#121 遺産相続
「あっ! やっと見つけた。このバカ雄一! 一体なにやってたの!」
「あははー。ごめんなさい。お便所さがしてたの」
「トイレなら、普通に聞きゃあ教えるわよっ、たくもう、ほらコッチよ!」
メガロス王城内、ティアは、迷子になっていた雄一の手を引いてある一室へと入った。
バラダーの遺産相続の手続きをする為だ。
「こちらが、殉職された偉大な将軍、バラダー・フルリオ様の資産を、現金化した数字でございます」
ブロンドの長い髪をアップでまとめ、軽いメイキャップをした、美人の税務局事務次官、リング・ベンサルが、バラダーの総資産額を示す。
「なっ! 175億メタラ? 冗談でしょ、あの髭オヤジ。貰いすぎでしょ」
バラダーの、莫大な遺産額を聞いて、目を丸くしているティアに、リングは首を振る。
「いいえ枢機卿、少し違います。将軍は、生涯独身でおられ、ご自宅も持たず、その身と心を王国に捧げられていたのです」
「一兵卒を含む、質素な軍寮で寝泊りし、食事も、入浴も、そこで皆と共にとり、余暇は訓練に充られておられました」
「まるで、四六時中職務を、まっとうされているかのようでした」
「これは、国を護り続けた彼の、人生そのものを数字で表したもの。将軍の生涯賃金が、そのまま遺産総額となるのです」
「は、はい。失言でした、ごめんなさい」
「いいえ。バラダー様への誤解を抱かれることだけは避けたい。そう思っただけです……」
「枢機卿に対し、失礼を承知の上で申し上げました」
『うっ、なんなんだ、この人は。ひょっとして、バラダーのことが好きだったって訳じゃ、ないよね?』
リングの目尻に、涙が浮かぶ。それは、故人を偲び、遠い目で感傷に浸っている目だ。そんな彼女の姿を見ているとティアの胸が痛くなる。
そう。軍人であるバラダーに関わる人物において99.99%は男性。残る女性枠0.001%の内の一人が、リング・ベンサルだった。
リングは、かつて、汚職事件に巻き込まれたのを、バラダーに助けられた経験がある。
巨万の富を築きつつ、富に全く興味を持たないバラダーに、彼女は強く魅了された。
そんな彼女は、バラダーの資産を管理する態を取り、バラダーの身の回りのお世話をし、アプローチを繰り返した。
だがしかし、超奥手の鈍感バラダーに、その想いが届くことは、最後まで、なかった。好意を気付いてもらえさえ、しなかった。アーメン。
『うわ~、あの目。完全に旦那を無くした未亡人と同じだよ』
『バラダーの女っ気のなさを熟知していた分、自分を女房のような存在だと、勘違いしていたのね』
『実は殉職は嘘で、今は巨大すぎる豪邸に住み、超絶美人の妖精さんと、イチャコラしてます。とは口が裂けても言えないわ』
「あははー。バラダーさんなら、イエラキさんの娘の、フローラさんと結婚……」
『って早速、即死級の真実をばら撒こうとするなっ! この脳菌!』
ぶちっ!
「いてっ」
雄一の足の小指を目掛けてティアの踵が落ちる。
幸いなことに、感傷に浸り過ぎて、雄一の言葉など、何一つ入ってこなかった様子のリング。
随分と思い込みが激しい女のようだ。
「でも、175億メタラもの大金が手に入ったんだ。さすがの雄一でもクレープぐらいじゃ使いきれないでしょ」
「えっと、175億割る700だから……。うん、大丈夫そうだね」
「って、おいっ、何が大丈夫なんだ? 本気で全部クレープ代にする気じゃないよね?」
指折り計算する雄一の姿は、冗談で言っているようには、見えなかった。
その後、現金の相続を終えた雄一は、ドラゴンを飼育している巨大な施設へと案内された。
いや、飼育と言うのは少し語弊がある。契約しているドラゴンたちの部屋は、非情に広く豪華な部屋が宛がわれ、まるで客人のような扱いだ。
その中でもメガロス王国将軍バラダーの契約竜。ブルードラゴンの部屋は最奥にあり、一際大きく絢爛な部屋だった。
「プルゥート様。将軍バラダー様が、契約の後継に選ばれた、神谷雄一様を、お連れしました」
リングは、ドアの前で頭を下げたまま、声を張り上げる。
「……」
「プルゥート様。雄一様を、お連れしました」
「……」
返事がない。しかし、部屋の中からは、隠しきれない異様な気配が滲み出ている。
「おかしいですわね。部屋へ雄一様をお連れすることは、伝えてありましたのに」
「でも、この気配。絶対中にいるわよね。居留守してるのかしら」
「あははー。もう、始まってるのかなぁ。それとも、嫌われちゃったのかなぁ」
