようになった。
「ほら、雲のパンツだよ。かっこいい?」
「くはは、こいつは驚いた。こんな特殊能力があるならば、話は早いな」
「よいか、雄一君。君が、ドラゴンとの契約を望むなら、強力な召喚能力、以上の力を示してもらいたい」
トウテツはそう言うと、プルゥートに目をやった。
プルゥートはトウテツと目を合わさず、ただ、小さく頷いた。
「おい、プルゥートよ。下を向いていないで、試練の内容を、雄一君に伝えなさい」
「うう……」
雄一の方を向いた、プルゥートの顔色は悪い。額に脂汗を滲ませている。
「ううう……」
「どうした、我が息子。バラダーの時と、同様の試練でもよい。何をもじもじと、まごついておる。女々しいぞ。」
「ううう……わ、わわわわ、我の、ののののお! 我のののの、しゃく、しゃくしゃく灼熱ののののの……」
顎を激しく揺らしながら、必死で言葉を発するプルゥート。その吃音症の有り様を見たトウテツが怒号を放つ。
「キサマ、まだそのように情けない話し方しかできんのか!! 竜王の息子としての、自覚が足りぬから、言葉が詰まるのだ!」
トウテツからの激しい叱責に、苦悶に満ちた表情を浮かべ、プルゥートは、更に顎を激しく揺らして言葉を繋げる。
「ほほほほ炎ををををををを……」
しかし、意識すればするほど、言葉が詰まる。
「この、愚息があ」
トウテツが、玉座から身を乗り出した。その、時だった。
雄一が、プルゥートの鼻っ面を、そっと撫でる。
「なるほど。何が辛いのか、よーっく分かったよ」
「え?」
目を丸くするプルゥート。刹那、雄一の姿が消える。
「こここっこわっぱ、ななな、何を!?」
雄一が現れた、その先は、竜王トウテツの眼前。
バキィ!
「ぐはあっ!?」
「ちちちちち父上ええー!」
雄一はトウテツの顔面を、力任せに殴りつけた。
プルゥートは驚愕のあまり、身動き一つとれなかった。
トウテツは、激しい怒りの炎を、その目に宿した。
側近キャンドルは、「んっん~」と言い残し、直立不動のまま、その場で卒倒した。