黎明編 #100 真実
新世界の生物の為に全てを出し尽くし崩れた女神の肉体は、ただ蠢くだけの物質と化した。
そうして残された女神の残骸。その姿と形は皆がよく知る不死身の最弱モンスター「スライム」だった。
「うそ・・。それじゃあスライムが元女神だったってこと?」
ティアが顔を青くして呟く。
「どうやらそのようじゃな・・。女神イブは持てる全てを妾たちに渡して、自分は只々地を這うだけの物質モンスターとなったのじゃ。」
「そんな・・。女神ちゃん・・。こんなみじめな姿になって、私とても切ないよ。」
「・・ムーンよ。何も悲しむ必要などないのじゃ。これが女神イブの本懐なのじゃから・・。」
そう言ってケッツァコアトルは泣き崩れるムーンの頭を撫でる。
「私、今度からシゲルに対する態度を改めるわ。」
「うん。・・そうだねティア・・。私、いつも目の敵のようにしてイジメてたけど、今度から優しくする・・。優しくできる。」
いつも雄一に纏わりついているスライムのシゲル。ティアとムーンはそんなシゲルを疎ましく思っていた。ティアは消極的に、ムーンは積極的にシゲルを潰したり、投げ飛ばしたり、蹴り飛ばしたりを繰り返してきた。
しかし、シゲルが元女神だったと知り、二人はシゲルに対するこれまでの辛辣な態度を悔い改めたのだった。
「私も・・。イジメに参加はしていなかったけど見て見ぬふりをしてた・・。「シゲル」って名前があるのに呼んだことすらなかったわ。私・・今度呼んでみる「シゲルちゃん」って。」
傍観者も加害者であるとララが話し、ティアたち3人に暖かく優しい空気が流れる。
その空気に入りたくてケッツァコアトルがまごまごし始めた。
「妾も・・。妾も・・えーと・・。う~んっと・・。あっ!妾はシゲル撲滅計画は白紙に戻すぞ。」
「ケッツァコアトル・・。ありもしない計画を出してまで輪の中に入ろうとしなくても・・。」
「うっ・・しかし・・。」
「ふふふ。心配しないで自然と輪に入ってね?ここにいるみんなケッツァコアトルちゃんのこと大好きだから。」
ケッツァコアトルの瞳が大きく開く。そしてララの「大好き」に顎を引いてほんのり頬を染め、
「・・・。」
聞こえないほどの小さな声で「そうか。」と呟いた。
新世界が幕開けし、皆の心が一つになる。・・とその時、まるでこれまでの鬱憤が爆発したかのような下卑た叫び声が響いた。
『うっひゃあああー!』
「ひゃっ!」
「なに!?一体!」
突然の発狂声を耳にして皆の肩がビクッと上がる。
『も―無理!もー嫌!もー勘弁!ちょー苦痛!ちょーめんどい!ちょーしんどい!うがーっ。』
喚き散らすムウの声にケッツァコアトルが慌てる。
「ちょっ!!どうしたのじゃ!?気でも触れたか!?ムウ!」
「いやいや、ムウの頭がおかしいのは元からでしょうよ。」
「品性のあるナレーションの連続で緊張の糸が切れちゃったんだよ。それにしても本性の出し方に見境がなくなってきちゃったね。」
「私、ムウって、てっきり雄一様の前だけ狂人のフリをしているんだと思ってた。」
ティアたちは、「ムウが漸く本来のムウに戻った」と落ち着き払い、丁重に罵る。
「おーい。ムウ~?この星の歴史は分かったから元の世界へ戻してくんない?」
『ティア・ディスケイニ!てめぇー、私に対する口の利き方がどんどんぞんざいになってないか?』
「えっ!?そうかしら。私はずっとこんなだった気が・・。」
『ならいい!』
「いいのかよ!」
見え透いたティアの言葉を鵜呑みにするムウ。しかし、この後のララとのやり取りでムウの態度が急変する。
「それで、地球の歴史を私たちに見せた本当の目的は何だったのかしら?」
