中編② 厚いルールブックを売ってくれ!
こうして俺とシュリはともに甲子園を目指す熱き同志となった。それから1週間が過ぎ、夏休み中だというのにたまにある登校日。しかし夏休みも残りあと少しとなった、この日にようやく話は戻る。
シュリは夏休み明けを待たず、俺と同じクラスに入ることになった。クラスの野郎どもは早速、『キミ、カワイイネー』と軟派な声をかけているが、彼女はガン無視。
というか、聞こえていないんですよ。……シュリちゃん、ちょっとイヤホン外してみない?
でもシュリの気持ちもわかるよ。なんていったって、今日は球児達にとっての夢の舞台、甲子園では手に汗握る決勝戦。そこにはなんと我が県の強豪校、蛍光学院が勝ち進んでいたのである。
職員室では先生達がテレビ中継を見。シュリはライバル偵察の為、イヤホンでラジオを聞いていたのだ。
「よう、お前が連れてきたあの子、面白いし熱心だって評判だな」
少しいたずらっぽい少年の声が後ろから聞こえた。振り向くと、そこには俺の親友であるコウのご登場。やつぁ、中々のイケてるメンなわけで。笑顔がマジ眩しいっす。
「ところで、今5‐0で蛍光学院が勝ってるみたいだぜ。先生達が言ってた」
「まじか。やっぱりあの2年生が打ちまくってる?」
「ああ。既に2本。そのうち1本が満塁ホームランだ」
はー、すげえっすなぁ。俺は思わず感嘆の表情。
あの2年生とは蛍光学院野球部の誇る、プロ入り確実と言われる強打者である。しかも俺達と同じ2年生だからこの夏で引退とはならない。これから先の大会でも、彼は俺達の前に立ちはだかるだろう。
あ、ちなみに夏の甲子園が終わったら再び僕達の出番、秋大会が始まるんですよ。県大会後の地方大会で良い成績を残せたら、春の選抜に出られるかもです。まさに2年生ナインにとって頑張りどころです。
――ところで話は逸れるんですが、我が野球部には校内でトップを争うモテ人材が3人いまして。
1人は先程登場した俺の親友であり、野球部エースピッチャーの土方コウ。
やつは校内で老若男女を問わずの人気者である。まぁ野球部のヒーローだし、イケメンだし、おまけに性格も爽やかだからね。
そして今日は、そんなコウのファンであろう女子生徒諸君がどこか心中穏やかでないご様子。早速俺の元に2人組の女の子がやって来た。
「ねえ、野球部に新しいマネージャーが入ったってホント?」
ああ、やはり来ましたね、この話題。モテ男の親友をなめるなよ? 俺にとってこの手のお問い合わせは朝飯前だ。
「そうだよ。あそこに座っている、ピンク色の髪の子」
「えー、あの子なんだ……やだ、可愛いし」
不安げになる女子達。きっとコウがマネージャーに取られないか心配なんだよね。
「大丈夫だよ。コウは興味ないさ」
そう、興味ないよ。どの女の子にもね。コウは野球に夢中で彼女はいないし、作る気もないらしい。それが女子達にさらに切ない希望を与えるとも知らずに、まったく罪な野郎だぜ。
そして次にご紹介しまするモテモテなお方は、我が野球部の誇る心優しき美人マネージャー、結城シオンちゃん。艶やかな黒髪と、とびきりの笑顔を持つ俺の憧れの人でもある。2年になって同じクラスになったのは良いんだけど、話しかけてもらうことは……ほぼない。
でも、少し朗報が。シュリがマネージャーになったことで、シオンちゃんと俺を結ぶ接点が出来たこと。シュリとシオンちゃんは結構気が合うらしく、俺を交えた3人でトークイベントの発生が度々起こるようになった。
「あはは。やだ、トオル君ったらおかしーい!」
「シオンの笑顔が見られるなら、俺はピエロにだってなるさ」
挨拶を交わすだけでも胸一杯だったのが、こんな会話を夢に見るようにまで進歩。
さていよいよ、最後の方をご紹介いたしましょう。場面は授業が終了した、その後。いつものメンバーが集まっている、野球部グラウンド。
俺はストレッチをしながらシュリがどうしているかな、とマネージャー達が集まる日よけテントの下を見る。彼女はシオンちゃん始め他の女子マネージャーに手解きを受けながら、部員達の為にお茶をせっせと作っていた。そんな彼女の、すぐ横で。
「シュリちゃん、俺、喉渇いちゃったよ、お茶入れて」
「ホームステイなら俺の家にすればよかったのになー」
先程から馴れ馴れしいセリフをシュリに浴びせているのはナインの1人。チームの4番打者であり守備位置はファースト、獅子尾カンタである。
