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修行のヒビは……

エスカの父を名乗る男……レストは、自身が父であることを認めさせるために、自身の工房へと誘い込むのだった。

「よく来たな」

「今日はよろしくお願いします」


 エスカは無表情で頭を下げる。


「ああ、それじゃあすぐに移動するぞ?」


 昨日と同じように魔道具で露店を収納し、レストは歩きだした。

 これが親子のやり取りか……とも思うが、無理もない話なのだろうな。


 今日もエスカと共に、朝からギルドのクエストを受けていたが、父親のことを何事もなかったかのようにふるまっていた彼女は、とても見ていられるモノではなかった。


 もう結構な付き合いであるし、エスカが無理をしているのは、すぐに分かった。

 だが、それを口に出さず、僕へ心配をかけまいとする彼女を見ていると、何故だか途方もなく心がざわついた。


 しかし、僕はそのざわつきの正体が分からず、逆恨み的にエスカに対しイラついていた。

 そんなコントロールできない子どものような感情変化に「いったいどちらが子どもだというのだろうか」という思考に至り、僕はただ溜息を吐くしかなかった。


「ここだ」


 レストが案内したのは路地裏の行き止まり。

 周囲を見渡してみても、工房のような場所はどこにもない。


「どういうことだ? 工房なんてどこにも――」


 僕がそう言いかけたところで、レストはおもむろに魔道具を取りだす。

 まさか罠……!

 僕は眼鏡を取り外そうと耳元へ手をかける。


「おっと……そんなに警戒するな。ただこの先はこの魔道具がないと行けないんだよ」


 レストが魔力を流し、魔道具を起動すると、行き止まりだった空間に歪んだ穴が広がっていく。


「空間魔道具……やっぱりこの人は……」


 僕の耳に微かにそんな声が届くが、レストは気付かなかったようで、さっさと穴の中へと入っていく。


「エスカ、行くぞ」


 エスカの肩に手を置いて告げると、彼女は力なく微笑んだ。


「はい、行きましょう……」


 エスカが穴の中に入り、僕も後を続く。

 穴に入った瞬間に視界が歪み、体全体を何かに揺さぶられているような感覚が襲ってきた。

 これは……キツいな。

 二日酔いのような気持ち悪さに揺られていると、段々と視界が定まってきた。

 歪みが完全に治まったときに僕達の目の前にいたのは、先程までの胡散臭いやつれた男ではなく、それなりに身綺麗で、がっしりとした体つきの偉丈夫であった。


「ようこそ我が工房へ、我が娘エスカと、その弟子よ」

「あ、あなたは、レスト、さん……?」


 エスカは驚き、戸惑いながら尋ねた。


「ああ、流石にこの町には俺を知っている人間が多いからな。外に出るときは変装しているのさ」

「そう、ですか……」


 おそらく、メアリの話で聞いていた父親の外見的特徴も当てはまり、最早言い訳すらできないほど、エスカの中でレストが父親だと確定してしまったのだろう。

 諦念にも似た表情を浮かべた後、エスカは頭を振り、大きく息を吸った。


「その……どうやら、あなたは私の父でほぼ間違いないようですね」


 そう言った彼女の表情は今までと異なり、少し清々しいモノへと変わっていた。

 おそらくエスカは今初めて、父親を真正面から見据えたのだ。


「そうか……」


 レストは笑う。嬉しそう……というよりも楽しそうに。

 僕は人の感情に詳しくはない。ただそのように見えたというだけだ。

 だがその違いは、未だに僕の心に燻った疑念を刺激し続けている。


「あの……お父さんって、呼んで良いですか?」

「ああ、好きに呼べばいいさ」


 そのどうでもいいと言わんばかりの肯定の言葉に、エスカは花が咲いたような笑顔になる。

 そんな彼女の表情は、少し前まで僕へと向けられていたのと同じ、厚い信頼を感じるモノだった。


「お父さん、早速魔道具を作って下さいよ!」

「ああ、メアリが作っていたあの指輪よりも、高性能なモノを作ってやる」


 激しい疎外感を感じながらも、僕はその光景をただただ見守るしかなかった。

 他ならぬエスカが認め、喜んでいるのだ。僕に言える言葉など、あるはずがない。






「すごい! やっぱりお父さんが天才っていうのは本当だったんですね!」

「ふ……そういうことを言われていた時期もあったな」


 僕には何がすごいのかは分からない。

 フィリアの魔道具作りですら、僕は見たことがないのだ。

 ただ、かなり手際がよく、見る見るうちに完成していくのだけは分かった。


「どうですか!? 私才能ありますか?!」

「ああ、その歳で大したモノだ」


 僕にはエスカの才能は測れない。

 才能がないと言っていたメアリの魔道具作りですら見たことがないのだ。

 ただ、レストと比べると、かなり動きに無駄があることだけは分かった。


 僕はそんな親子の団らんとでもいうべき――いや、歪な団らんと言った方がいいかもしれない――光景を、ただずっと部屋の隅から見守っていた。

 


