腐心と不振
他人を信用できなくなったレイムは、フィリアに向かって、辛辣な言葉を向けてしまうが……。
本日二話目でございます。
フィリアの言葉に心がゆらりと揺れる。
だが、そんな甘美で柔らかく優しい言葉を、僕の心が拒絶する。
また騙されるのか?
また裏切られるのか?
また愛されないのか?
心のどこかで誰かがそう囁くのだ。
そしてその葛藤は……僕の心の弱さを露出させる。
「僕は……もう騙されたくないんだ……! 信じた者に裏切られる身を切られるような痛みも、心を踏みにじられるような絶望も、もう沢山なんだよ……!」
「我は裏切らない……絶対に裏切らないのじゃ……」
僕は首を振り、彼女の甘く優しい言葉を否定する。
「無理だ……もう無理だよ……! 僕はもう他人を信用することなんて……できない……! 怖い……怖いんだ……!」
「大丈夫、信じて欲しいのじゃ……」
「もう言葉だけじゃ信用できないんだよ……!」
裏切られるのが嫌ならどうすればいいかーー
答えは簡単だ。
裏切られる相手をつくらなければいい。
他人に傷つけられるのが嫌なら、他人と接さなければいいのだ。
まともな大人が聞けば、子どもの理屈だと思うかもしれない。
だが、単純でありながら、間違いなくそれは真理なのだ。
真理に行き着いた人間が、その真理から抜け出すことは難しい。
正しければ正しいほど、それは顕著になる。
そこから抜け出すには、僕の概念を根底からブチ破るような、衝撃的な出来事がなければ不可能だろう。
「……そうか……」
フィリアはそう呟くと、俯きながら身動ぎする。
僕の耳に、衣擦れの音だけが聞こえた。
「な、何を……!」
僕はフィリアの行動を見て驚愕した。
するりと彼女の肩から寝間着が滑り落ちる。
彼女の白く美しい肌と流れるような銀髪が、かすかな明かりに照らされて、神秘的な光景を生み出す。
僕は思わず息をのむ。
そのあまりの美しさに、僕は呼吸を、思考を、痛みを、果ては、あれほど燃え盛っていた怒りすらも――忘れていた。
「見るのじゃ……」
フィリアの指し示す部分――鎖骨の少し下辺りには、美しい曲線が描かれている。
「それは……」
「ああ、そうじゃ……V・L……見るのは初めてか?」
僕が素直に頷くと、フィリアはクスリと微笑んだ。
「エルフの中ではこれを捧げる――橋渡しの相手には、心も捧げるモノだという慣習があってな……。まあ簡単に言うと、心を許した相手にしか捧げてはならんということじゃな」
「…………」
美しさに思考が麻痺している僕は、いきなりそのような情報を与えられても特に何も対応ができない。
「お主にやる」
「え……?」
フィリアの言っている意味が分からず思わず聞き返す。
「なんじゃ、不服か? 確かにお主より遥かに歳上じゃが――」
「いや、そうじゃなくって、それってどういう――」
「言わねば分からぬか? お主に全てを捧げたいと……言っておるのじゃよ……」
僕は今気付いた。
彼女の声が震えていた。
目線は少し伏せ目がちになり、顔もまるでリンゴのように赤らめている。
「ぼ、僕は……」
力が抜け、僕はその場で崩れ落ちる。
僕は一体何をしているんだ……。
人を勝手に信じて、裏切られて。
人を勝手に疑って、慰められて。
でも、少なくとも……少なくとも……!
フィリアさんを……こんなに優しい人を……きっと疑ってはいけなかったんだ……!