センスはいいと思うんだけどねー、自信過剰で練習嫌いなのがちょっとねー。
だけど今いるメンバーの中で1番打率がいいのは、彼。自分のことを棚にあげてまで文句は言えない。
しかしシュリはそんなカンタを適当に、しかし愛想よくあしらいながらも何気に仕事を手伝わせている。ほう、おぬし意外とやりおるな。
「大丈夫ですかね? シュリ先輩、随分付きまとわれてますけど」
そう心配げな声を出すのはこれまたナインの1人、センターの真中タモツ君。伸びしろ有り余る、期待の1年生だ。
「あいつ、まだストレッチもしてねえぜ」
タモツの隣には明らかな不満顔をカンタに向ける男、レフトの左近マモル。彼のバッティングセンスは中々の物で、その打率の良さはカンタに次ぐ。
「もうすぐ監督来るだろうし、シオンちゃんもいるから大丈夫だよ」
俺は互いに程度は違えど苛立つ2人を諭す。それにもしシュリを怒らせたら、きっと最大級の焔をお見舞いされることだろうし。気を付けるのはカンタの方かもネ。
「さ、投球練習始めようぜ!」
「ああ」
「うす!」
その後、俺たちはベンチ入りメンバーをランダムに二手に分け、練習試合を始めた。
「……おう! おおう!!」
試合が滞りなく進む中。そして先程からベンチ外のメンバーの応援に合わせて妙な掛け声が聞こえる。
誰だよ、まったく。
まあ、予想はついていたが。声の主は言わずもがな、シュリである。
2回裏、俺のチームの攻撃。そして俺に初打席がやってきた。俺はヘルメットを被り、バットを手に。いざちょっと白線が欠けているバッターボックスへ。
マウンドには不敵な笑みを浮かべる、コウの姿。コウは敵チームに分かれたので、俺はやつの投げる球を打たなきゃならない。まさに親友同士の対決、胸が熱くなるぜ。
俺はバッターボックスに立つと、バットを握りなおし構える。すると再び間抜けな声援が聞こえてきた。
「おうっトオル様!! その者、白き光球を投げる者であります!! きっと当たったらひとたまりもないはず。どうぞお気をつけくださりませ!!」
グラウンドに笑いが起こる。
なんだよ白き光球って。まあ、当たったら大変なのは、確かにそうだけど。
あ、そういえば。シュリって野球はラジオばかりで、試合をその目で見たことはなかったね。いっちょ野球の面白さをご覧に入れてさしあげましょう!
――さて、何が来るかな。コウはニヤリと俺の目を見て笑う。
コウ君、振りかぶります。投げた! ここは ストレートでしょうか。トオル君、バットを振り下ろした! ――そう、そこだ! バットの芯にジャストミー……っと?!
なんとボールはバットの下をくぐり! そしてさらに低く落ちていく! ――残念トオル君、正解はスライダーだったねっ!
その後も、その後の打席も俺の読みはことごとく外れ、あっけなーく凡退。
そんなこんなが続いて、結局俺のチームは負けてしまった。
――練習後の帰り道。コウや他の仲間とともに、コンビニで買ったアイス片手に公園のベンチでくつろぐ。一緒についてきたシュリはどこかむくれている。
「トオル様ったら、どうしてあそこで打たなかったんですか」
シュリの手には、それは分厚~い野球ルール解説ブック。なぜ今、彼女はこれを手にしているのか。その理由はなんと彼女、つい先程まで野球を『球をぶつけ合う闘技』だと勘違いしていたらしい。
――俺、ルール説明しなかったっけ? あと、試合のラジオも毎日聞いてなかったっけ?
恐るべし、不思議ちゃん。しかし俺の他にも彼女に度肝をぬかれた人がもう1人。我らが鬼監督、城之内タケル氏である。
怒らせると超恐い。怒らせなくても超恐い。40歳の誕生日を前に、随分長きに渡る独身生活への親しみがさらに増しつつある、そんな彼が。若き日には甲子園出場経験すらある、そんな彼が。
「野球って闘技ですよね?」
彼はシュリのその一声に、誰も見たことないような驚きフェイスをかまし、約10秒程固まった。その後、なんと休憩時間に自ら走って近くの書店を探しまくり、選別に選別を重ねたルールブックを購入。再びダッシュでグラウンドへと戻ると、シュリにと本を丁重に手渡したのだ。
あの鬼監督をパシらせるとは、君も底が見えませんな。
そうしてシュリは熱心にも監督一押しのルール本を読み、ようやく、ようやくちゃーんと野球を面白いと思い始めたようである。
その夏の甲子園覇者は、我らが地元の蛍光学院。
街は一気にお祝いムード。俺は一気に逃げ腰ムード。