 父親を慕う娘と、そんな娘を何とも思ってなさそうな父親。

 もしくは、父親であるからと無理して懐こうとする娘と、そんな娘を邪険に思う父親。

 僕の目にはそういう風にしか映らなかった。


 自身が疎外感を感じているからだろうか。

 レストを穿った目で見ているからだろうか。

 多様な親子の形を僕が知らないからだろうか。


 そう見える原因は幾つも頭に思い浮かぶが、そのどれもが当てはまっているようで、噛み合っていないような気がする。


「レイム君……だったか?」


 親子の観察を静かに続けていた僕に、レストが声をかけてきた。

 僕の名前はいつの間にかエスカから聞いていたのだろうか。少なくとも僕から自己紹介をした覚えは一切ない。


「大分退屈そうだな?」

「ああ……退屈で死にそうだ」


 心に浮かぶ原因不明の不快感をぶつけるように、僕はレストを少し睨みつけながら質問に答えた。


「そうか。それなら、明日からは君はここへは来ない方がいいかもな?」

「……どうしてお前にそんなことを言われなければならないんだ?」


 膨れ上がった黒い感情を抑え込みながら、僕は更に鋭い目をレストへと向ける。


「僕はエスカに頼まれているんだ。ここを離れるわけには――」

「俺はな、意味のないことが嫌いなんだよ」


 僕の言葉を中断させ、レストは意味の分からないことを言い始める。


「意味がないだと?」


 あまりに荒唐無稽な物言いに、僕は思わず聞き返してしまう。


「ああ、そうだ。時間というのは有限だ。だからこそ有意義に使わなければならない。例えば君が、そこで突っ立っている時間を使って、ギルドのクエストでも受けていれば、多少の金が手に入る。しかし、そこに立っているだけでは、何の得にもならない……違うか?」

「それは……」


 確かにレストの言っていることは正しいのかもしれない。

 僕にだって正直に言えば、余裕があるわけではない。

 お金を稼ぐ必要だってあるし、エスカを待つ間は本来の目的である魔法の特訓もできない。

 つまり僕にとっては何の得にもならないのだ。

 だがそれでも……。


「……僕はエスカの保護者だ。放っておく訳にもいかないだろう?」


 僕の返答を聞いて、まるで、できの悪い子どもに呆れるように、レストは大げさに溜息を吐いた。


「……まだ保護者が必要だと思うか?」


 レストが言葉と共に目線を後ろへ向ける。その視線を辿っていくと、やがてレストが見ているモノが僕の目に留まった。


「…………」


 それはエスカであった。彼女の方も僕を見つめており、何か言いづらそうに顔を歪めている。


「レイムさん、その……魔道具の製造工程は秘匿されていることが多くて、レイムさんがいると、これ以上は教えてもらえないみたいなんです……」

「…………」


 僕はただ黙ってエスカの言葉を聞く。

 彼女が何を言いたいかは、なんとなく察せられた。


「レイムさんも忙しいでしょうし……私はもう大丈夫ですから――」

「分かった、もうこの工房には来ない」


 僕はエスカの言葉を遮り、僕自身の意思で、もうこの場所に来ないことを告げる。


「まあ父親と二人きりの方が、何かと気が楽だろうしな。僕も子守から離れられて一石二鳥だ」


 僕は努めて、いつも通りの調子でエスカへと告げる。

 しかし、視線はエスカを捉えていない。

 なんとなく、更にエスカの顔が歪んだような気がするが、今の僕はそれをどうにかしてやろうと思えるような状況ではなかった。

 心は荒れ狂い、自身の行動が理解不能であったからだ。


 僕は自身の行動が異常であることは分かっている。

 そばにいなければならないと言いながら、自分から離れるような発言をしたのだ。

 異常と言わずに何というのだろうか。


 そしておそらく、僕は逃げた……間違いなく逃げたのだ。

 エスカが告げるはずであった言葉を遮り、僕は彼女のことを突き放した。


 何故か?

 それは突き放されたくなかったからだ。

 僕を捨てたクソ女(ラーナ)達と同じことをされたくなかった――僕が不要であると……エスカに「もう来るな」と告げられたくなかったからだ。

 どうしても……あのときのクソ女達と、エスカの姿が重なってしまうから。


「それじゃあ、僕は戻るが……魔法の練習はなるべく今まで通りで頼む」


 僕はこれ以上この空間に居たくなかった。もう何事もないフリをしてエスカと接するのは困難だったのだ。

 だから言いたいことを言い終わった後は、すぐに振り返り、出口の穴へと向かう。

 だがそれでも、声が聞こえてしまうのは仕方がない。


「はい、レイムさん……」


 制止の声をかけることなく、提案を受け入れるエスカの言葉に、僕は返事もせずに、ざわつく心を無視して足を進める。

 僕の視線はただ出口だけに向かい、一切エスカを捉えてはいなかった。だから、彼女が今どんな顔をしているのか、僕には分からない。


「……さようなら」


 だけど、最後に彼女があっさりと告げた別れの言葉は、とても悲しげで……僕の心を鷲掴んだように力強く捕えて、離すことはなかった。

お読みいただきありがとうございます。お疲れさまでした。

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