『む?・・。ララは相変わらずのトークテクニックだな。真実を知りたいのなら聞き方というものを少しは考えろと言っただろ。』
「ふふ・・。まともに答えたこともないくせに・・。あなたの見せた「過去」だって、一体どこまで真実なのか分かったものじゃないわ?」
『・・・。』
ララの言葉にムウが珍しく沈黙する。するとティアが小声でララに問う。
「ララ?どう言うこと?ムウは私たちに嘘の世界を見せてたの?」
「或いはね。ティアちゃんも気づいたでしょ?ムウは明らかに過去に干渉している。そんなムウが見せた世界なんて・・。ブラックとまで言わないけれど、グレープロパガンダの可能性は十分あるわ。」
『・・・。』
「流れる映像には明らかに不自然な編集点もいくつかあった。ムウ!どうなの?あなたは私たちに真実の過去を見せたと言い切れる?」
『・・・。』
「あなたは一体何を隠しているの?あなたは本当は何者なの?ねぇ?ムウ。あなたがもし私たちに心を開いて真実の口で頼ってくれるなら私はいくらだって力を貸すわ?」
『・・小娘が・・。』
腹の底に響く声でムウが呟く。
『ふっ真実を見せろか・・。どの真実を見せろと言うのか、生意気な・・。コロスぞ・・。』
「な・・?ムウ?お主、誠に妾の知るムウなのか?」
『くくく・・。ならばティアに問う・・。お前はどうなんだ?お前の口から出た過去は真実だったか?』
「え!?わたし?」
『そこで身の程を知らずに大口をたたくララの過去をお前が語った時、「冷静な第三者」だの「要約」だの都合の良い言葉で誤魔化していたが、そこには「隠された真実」がなかったか?え?ティア・・。』
「うっ!・・それは・・だって!」
『ふっ。随分と歯切れが悪いじゃないかティア。真実とはありのままの現実のことではないのか?』
「うぐぅ!」
ムウの言葉に喉を詰まらせるティア。そんなティアの様子を面白がるようにムウが鋭く尖った言葉の刃を遠慮なく振るう。
『それほどまでに真実が大切だと言うなら言葉にして教えてやればいいじゃないか、ああ?ララは母と弟の首をじんわりと絞めて殺したと・・。』
「ムウ!!」
青い顔をしてティアが怒鳴る中、ララはビクリと体を揺らし「ひぃっ。」と小さく息を吸い込んだ。
『くくく・・。ティア・・お前ならララ本人すら知らない真実をもっと伝えられたはずだ・・。』
「まっまさか・・!やめろ!ムウ!」
『教えてやれよティア。変えられない過去に起こった、ただ一つの真実とやらを・・。ああ?大切な弟の首を絞めていた時のララの顔は実に邪悪で愉悦に浸った表情だったと・・。』
「ムウ―――――っ!!!!」
ティアの恫喝する声が響く中、ララから顔色が完全に消える。瞳孔は開き切り、「ひっ・・ひっ・・」と小さく息だけを口から吸いこみ続けている。
「ララちゃん!!」
ムーンの呼びかけに一瞬ララが反応した。
「むー・ん・ちゃ・・。」
ムーンへ向けるララの左目から一粒の涙が頬を伝い落ちたその瞬間、ララの体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
「ララちゃん!」
ドサリ。
ムーンがララの体を抱き留める。
「・・・。ティア・・マズイ・・。ララちゃん息をしていない・・。」
「何ぃ!?くそっ!ムウ貴様ララに何をした!早く私たちを元の世界へ戻せ!」
緊急事態が起きたにもかかわらずムウは落ち着いた様子で話す。
『ッククク・・。まぁ、そう焦らさんなやティア一行の皆さま。やっと礼儀を知らぬお邪魔虫を排除できたんだ。そんなことより、せっかく滅多とない「過去」を覗ける機会なんだ。ララのご所望通り、私の過去を少し紹介してあげよう。』
