父と娘
楽しい昼食を過ごした帰りに、怪しげな露天商と出会い、衝撃の言葉をエスカは告げられた。
「な……! あ、あなたがお父さん……?!」
エスカは驚き言葉に詰まっている。
無理もない。町中で偶然出会った男が自分の父親であり、しかも死んでいたと思っていた人物であるというのだから。
「そうだ、メアリの娘……いや、我が娘よ」
「そ、そんなはずは……! お父さんは死んだって……!」
「そうか、メアリはそういうことに……」
得心がいったと言わんばかりに男は鷹揚に頷く。
「まあ、色々あって私はメアリとは袂を分かったのさ。そのときにメアリは俺が死んだことにしたんだろうな」
「そんな……お母さんはなんでそんなことを……」
「……そうだな、強いて言うならメアリが他の男を好きだったからだ」
「えっ……?」
衝撃的な事実にエスカの表情が固まった。
「子どものお前にこういうことを言うものじゃないと思うが……大人には色々あるんだよ。しかし、お前の言葉から予想するに、その男とは一緒にはなれなかったみたいだな」
男の言葉を理解するにつれ、エスカは顔が青くなっていく。
今の男の言い方だと、まるでメアリが不貞を働いたように聞こえる。
娘からすれば、自身が慕う母がそのようなことをしていたとは思いたくないのだろう。
僕だってメアリがそんなことをするとは思えなかった。
だが、僕の頭の中に一人の人物……クソ女の姿が思い浮かぶ。
不貞を働くと思っていなくとも、女は何をするか分からない。そのことを僕の心と頭がよく覚えている。
いつ自分を裏切る?
いつ自分を傷つける?
いつ自分を絶望へと落とそうとする?
そんな疑問が、あの裏切りを見せつけられたときのように、僕の頭へ広がっていく。
いや、駄目だ! 今はこのことは忘れなければならない。
そんなことより、僕はこのエスカの父を名乗る男に一つどうしても聞かねばならない。
横目でエスカを見ると、彼女の顔は蒼白で、まるで悪い病魔に侵されているようになっている。
このような状態では、おそらくエスカ自身が尋ねるようなことはできないだろうから。
「おい、その話は本当、なのか?」
「……おいおい、師匠の恋人だかなんだか知らないが、他人の家庭の事情に首を突っ込まないでくれるか? はっきり言って不愉快だ」
男が僕を睨みながらはっきりと告げる。
先程同じような注意をした手前、歯噛みしながらも、僕は言い返す言葉が思い浮かばない。
「……悪かった」
「いいんだよ、分かってくれさえすればな」
僕に興味を失ったように男は視線を外し、エスカへと向き直る。
「我が娘よ……分かってくれたかな?」
うつむくエスカの肩に手を置き、男は彼女の耳元で囁いた。
「まだです……まだ分からないです……!」
エスカは自身に言い聞かせるように、男の言葉を否定する。
「あなたは私の名前を言えていません……! 父親なら、何故娘がいることや、私の名前が分からないのですか……?!」
「お前のことは、生まれる前に別れたから知らなかったんだよ」
男は言い淀むことなくエスカの疑念をほどいていく。
余程信じたくないのか、男とは逆にエスカは言い淀み、必死になってさらなる疑問を掻き集める。
「でも、魔道具だって、本当にあなたが作ったモノかは分からないじゃないですか……!」
男はエスカの台詞に、手を顎にあてて少し考え込んだ。
「それなら……俺がそれを作るところを見学してみるか?」
「え……?」
「魔道具に興味があるんだろう? せっかくだから俺が少し教授してやっても良い」
確かに、彼が同じ魔道具を作れるというのなら、それは間違いなくエスカの父親である証明になるだろう。
他ならぬメアリが、エスカにそう教えたのだから。
「い、良いんですか? 嘘がバレることになりますよ……!」
そう口では言っているが、エスカはおそらく、目の前の男が父親だと理解してしまっている。彼女の本能とでも言うべき部分が、そう訴えかけているのかもしれない。
けれども、エスカは信じたくないのだ。
母が自身に嘘を吐いていたことも、理想や想像と全く異なる存在が、自身の父親であるということも。
「不安なら、そこの男にも付いて来てもらうと良い。考える時間も必要だろうし、今日は帰ると良い。だが、メアリにこのことを話せば、おそらく俺は、もうお前と二度と会うことはないだろう」
「や、やっぱりやましいことがあるからですね……!」
鬼の首を取ったようにエスカが詰め寄るが、男は涼しげにそれをかわす。
「勘違いしないでくれ。メアリとはもう会うことはないと言って別れたんだ。再び近くにいると知れたら、俺はこの町にはいられなくなるだろう」
「…………」
道理は確かに通っている。エスカは最早、黙ることしかできないようだった。
いつもの明るい表情はなりを潜め、深刻そうに今の状況を考え込んでいるようだ。
「俺はどちらでも構わないさ。決めるのはお前だ」
男はエスカに全てを委ねるようだ。エスカもその言葉を受け、更に深い思考へと入り込んでしまった。
エスカ……どうするつもりだ?
