#110 親心
雄一だけを残しティアやイエラキたちが退室した。
そうしてアースと雄一は広い応接室。二人きりになった。
「まだ幼体。今が一番弱い。と言うこと……か。」
そう呟くとアースの口元が少し緩んだ。
「世界は救世主を求めている。では救世主とは何か……分かるかね雄一君。」
「はい。全然分かりません。」
雄一の、間の抜けた返答に、アースは眉一つ動かさず、気配を押し殺すようにスッと席を立つ。まるで、すばしっこい獲物を前にして、自分の秘めた心を悟られ、逃げられてしまわぬように。
「希望だよ雄一君。き・ぼ・う。どんな絶望的な状況に陥っても希望を抱かせてくれる存在。それが救世主だ。分かるかね雄一君。」
「えっと、「藪から棒」みたいな感じ?」
「それじゃ、まるで逆だよ。……雄一君、木の棒で「きぼう」じゃないからね?」
ツッコミさりげなく、アースは雄一にゆっくりと近づく。
「さて雄一君。そんな君は、本当に世界を救う気が、あるのかね?」
「えーと、分かんない。」
コツリコツリ、と音を立て、質問をしながら、雄一に歩み寄る。
「ムウ様は、君を認めておられるようだが。蟲毒の儀で、厄災アバドンと、戦うための力を放棄した君は、正当な救世主とは、言えないのではないのか?」
「あははー、そうだね。ぼくは、救世主の意味も分かんないから、人違いだと思う。」
雄一の真ん前で立ち止まり雄一を見下ろすアース。
「私の見立てでは、世界会議で居合わせた、プロタゴニスの勇者の方が、救世主に相応しかった……。君なんかよりも、ずっとね。」
「あれ? アースの王様どうしたの? なんだかとっても苦しそうだよ?」
とアースが両手を雄一の首に回す。
「何してるの?」
「ゴメンね雄一君。この部屋は、私の強力な認識阻害魔法で、取り囲んだよ。ここへはもう、誰も入ってこられない。」
ぐいっ!
「くう。」
アースは、きつく雄一の首を絞め、そのまま持ち上げる。雄一は、手をぶらりと下げたまま、宙吊り状態となった。
「雄一君。悪いが君はここで死んでくれ。そうでないと君は……。」
「……。」
アースは、ぎりぎりと雄一の首を絞めながら、暗黒魔法を発動している。
アースの掌から、湧き出るどす黒いオーラが、雄一の喉を、ぶすぶすと焦がし始める。雄一は、アースの目をじっと見ていた。アースもまた、苦悶の表情を浮かべながら、雄一を見ている。
「……アイミ……。」
「なっ、なにぃ!?」
雄一の口から出た、アイミと言う名前に、アースの顔色が変わる。
「……アナタガノゾムナラ……。」
「!?」
よわよわしく、かすれた雄一の声が、アースの脳裏に刻まれていく。
「コロサレテモ……イイヨ?」
アースの顔面が蒼白になる。
「ううっ。」
アースの手から、力が抜ける。雄一は、だらりとしたまま、アースの開いた掌から、床へと滑り落ちた。
どさり……。
ドガン!!
アースが、雄一を手放すと同時に、ラークが応接室のドアを蹴破る。
「どぉー言うことじゃあっ!! ア―――ス!!」
ドゴオッ!
バギィ!バギバギバギ!
ラーク渾身の右ストレートが、アースの、左顔面に炸裂する。アースの体は、椅子や円卓を破壊しながら、吹き飛ばされた。
「何事か!!」
「シュールレア・ステルス……。」
応接室での騒動に、アースの親衛隊たちが、慌てて駆け付けようとした。しかし、ラークの幻術によって、完全に封じ込まれた。
親衛隊たちは、無限ループの城内ラビリンスを、ひた走る。
そしてすかさず、大の字で、円卓を背にして倒れるアースに、ラークが追い打ちを掛ける。
「心眼極めた、この我に、認識阻害魔法が通用すると思うたか、この愚王!! 雄一王婿への愚行、死んで詫びろ!」
ドゴッ!