「いらねぇーよ!ムウ!ララが息してねぇつってんだろぉ!私たちをさっさと元の世界に戻せ!!」
ティアたちを囲む場面がギュルギュルと変わる。移った景色は元の世界ではなくモザイクの世界だった。
「なんだここは・・。」
『はぁーい。お待たせしました。これが私の生まれ育った実家でーす。プライバシー保護のため一部モザイクが施され、お見苦しい点がありますがご了承ください。』
「全面モザイクで、これじゃ全て「お見苦しい」じゃないか!」
モザイク場面の中で、やたらモゾモゾと動いている「何か」が見える。よく分からないその動きは秘部のようで、やや卑猥な印象を受ける。
「やだ、ナニコレ・・。ムウ、あんたまさか・・。私たちにナンてモノを・・。」
少し頬を紅潮させ狼狽えるティア。
『ほらほら!見て!?なんて、かわいいーんだ。はい!これが、私の初めての「寝返り」シーンです!』
「おめーの寝返りかよ!全部モザイクで分かんねえっつーの!!」
『続きまして~、私がネアセリニ歴を作った時の場面を紹介しましょう。』
ムウのララに対する悪意を感じ取ったティアは焦りの色を隠せない。
「ごめん!ムウ!いや、ごめんなさい!ムウ様!お願い!もうやめて!ララが死んじゃう・・。お願いだからもう、私たちを元の世界に返して・・。」
『私が星の動きを読み解き、ネアセリニ歴を作ったのは1歳半の時で・・。』
「ムウ様!お願いします!いくらなんでもララを殺すことはないでしょ!!」
ティアが態度を改めムウに懇願する。しかし、ムウはお構いなしでモザイクの世界で話を続ける。
この状況にムーンの怒りは頂点に達し、顔を真っ赤にしてワナワナと震えだした。
「下衆野郎・・。」
ぽん・・。
「落ち着くんじゃ、ムーン・・。それからティアも・・。」
そんなムーンの肩をケッツァコアトルが優しく叩く。
『き、きれい・・ケッツァコアトル・・?いや・・この姿は・・女神ちゃん?』
ムーンがケッツァコアトルの慈愛に満ち満ちた表情に見惚れる。
「のお?ムウ?そなたは覚えておるか?妾と初めて会った時のことを・・。」
『なに・・?』
「月光に照らされる妾の姿を見て、そなたは妾のことを、まるで月のヴィーナスのようだと言うてくれたのお?2000年時を経ても妾は昨日のことのように覚えておる。」
『・・。』
ケッツァコアトルはムーンに優しいウインクをして宥め、ムウに声をかけ続ける。
「のう?ムウ。妾はそなたが誰よりもこの世界を愛していることを知っておる。そして妾は、そんなそなたのことを誰よりも信じておる。」
『・・・ケッツァコアトル・ディオウサ・・。お前・・。」
「・・うむ、なんじゃ?ムウ・・。」
突き抜けた下衆ムウに対しケッツァコアトルの目は何処までも澄み切った目をしている。ティアとムーンの目がしぱしぱする。
「ケッツァコアトル・・。やっぱりあなたが女神なのね。」
その姿、その身のこなし、まるで女神イブ。やはりイブの本質を最も色濃く受け継いだのはディオウサ一族なのだとティアとムーンは確信する。
そしてムウが嘲り声をやめ、落ち着いた調子で声を掛ける。
『ケッツァコアトル・・。』
「うむ。」
『お前、脱糞癖はもう治ったのか?』
「うがっ!!?」
ムウの投げかけられた言葉にケッツァコアトルの顔面がバリンと割れる。その瞬間、女神イブの威光も消え失せた。
「だ・・脱糞て・・?まさか・・ケッツァコアトル・・。ララが内緒にした、おねしょだけじゃないあなたの秘密って・・。」
「あが・・あが・・。」
見る見るケッツァコアトルの顔が真紅に染まり、頭から湯気が立ち昇る。
「ムウ――――――!!」