#120 暗殺計画
湿り気を帯びた風に流されるように夕日が沈んでゆく。
アルヒネロミロスにある、天を貫くほど巨大な城の一室。
ゼクスは玉座に、まるで眠っているように深く座り、グラスに入った赤ワインを転がしていた。
そこに側近のディーが現れ、ゼクスの前へ膝まづく。
窓から差し込む夕日は、壁を伝うゼクスの影を、怪しげに、天井まで伸ばしていく。
「お呼びでしょうか、大魔王ゼクス様」
ゼクスはグラスを空けると、深いため息を一つ付き、人差し指をクイクイ折り曲げた。
空のグラスは、直ぐに片付けられ、新しいグラスに注がれたワインが用意された。
「ディー。メガロスの位階授与式に行ったのはお前だ。改めて、脳筋のステータスを述べよ」
「はっ。極め脳筋こと神谷雄一は、全てのステータス値が1以下のゴミでした。赤子にも及ばぬ、世界最弱生物です」
「ふん。竜人を、くしゃみで退けたと聞いておるが」
「はっ。確かにあれは、風系の究極魔法を目の当たりにした気分でございました」
「しかし、魔力0で、暴風魔法を操れるわけもありません」
「それで、ご報告には……」
「メガロスが仕掛けた演出。やらせ、と、したわけだな」
「その演出の仕掛け、裏は取れているのか?」
「いや、まあ、その……。そうっ、試練とされた森の平定にも失敗したもようですし」
「そもそも、脳筋を召喚した際の儀式が失敗したとのことで、他国も、ニセ救世主と判断しております」
「それで、脳筋、神谷雄一は、塵に等しい存在だと、結論付けられる。と、言う訳か?」
「うっ、はっ、はい……」
「随分と信頼のおける情報だな。ディー」
ゼクスが、静かにワイングラスをテーブルに置く。
「ゴクリ……」
ディーは喉がどんどん乾く感覚に襲われる。
「ディーよ。もし、脳筋が、我らの想像を超えた能力の持ち主だったら、とは、考えぬか」
「はっ。演出とは言え、脳筋は、竜人が殴れば、すぐに血にまみれました」
「あのような貧弱な者が、よもや大きな能力を、隠し持っているとは思えません。それに勇者メフレックス様のアベレージは、十五憶を超えます。これはもはや、神の領域です」
ゼクスは片目をギロリと開けた。調子に乗ったと思うディーは、その目に睨まれ、慌てて頭を下げる。
『ふむ。今は、他国と足並みをそろえる必要がある』
『できれば、無駄な動きは避けたい。評価を誤り、墓穴を掘るなんてことは、よくある話』
『脳筋は、転移者ゆえ近親者もおらぬ。と、あっては人質のとりようもない。虫けら脳筋は捨て置くか』
ゼクスは一瞬笑みを浮かべた。しかし、すぐに厳しい目つきへ変わった。
『いや、まて。暗殺対象がゴミクズならば、むしろ好都合ではないか?』
『救世主候補の首、としてアバドン様に渡せばどうだ。前回の失態を取り戻せるかもしれない』
『キッキッキッ。これはむしろ、決して捨て置けぬ、好機だな』
ゼクスの口角と目が、いやらしく吊り上がる。
「愚か者。歯向ってくる以上、相手が誰であろうと、最善の手を打たねばならぬ」
「ははっ」
ディーは、肩を上げて縮こまる。
「暗殺しておくのがよかろう」
「ははっ、さすがはゼクス様。その徹底的で容赦なき無慈悲さに、このディー、胸が踊りまする。その暗殺、是非私めに」
邪悪な笑みを保ったまま、ゼクスは再びグラスを一息に空にする。
「ふっ。この仕事、お前以上の適任者はいない。そうだろ? 無形変体能力を持つ、ディー」
「何と有り難きお言葉! 恐悦至極にございます」
「念のため、偽造した身分証を用意しろ」
「準備が整い次第、脳筋暗殺に向け行動せよ。ディー!」
「ははっ! ゼクス様の期待に応え、脳筋の、髪の毛一本たりとも、この世には残さぬ所存でございます!」
ゼクスの命を受けたディーは、その場で起立すると、マントで全身を包む。
次の瞬間、ディーの肉体は百を数えるコウモリと化し、日の堕ちた闇夜へ消えた。
『キッキッキッ。さて、脳筋は消すとして、後は、ガラクスィアス・ブリッジの勇者モンブラン卿と、プロタゴニスの勇者アイミをどうするかだ……』
ゼクスは、不気味な笑い声を響かせながら、グラスワインを愉しんだ。
夜更け。
「急報! 急報でございます。ゼクス様!」
「なんだ。キメラ、騒々しい」
鷹のような鳥頭に、水牛の角を生やした翼人キメラが、背中に生える両翼を大袈裟に折り畳むと、ゼクスの前に膝まづく。
「メガロスに忍ばせている工作員からの報告によりますと、脳筋神谷雄一の正体は、伝説のオーガであると判明しました」
「なんだとぉっ!!」
「そのステータス値は推定、三億~八億。雷系魔法を操り、心眼能力なる特殊魔法を身に着けたようです」
「報告では、実戦にて五千の屈強な兵が一度に飛び掛かっても、指一本触れることすら、できない無双ぶりを披露」
「更に、魔法攻撃、物理攻撃、その一切を受け付けない、鋼の肉体を持つ模様です」
注がれたグラスが床で爆ぜる。
「その他、脳筋を護りし左卿と、枢機卿も大幅にパワーアップを果たした模様です。以上――」
「くっ! キメラ、その他の情報も、詳しく話せ!!」
「はっ。魔導士、枢機卿は、巨城を灰塵にするほどの攻撃魔法に、死者を蘇らせるほどの回復魔法を習得済みの模様です」
「更に瞬間移動魔法は圧巻で、一度に数万の兵を、好きな場所へと出現させては消せるとのことです。続きまして――」
「も、もうよい……いや、やはり話せ!」
「はっ。脳筋の番犬は、魔法こそ苦手のようですが、それを補うに余りある体術を持つようです。その強さ、やはり億超えの怪物モンスターのようです」
「そして、実態のある分身体を数十体操り、破壊の限りを尽くすとのこと」
「その分身体の強さが、本体の強さと変わらない為、瞬間的には数十億の戦力であると予想されます」
「あ、圧倒的ではないか」
「更に――」
「まだあるのか! キメラ!」
「はっ」
「うううっ、よい、話せ」
「はっ。新型魔導戦闘兵器を配備し、脳筋を、二十四時間体制で、護衛する環境が整った模様です。以上――」
キメラの情報は間違ってはいない。むしろ直近と言える情報が、ゼクスに伝えられた。
かなり誇張されてはいるが。
ゼクスの顔色は、とっくに消え失せている。
『バカな。これでは、最悪、アバドン様から預かった地獄蜘蛛を、脳筋に使わねばならんぞ』
『しかし、地獄蜘蛛の攻撃対象は一人に限る。億を超える護衛に囲まれて、果たして上手くいくのかどうか……』
アレコレ考えを巡らせるゼクス。呼吸すら止まっているように微動だにしない。
固まったまま時間が流れ、ついに夜が明けた。
「いかがいたしましょう。ゼクス様」
「……とりま~、ディーがどうなるか、見てみる?」
「ご賢明な判断かと」
何も知らないコウモリ男、ディーが、メガロスへと侵入する。雄一暗殺の為に。