9話
桃子の肩にぴょんと乗ったカエルは、さきほど桃子に叩き落とされたダメージもなんのその、自らの位置(ポジション)を、さらしを巻いてなお余地をのこす桃子の胸の谷間へと少しずつ移してきた。
「なあ、鬼を倒しに行くってのはいいが、肝心の鬼んところへは、どうやって向かうんだ。鬼ヶ島はとっくに壊滅されてるんだぜ。方々探すわけにもいかないだろう。どこかあてでもあんのか?」
桃子は、鎖骨まで迫り寄っていたカエルをつまみあげて、あたまのてっぺんに移した。
「あてならある。中枢の討伐組がわっちらより先に進んでおるからの。あれ等は、でかい集まりじゃ。情報も多く持つじゃろうから、闇雲に歩き回っていることもなかろう。きっと何らかの計があって道を選んでおる。だから後をつけてきたんじゃ」
カエルはやれやれ、と手を振った。
「なんだ他人任せかよ」
「仕方なかろう。他にあたるとこなど思いつかぬ」
「でもなぜ桃子は中枢の動きなんか知ってたんだ。もしかして、そういう家の出なのか? まさかお姫様?」
桃子は笑った。
「いや、わっちはただの田舎者じゃ」
桃子は、自分がのどかな山間で婆やと住んでいること、鬼が再び現れたことを告げに中枢から使者が訪れたこと、そして、かつて鬼を倒した刀「鬼切丸桃綱」を婆やが譲ってしまったことなど、経緯を話した。
カエルはあごに手を当て、何やら考え込んだ。
「鬼切丸……そんなものがあったのか。どうりで人間がアノ鬼どもをばったばったと倒せたわけだ」
ぼそぼそとしたカエルの独り言ちに、桃子は訂正を加えた。
「たしかに鬼切丸の能力もあろうが、しかしそれ以上に、使用者が桃太郎であったことの方が大きいじゃろう。あれは扱う者の才覚に依存する。心が強ければ強いほどに、刀から引き出される力もまた強くなるんじゃ」
「大した奴だったんだな、桃太郎は」
「うむ、桃太郎はすごいし、かっこいいんじゃ」
桃子が誇らしげに胸を張ったところで、カエルは再びぴょんと肩に移った。
「ずいぶんとほれ込んでるんだなあ。一体何者なんだ桃太郎って。桃の王子様?」
カエルは冗談めかして聞くが、桃子は至って真面目に応えた。
「桃太郎は宝桃の血を通わせた人間なんじゃ」
「ほうとうって?」
「とにかくすごい桃じゃな。かつて、イザナギノミコトを追い詰めた神の軍団ですら、桃の力を前にして退散してしまったと伝わっておる。神すら恐れる力なのじゃ」
「おおげさな……。あんなお尻みたいな可愛いなりして、神様やっつけちゃうのかよ。絵が想像できないぞ。トンデモ果実だ」
「冗談で言っておるのではない。大神実命(オオカムヅミノミコト)という、神の名をも与えられておる。つまりは神レベルの血を通わせていたのが、桃太郎なのじゃ」
カエルは、桃子の鎖骨までたどり着くと、一度桃子を見上げた。
「神様レベルか……って、まてよ。なんでそんな神の血を通わす大層な人が持ってた特別な刀を、桃子のおっかちゃんなんかが持ってたんだよ」
「婆やは桃太郎の実の母親じゃ。そして桃太郎は、わっちの実の兄じゃよ」
…………え?
「あ、桃太郎って、お兄さん?」
「そうじゃ」
「あ、そう。そうなんだ。へえー」
って、えええぇぇ!?
カエルがあごを外して、目玉をぶっ飛び出した。桃子の胸までもうすぐ、というところまで来ていたが、それもピタッと静止する。
「えーと、桃太郎は神の血を通わせていたんだろう?」
「うむ」
「だからとても強かったんじゃないのか?」
「そうじゃが」
「だったら、妹である桃子も、同じような血を通わせている?」
「同じようなではなく、同じ桃の血じゃ。当たり前じゃろう、兄妹なのだから」
そんな、まさか……。
カエルが絶望的な顔面を呈して「ヒィ」と悲鳴をあげた。
「……触れる神にたたりブツブツ」
胸の辺りからそそくさと頭のてっぺんに戻ってゆくのを、桃子は面白がって見つめた。
「何じゃ急にビビりおって。おぬし、本当にやることがいちいち人間寄りじゃのう。そんなにココがいいなら好きなだけ居させてやるぞ?」
わざと胸元を開けるが、ぷるぷる震えるカエルが首を横にぶんぶん振った。それがまた面白くて桃子はカエルのほっぺをつんつんしながら笑った。
「ケロ! 笑うなら好きなだけ笑えばいいさ。いいか、俺は神とか何とかだの、とにかくトンデモナイ存在にはなるべく関わらないようにしているんだ」
「それは運が悪かったのう。あいにく、わっちはそういう類(たぐい)側におる人間じゃよ」
「くう、知ってたら誓わなかった……」
「何をそんなに恐れる。おぬしは、これから鬼のもとへ行くのじゃろう? 神も鬼も大して変わらんじゃろうが」