僕は声をかけることなく、エスカの動向を見守る。
彼女にとっての父親像とは『尊敬すべき絶対的な存在』である、と僕は感じていた。
だが、僕が見た限り、この男にはそのような印象を抱くことはできない。
少なくとも、高潔で人の為に何かをするような人間ではなく、もっと浅ましく、邪で、俗物的な存在だという印象しか抱けないのだ。
それでも……僕はエスカの判断を見守る他ない。
僕はエスカにとって、ただの弟子でしかなく、彼女達の家族関係にとって、全くの部外者なのだから。
「わ、分かりました……! あなたが嘘を言っていると見破る為にも、是非とも魔道具作りを見せていただこうじゃありませんか……!」
エスカが話に乗った瞬間――男がこれまで見せたどの表情よりも、暗く邪悪な笑みを浮かべた……ような気がした。
一瞬でその雰囲気は霧散し、同じモノを見ていたはずのエスカも、何も言わなかった。
(気のせい……だったのか?)
男を疑いの心で見ていた為の幻だったのかと思いなおし、僕は再び男を観察するか、男の雰囲気はやはり何かがおかしい気がする。
無理にでもエスカを止めるという選択肢もあるが……いや、今までの恩もあることだし、エスカの望み通りにする為に、メアリやフィリアには言わずに見守るしかないか……。
僕がついて行っても良いという話だし、少々面倒だが、流石に放っておく訳にもいかない。
「……そうか、よろしくな。俺の名はレストだ」
エスカの父レストは、娘に向かって手を差し出した。
「……ッ! エスカです……」
レストの名を聞いた瞬間、エスカはビクリと反応し、おずおずと差し出された手を握る。
「聞いていた名と一致したか?」
「…………」
「我が娘ながら、疑り深いモノだな……」
目線を合わせない娘に対して、レストはやれやれと大げさ気味に首を振る。
「明日また来ると良い。昼ごろにまたこの場所で、露店を開いておくからな」
レストが、懐からなんらかの魔道具を取りだして起動させると、広げられた露店の風呂敷が魔道具ごと見事に消え去った。
「魔道具収納……!? しかもあの数をいっぺんに……!」
「何も驚く必要はあるまい? これくらい作れなくては自身で魔道具職人を名乗れないだろう? まあ、メアリはあまり才能に恵まれなかったようだから驚くのも無理はないか」
僕にはよく分からないが、エスカの驚きようからして、余程凄い魔道具なのかもしれない。
だが男は何でもないことのように涼しげな顔をしている。
「お母さんをバカにしないで下さい」
「……バカになどしていない。俺の腕がよすぎるというだけさ。それじゃあまた明日な」
「…………」
エスカはただその背中を見送り、男は振り返ることなくどこかへと去っていった。
僕達はどちらともなくエスカの家を目指し、歩き始めた。
僕達の間に会話はない。何かに操られているかのように目的地に向かって、ただ静かに歩き続けている。
エスカに声をかけることもできずに、幾つかの言葉が僕の頭に浮かんでは消えていく。
レストという男は信用するに足りる男ではない。そんなことは百も承知だ。
しかし、僕はエスカの家の事情に口をはさむことも、彼女の悩みを解決することもできはしないのだ。
そんなことを考えていると、不意にエスカが立ち止まる。
どうやら、いつの間にかメアリの魔道具屋にたどりついていたようだ。
そして、エスカはゆっくりと僕の方に振り返った。
「レイムさん……」
何か言いだしづらそうに下を向いて、エスカは僕の名を告げる。
彼女が何を言いたいのかくらいは分かるつもりだ。
「大丈夫だ、しばらくは付いて行ってやる」
「ありがとうございます……」
力なくエスカは微笑むが、ただそれだけだ……やはりいつものエスカには戻らない。
僕は何かを言おうと、視線をさまよわせて頭を働かせるが、やはりそう簡単に、気の利いたことなど言えるはずもない。
結局僕はエスカを元気づけることもできずに、ただ彼女の落ち込む姿を見ていることしかできないのだ。
「……気にするな。それじゃあまた明日な」
「……はい」
僕はエスカの力ない返事に居たたまれなくなり、彼女を振り切るように後ろを向いた。
エスカが何かを言いたげにしていたことくらい分かっている。
あそこは何かを語りかけてやるべきだったということも分かっている。
それでも、僕にはその資格はないし、彼女と深く関わることはできないのだ。
哀しげなエスカの視線を背中に浴びながら、いつものように自身の心と向き合うことなく、僕はただ自身を受け入れてくれる暖かい場所へと逃げ帰るのであった。
お暑い中、お読みいただきお疲れさまです。そしてありがとうございます。




