21話
一つ大きな息を吐いた桃太郎の肩が、解かれたように緩んだ。
しばらくして、ようやっと兄が振り返ってくれた時、それはそれは複雑な表情だったと記憶している。
桃子は、まずい怒られる、と思った。
だから「ただかぐや姫に会うてみたくて……」と、先にわたわたと申した。
兄と二、三の問答を繰り返してから後、桃子の方から頼み込んで「おんぶ」してもらった。帰路に着きながら、兄・桃太郎から、その身が爺や婆やにとって何物にも代え難い宝物であることを、たっぷりと諭されたはずだ。
そして危なっかしいことは控えるようにと、きっちり釘も打たれた。
その時、背中越しに桃太郎から幾つもの大事な言葉をかけられたはずだが、桃子の中に最も強く残っているのは「誰も傷つかずに済み、本当によかった」という、桃太郎の何気ない一言だった。
桃子は、なぜ単純に「桃子が無事で」と言ってくれなかったのか、ずっと気に掛かっていた。兄・桃太郎に嫌われてしまったのではないかと心配してしまったからだ。
だって、そうではないか。
あのタイミングで「桃子が――」と続けてくれないなんて、助けられた側として、なにより実の妹として腑に落ちない。
自分の仕出かしたことを棚に上げておいてだが、恩人であるはずの兄に、しばらく悶々としていたものだった。
……いや。本当は、うっすら理解していた。
だからこそ、ずっと「むっ」としていた。
桃太郎は、桃子を襲ったあの猛々しいイノシシでさえ、むやみに傷つけずに済んだことを安堵していたのだ。
それも、まるで桃子と同列のようにしてだ。
もし桃子が桃太郎の立ち位置なら、そんなことは絶対にしない。
イノシシなど、もぐもぐ食べちゃったっていいくらいだ。
あの頃の桃子が今くらい桃の血を制御できていたのなら、相手が襲ってくると分かった途端に逆上をして、タコ殴りにしてやり、凄惨な結末を導いていただろう。
しかも、その獣を負かしてやった自分の強さと誇りに、喜びを感じて叫んですらいたかもしれない。
そんな桃子にとり兄は、なんだかいつも、よくわからなかった。
その反動からなのか、桃子は兄の情に飢えていた。
どこか遠いところに目を向けがちな兄の焦点を、ずっと自分だけのものにしていたかった。
構っていて欲しかった。もっと見ていて欲しかった。
桃子自身は、ただただ兄の背をばかり追いかけていた。
その大きな背の向こうで、桃太郎が何を見つめているのかなど、考えもしなかった。
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全身がぶるぶる震える。
ひどく気怠くて、視点が合わない。
ぼやけた視界の向こうに人影を見た。
手を伸ばそうとしたとき、かしゃり、と何かに引っ掛かり、腕が動かないことに気付いた。
――目覚め、したか。
声が遠く、聞き取れなかった。桃子は瞬きして、その影を捉えようとした。
次第に鮮明さを取り戻した視界に、丸太で組まれた大仰な格子が現れる。
その格子を挟んだ向こうに、雅な召し物をまとった、桃子の知らぬ男が立っていた。
「おぬしは、だれ、じゃ……」
「さすがです。まだ息を吸い、声を発せる」
桃子は、辺りを見回そうとしたが、これも腕と同様に勝手が利かない。
はじめ、桃子はそれを白鬼とした戦いの後遺症と認識したが、そうではなかった。
「――っ!」
全身を、黒い鋼に拘束されていたのだ。
「……なんじゃ、これは」
「鬼というのは見目に関わらず、いずれも相当頑丈なものです。我々の拵えた刃物では傷一つつけられない。捕縛も難しい。その拘束具は対鬼用に鍛えた代物で、力まかせでは外れぬよう、ちょっとした術を仕込んでいます。鬼とはいえ、あまり暴れることはおすすめしていません。――あ、ちなみに先の問いに答えるならば、私は中枢より鬼討伐の任を拝した与琥麻呂と申します。あなたの処遇を決める者です」
桃子は、男の話をしばし理解できなかった。
鬼の話と、自分が今現在、拘束されている状況とが合致しなかったからだ。
与琥麻呂は桃子に、というよりも独り言のようにぶつぶつと続けた。
「……まさか討伐隊が龍に襲われるとは思いませんでしたが、今回は不幸中の幸いでした。その龍が、鬼を落っことしてくれたのですから。きっとあの龍は、我々のもとへ鬼を運んできてくれたのでしょう。いったい何を故にかは皆目見当のつかないことですが、そのあたり、ぜひともご当人よりお聞かせ願いたいと思います」
「わっちは、なぜ縛られている」
与琥麻呂は不思議なものでも見るような顔をして、次いで、さも当然のように答えた。
「鬼を野放しになどできません」
「――っ!?」
寝覚めたばかりの桃子でも、さすがに脳がぎゅんぎゅん覚醒する。
「なにを言っているんじゃ、わっちが鬼なわけなかろう! 逆も逆、鬼を成敗するために来た桃太郎が妹、桃子じゃぞ!」
与琥麻呂は「……桃太郎の妹?」と、眉間にしわをよせた。
「いや、おもしろい事をお聞きした。しかし、角を生やしたあなたが、龍の背に乗っていたところを何人もの兵士が見ている」
「それは、」
「それに、あなたは、あの龍の背から落ちてきたはずですが、こうして生きて、わたしとしゃべりたくっている。頑丈な鬼の特徴ともまさしく合致しています」




