3話
そんな曰くつきの刀は、世間に「邪気除けに有効」と伝播し、婆やの元にはこれまでに幾たびもの譲渡依頼が持ち掛けられてきた。けれど、いくら大金を積まれようと、一度も首を縦に振ったことがない。
「あれは物騒なもんじゃ。側にあると何か落ち着かぬし、わしも置き場に困うておる。じゃからと言って、大切な息子の形見。そう簡単に、与えも捨てられもせなんだ」
「全てを承知し、このようにお願い申し上げています」
頭を下げたまま動こうとしない与琥麻呂の後頭部を見つめて、婆やは長く息をついた。
刀で思い出すのは、いつだって元気な我が子の姿だ。
【――行ってきます!】
そう振り返る桃太郎が、にっこりと笑う。
「もし、あの子がまだ生きておったなら、なんと言おう。……いや、わしにはわかっておる。いつだって正義感の強い子じゃった。刀が本来の役目を全うすることを望んだじゃろう」
与琥麻呂は「では、」と顔を上げた。
婆やはひとつ頷き、苦い表情の中に、取り繕った笑みを浮かべた。
「その代わり、必ず鬼を討伐くだされ」
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
――刀がない。
大事な桃太郎の形見が、無くなっている。
水浴びを終えて戻ってきた桃子は、自室に置く刀がないことに気付くと、目を丸くし、口を半開きし、ぷるぷる震えた。
やがて「ぬおおお」と絶叫した。
部屋中あちこち捜索し、影かたちないことを確かめると「うわああああ」と二度目の絶叫をした。
「ばあや、ばあや!! 大変じゃ!!」
と婆やのもとへ駆ける。
居間の戸をどんと開けると茶をしていた婆やがまたいつもの呆れ顔をした。
「嫁入り前の娘っ子がなんちゅう声を出しておる」
「兄じゃの刀がなくなっとるんじゃ! なんちゅう声だって出さずにおれるか!」
「……ああ、あれかのう。あれは譲った」
――ゆずったあ!?
桃子は顔を桃色に染めて、頭から蒸気を出して激高した。
「誰にもやらんと約束したじゃろうが!」
「仕方なかろう。あの刀は鬼を倒すべくしてあるもんじゃ」
婆やは先の客人たちとの経緯を説明した。
そして、
「きっと桃太郎もそうしたじゃろう」
と顔をそむけた。
桃子の胸中には、ぽっかりと大穴が穿たれた。
「……そ、そんな……」
ぺたんと桃尻をついた桃子は、しばらく放心していた。が、考えをギュンギュンと巡らし、すっくと立ちあがって拳をにぎりしめた。
――鬼が復活したのなら、わっちが成敗しにゆく!
婆やが茶を吹きこぼした。
「な、馬鹿なことをいうでないよ。お前は、女子じゃ」
「おなごがなんじゃ! 関係なかろう! わっちは強いんじゃ!」
「相手はそこらの厄介者とはわけが違う! 鬼なのじゃぞ!? お前にできるわけなかろうが!」
「逆じゃ逆! 鬼の退治など、桃の血を引くわっちにしかできん! 兄じゃにできたのじゃ、わっちにできぬわけなかろう!」
――いいかげんにせい!!
婆やがここ一番、ちゃぶ台を思いきりひっ叩いた。
「桃太郎は……あの子は、死んだのじゃ! 退治ができても生きなければなんの意味もないわ! 爺やも後を追うように亡くなってしもた! もう、わしにはお前しか、もしお前まで、」
そこまで言って二の句が継げず、婆やが苦しそうに胸を抑えた。
「うぐ、」
「婆や!!」
桃子は慌てて駆け寄った。
心労が体に祟ったのか、婆やが苦悶の表情を浮かべる。汗をたっぷりと額に浮かべ、しかし、それでも語り続けた。
「今のお前は、兄の影に酔狂しているだけじゃ。真に為さなければならぬことがあっても、それが目に入っておらん。大好きな兄が死んでしまったことにおびえ、ずっと目が曇っておる。そんな心持ちで、あの鬼どもを倒せるはずなかろう……」
婆やを抱きしめながら、桃子は感情的になってポロポロ涙を落した。
「いっつもそうじゃ……、兄じゃには信頼を寄せ、肯定し、妹のわっちには否、否、否と――。たまには、いや一度ぐらい、わっちを信じてくれてもよかろう! わっちだってやれる! 兄が為した『鬼退治』なら、わっちにだって絶対できる!」
「まるで鬼退治することが、兄そのものなのじゃ、お前は。あの子が成したかったことは、そんな小さなことでないよ」
婆やは険しい表情のまま目をつむってしまったが、やがて桃子の涙が頬に落ちると、その頭をやさしくなでた。
「お前がたくましいことぐらい、わしはよく知っておる。お前はすごい子じゃ。だからこそ、もう二度と、愛する子を失いたくないと思う、わしの気持ちも、たまには考えてはくれぬか?」
桃子は、婆やの瞳が潤うのを見て、はっ、とした。
桃太郎と爺やを失って、苦しかったのは桃子だけではない。いや、己の体を痛めて生んだ実の子を、失う気持ちなど桃子には推し量れないことだ。
むせる婆やに桃子は身を寄せた。
精神的な苦痛は、おおよそ肉体にも多大なる負荷をかけていたのに違いない。
「しっかり」
腕の中で、婆やの体はとても小さかった。