「始まる?」
ドカン。
「ああっ。雄一様、なんてことを!!」
雄一は両手を突き出し、ドアを押し破る。
「きっと、その両方だね」
しかし、部屋の中にブルードラゴンはいなかった。代わりに、巨大な青いドラゴンのタマゴが、部屋の真ん中に置かれていた。
「めっ瞑想中っ! これは失礼しましたプルゥート様。雄一様、暫く時間を空けてから、再度参りましょう。」
どうやらタマゴではなかった。ブルードラゴンが大きな翼で身をくるみ、タマゴ状になって瞑想をしていたのだった。
それでも雄一は、お構いなしに歩いていく。
そんな雄一に、慌ててリングが手を伸ばした時、ティアがリングの肩を叩いて首を振った。
「枢機卿、何を?」
「やめときなさい、リング長官。あんまり深く、雄一のやることに関わると、感染わよ? アホが」
「へ?」
ティアとリングが、部屋の入口で見守る中、雄一は、タマゴ状のプルゥートに、そっと手を当てた。すると、羽の一部が広がり、タマゴがひび割れたかのような隙間が生まれた。
開いた隙間の先から、二つの赤い閃光が雄一を照らす。
雄一が闇の隙間に、足を踏み入れると、タマゴが雄一を呑み込むかのようにして、その羽をぴっちり閉じた。
「ぼくは、神谷雄一です。もう、テストは始まってるの?」
「ふっふっふっ。ばばばば、バラダーから、ききき聞いているのか。ししし試練のことを」
ブルードラゴン、プルゥートが造り出した闇の中。ふーっふーっと荒い鼻息が、雄一の前髪を揺らしている。
「わわわ、我は、ぶ、ぶぶぶ、ブルードラゴンののの、ぷぷ、プルゥート。わわ、我が、こっ、怖くないかっっかっか、こここ小僧」
吃音症を見せるプルゥートの吐息は熱く、軽く百度を超える。しかし、雄一は、平然とした表情で笑って見せる。
「へーきだよ」
「こ、こここっ小僧。ばばば、バラダー様は、ごっご、ごっご、ご無事か」
「うん。今は、フローラ・ワルドってお嫁さんと、幸せに暮らしているよ」
「……」
闇の中、プルゥートの肩が、がっくりと落ちる。
「なんだか辛そうだけど、大丈夫?」
「ななな、生意気言うな。っこ、ここっこんな小さき小童に、ばばばっバラダー様に、すすっす捨てられた我が身を、ななな慰められたくも、なななないわ!」
「いや、そっちじゃなくて、話し方の方」
吃音症に触れられたプルゥートの目が尖る。
「ききききっ! きっさまあー!!」
「あれ? あれあれ、なんで? なんで怒ってるの?」
「きききっ吃音症を、ききき気にしているるる、わわわ我の、げげげ逆鱗に、ふふふ触れたのだ。こっこここっここで死んで、わわわっ詫びろ!!」
「吃音症? ああ、そうじゃなくて……」
「いいいい言い訳、むむむ無用!!」
プルゥートの吊り上がった赤い目が、呪われたルビーのように濁って光る。
グワオオオ!
放たれた、鉄をも蒸発させるプルゥートのファイアブレスは摂氏六千度を超える。それが密閉されたタマゴ内で雄一に向けられたのだ。
雄一はその灼熱の炎に一瞬で巻かれ、コンマで衣服が消滅した。
しかし、それだけだった。
「どっ、どどど、どういうことだ。わっぱ、ななな何故、消え去らぬ!」
「あのね?」
「うっ?」
「えっとね。この前、本で、読んだんだけど、熱は物質じゃないんだって。ねぇ」
「こっこっこわっぱ、いいい一体何を、いいい言って……?」
強烈な熱線の中、雄一は両手で何かを握っている。
「じゃあ、今、ぼくの手の中にあるコレ。コレは、なんなんだろう。ねえ?」
握っていた両手をプルゥートに差し出して広げる。
「!!?」
雄一の掌には、中央が金色に輝く光の玉が、ゆらゆらと浮かんでいた。
その球が放つ、太陽が如き光は、すっぽんぽんの雄一と、驚愕するプルゥートの顔を、眩く映し出した。
「ししし、信じられんんんん。こここ……。こここいつは、せせせ精霊、イフリート?」
ファイアブレスを忘れ、光に魅せられるプルゥート。そんなプルゥートに優しいまなざしを向ける雄一。
光の玉は、しばし光り輝いて、キンと言う音を立て砕け散った。
「あ、消えちゃった」
「……。」
「わわ我の、ねね熱線から、せせせ精霊を、よよ呼びだした……」
プルゥートは額に浮かぶ汗を感じながら、しばし瞑目する。
「よよよかろう。いいい古の作法に従いいいい、おおお前を、てててっ天空城へ、あああ案内しよう」
「はーい」
バヒュン!
プルゥートは、雄一を包み込んだまま、屋根を突き破り、青い光の矢のように天へと昇って行った。
リングの叫び声が木霊する。