「もう大丈夫じゃ……」
ふわりと僕の頭を包む温かい感触。
「フィリア……さん……! 僕は……僕は……!」
「つらかったな……もう大丈夫じゃから……」
温かい温もりに包まれながら、僕はこの日、久しぶりに――母が亡くなったとき以来に――泣いた。
「そうか、ハーレー王の噂は本当じゃったか……」
フィリアさんは顎に指を当て、何かを考え込んでいる。
あれから僕は、今日起こったことをフィリアさんに伝えた。
僕の家が壊されたこと、女達を追ってこの町にきたこと、あの女達にされた最低の行いのこと、その全てを。
「それにしても、あの女どももそこまでやるとはのう」
フィリアさんは忌々しそうに顔をゆがめる。
「それでやはり……お主は止まれないんじゃな?」
「はい、フィリアさんには悪いですけど、復讐することをやめるつもりはないです」
今も確かに残る暗い炎。
この身を焦がすような熱さは、時間経過などで消えることはない。
奴らにもこの熱さを与えてやらねば、僕の心の平静を保つことはできないだろう。
「……別に我に謝る必要はない。元々、我は復讐を止めるつもりなんぞ全くないしの。我が止めたかったのは復讐ではなく、お主の暴走じゃ」
「暴走、ですか?」
「ああ、お主は全てを拒絶してここから去ろうとしておった……。あそこで行かせれば、いずれは野垂れ死んでおったじゃろう。人は一人では生きていけん、多少なりとも人と繋がらねば、誰も生きてはおれんのじゃ」
食事などのライフラインでも、やはりどうしたって他人と関わる必要はある。
確かにあのときの僕なら「それなら盗めばいい」などと宣って、実行していたかもしれない。
そんなことをしていれば、いずれ立ち行かぬときがきたはずだ。
改めて僕の無茶を止めてくれたフィリアさんに感謝する。
「それにな……一番の理由はの……」
フィリアさんは少し俯き、顔を赤らめる
「もう……二度とお主に会えなくなると思ったからじゃ」
「フィリアさん……」
目の前の女性を狂おしいほどに愛おしく感じてしまう。
虫のいい話だが、あんな告白をされては好きになるなという方が難しい。
「レイム、あのとき言った言葉は、何一つ偽りない我の気持ちじゃ。我はいつでもお主を受け入れてやる」
“お主に全てを捧げたい”
僕の頭の中で、あのときのフィリアさんの言葉がリフレインする。
女性にこんなことを言わせているのに、僕というやつは……!
僕は先程直面した最悪な出来事を思い出していた。
「じゃからの……さっきのことは気にせぬ方がよいぞ? 精神的に参るようなことがあったのじゃから、仕方がないことじゃよ」
「……ありがとうございます、フィリアさん……」
僕を慰めようとする彼女の優しい言葉と笑顔が、余計に僕の心を蝕んでいく。
これは先程暴走しかけたときの話――ではない。
先程、ひとしきり自身の身に起こったことを話し終えたときのことだ。
「あやつが捧げなかったものを、我が捧げる……。じゃから、我を受け入れてくれるか……?」
フィリアさんは震える声でそう告げた。
不安で泣きそうな表情で僕の返答を窺う彼女を――僕は押し倒して……唇を奪った。
「んむっ……!」
驚いた表情をしながらも、フィリアさんは僕を受け入れ、一筋の涙を流す。
「焦らなくても大丈夫じゃ、我は決して逃げぬ……お主から離れたりせぬから……」
フィリアさんは優しく僕の背中をポンポンと叩く。
悔しくて、愛しくて、狂おしくて……そんな表現しがたい感情に突き動かされ、僕は彼女の心と体を全て自らのモノにしようとした。
結果は――
――使い物にならなかった。
心はフィリアさんの全てを求めているのに、体は全く反応を示さなかったのだ。
そのときの哀しげな彼女の笑顔を、僕は一生忘れられやしないだろう。
「レイム……さっきからそれは何なのじゃ?」
僕が後悔の渦に飲み込まれていると、フィリアさんが声をかけ、僕を現実へと引き上げた。
彼女の表情と声色は、何故か怒っているようだ。
「何がですか? フィリアさん」
僕の台詞を聞き、フィリアさんは更に機嫌が悪くなり、そっぽを向き、頬を膨らませる。
「それじゃよ! さっきはフィリアと呼び捨てにし、普通に話していたというのに……今はまた戻ってしまいおった!」
さっきとは……ああ、暴走しかけていたときのことか……。
不謹慎かもしれないが、頬を膨らませた彼女も可愛い。
「あ、あのときは……その……どうかしていたというか……」
僕はそんな気持ちをおくびにも出さず、言い訳を探す。
「ふん! どうかしていようが、していまいが、我は距離が縮まった気がして、少し嬉しかったのじゃ!」
そう言ってくれるのは嬉しいけど……。
「でも、やっぱり気が引けるというか……」
「駄目じゃ、駄目じゃ、駄目なのじゃ!」
フィリアさんは駄々をこねるように僕の言葉を拒絶する。
「我らはもうつがいのようなモノじゃ……! つがい同士が遠慮しておると、長続きしないと――昔買った恋愛本に書いてあったのじゃ!」
恋愛本……フィリアさんって意外に乙女だな……。
参ったな……これはもう、そうしないと治まりがつきそうもない。
それに、僕のことを想ってくれている彼女の気持ちは嬉しくて、尊重してあげたいと思った。
「分かりました……じゃなくて。分かったよ、フィリア……」
「フフン、よいぞ。今はそれで勘弁してやるのじゃ」
そのときの、上機嫌な彼女のウィンクは、とても眩しくて、愛おしくて、誰よりも魅力的だった。
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