ぶしゅう。
辺りに鮮血が飛び散る。だがそれは、アースの血ではなかった。
「なっ!? 雄一王婿!!?」
アースを庇い、びしゃびしゃと、大量の血を流す雄一。その血は、ラークの剛拳を、顔面で受けた雄一の、鼻血だけではない、アースの暗黒魔法により受けたダメージで、口からも大量の血を吐いていた。
「雄一! こっ、これはなんて酷い! フ、フルヒール!」
アースへの怒りを押し殺し、ティアは雄一の喉に手を当て、懸命に回復呪文を掛ける。
飛躍的に向上した、ティアによる回復魔法で、雄一の血が引いていく。しかし、呪術を掛けたは、魔導覇者アース。レインボーカードを持つだけあって、雄一に掛けた暗黒魔法の威力は相当で、未だ、ぶすぶすと雄一の喉を焦がしていた。
焼け爛れる喉を、気にする様子も見せずに、雄一は、アースを庇うように、ラークへ顔を向ける。
「ラークじいちゃん。アースの王様をイジメちゃダメだよ?」
「い、いじめってお前、こやつに殺されかけたのじゃぞ?」
「あははー、そうだね。でも、王様はきっと、大切な人を守ろうとしたんだ。それは、王様にとって、世界よりも大切な人。」
「でも、王様。ぼくを殺すこと、やっぱりできなかったんだよ? 優しい王様だね。」
「優しいじゃと? ふっ。ふおっふおっ、こりゃ、笑うしかない。まったく、雄一王婿にはかないませんな。」
雄一の言葉に、放心状態だったアースが我に返る。
「大切な人を守る? まさか、こっ心が読まれている?! 雄一君、本当に君は、一体何者なんだ。」
「アースの王様? 何も心配は要らないよ? ぼくが、きっとアイミを守るから。」
「!!」
その瞬間。アースは仰向けのまま、両手で自分の目を、潰さんばかりに強く抑え、嗚咽を上げて泣き始めた。
「雄一王婿。一体どういうことですか?」
「うーん、よくは分かんないんだけど、アースの王様の、強い願いが聞こえてきたんだよ。」
「強い願いが、聞こえた?」
「うん。今度、ぼくと戦う勇者の一人が、アイミって言う、アースの王様の娘さん、なんだって。」
「だから、ケガをしないかって、心配だよ? 死んじゃわないかって、不安だよ? きっと、そうだよ。ね? 王様?」
「ゆ、雄一君。」
「でも大丈夫。アースの娘さんを、ぼくは殺さない。そして誰にも殺させないよ?」
雄一はそう言うと、顔を覆うアースの両手に、雄一も優しく両手を重ねる。
『ああ、大きい。君は途轍もなく大きい。まるで母なる海の様に、深く、広い。』
『君は、私の強く望んだ心の内を、聞いてくれたんだね。ありがとう。』
『君は、こんな身勝手な私の心に、命懸けで寄り添ってくれたんだね。ありがとう。』
アースの目から溢れる涙が止まらない。
「すまない、すまない。雄一君……。私は、人の道を外れた最低の人間だ。」
「ううん。アースの王様。ぼくにも、モモカと言う娘がいるよ? どんなに離れていても、ぼくだって、世界よりもモモカが大事だよ?」
「お、お、お、うおおおっ!」
雄一は、アースの歪んだ親心の凶行を受け入れ、理解し、共感した。それにより、アースの心は救われた。
アースは、溢れ出る涙を、雄一の、もみじの様に小さな掌に吸わせ、繰り返し、雄一に許しを請い続けた。
「頼む、雄一君。どうか、どうか娘を、ヤシロ・アイミを助けてやってくれ。おおおっ。」
「あははー。分かってる。」
もう、誰もアースを咎めはしなかった。
ただ、ティアは、雄一のなかなか止まらない出血ばかりが、気になっていた。