18話
蹴られた腹がズキズキうずき、桃子は顔を歪めたが、すぐに立ち上がった。
「まるでわっちが人間ではないような言い方じゃ。肩入れするのは当たり前じゃろう。わっちはれっきとした人間じゃぞ」
そうか? と白鬼はまるで不思議そうに首を傾けた。
「わらわの足げりを腹に受けて、なおまだ生きているのだ……十分ニンゲン離れしていると思うが。その様子では馴染めぬだろう、人間の社会は」
図星でこまる。桃子は元来、もっぱら桃太郎について他者ともめ事ばかりしてきたものだから、人里離れた山間地で婆やと二人っきりで暮らしてきたのだ。
けれど、
「関係ないじゃろう。人にはそれぞれ役割というものがあるんじゃ。わっちはこの強さを正しいことのために使おうと考えておる」
桃子の発言に、白鬼は苦虫を噛み殺したかのように険しい顔を呈した。
「思い出させる。わらわを殺したアイツも、同じことを言っていた」
「……おぬしを、殺したやつ?」
「わらわが人間にナニをされたか――。天の怒りを買い、龍がわらわに手を貸す由縁がそれだ」
「龍が人間に怒っているのは、おぬしが原因なのか」
白鬼が生前に受けた何かが、龍を突き動かすほどの事由だというのか。純粋にわけが気になる一方で、桃子は躊躇した。どんな経緯があれ、相手はこれから全力で倒さねばならない相手――鬼だ。
たとえ哀れな身の上があろうと、そこに情が湧いてしまえば必然的に手元が狂ってしまう。鬼は人間社会を恐怖に陥れるほどの、ただでさえ手ごわい強敵。わずかなためらいも致命的な敗因になりかねない。また、そうなるように意図した罠であるという可能性も拭えない。
だが幸か不幸か、白鬼がそれ以上語る気をみせることはなかった。
先ほどよりも濃い殺気を放ち、一歩、また一歩と桃子へ近づいてくる。
「口にすると自我を失うほどの『鬼』になりかねないのでな。知りたくば、わらわを倒し、あとでゆっくりと龍にでも聞けばいい。よかろう、デカグチ」
『一度決めたら静まらぬ鬼だ。そうしたいのならそうすればいい。……が、負けることは許されぬぞ、白鬼よ』
再び、どこからか野太い声が響いた。これがデカグチ――そう呼ばれる龍の声なのだろう。
「当たり前だ。わらわはこんな中途で止まるわけにいかないのだからな」
聞いていれば、まるで桃子が白鬼に勝てないと断言されているようだった。
桃子はむっとした。
「じゃあわっちはまず鬼退治に勤しまねばならんようじゃな。話はあとでゆっくり聞くとして、のう」
「ああ、わらわもそろそろ飽きてきたところだ。思い出すと腸が煮えくり返るようなことばかりでな。早いところ復讐を済まさないと憎悪が口から漏れ出そうだ」
そういう白鬼の拳からは、もうとっくにぽたぽたと生臭い液体が漏れ出していた。
本人は憤怒に汚れた血と表現したが、本当に怒りで噴き出す血のようだった。
「さっきからまるで余裕そうなそぶりじゃが、桃の血を甘くみると痛い目をみるぞ」
「……わらわが、余裕そうなそぶり?」
白鬼は顔を伏せて、くつくつ笑いだした。
「桃子よ、それは勘違いだぞ」
白鬼の拳からあふれるばかりの血に気を取られ、はっとした。
ドス黒い血が一滴ぽたりと落ちた、その刹那だった。
桃子の前から、再び白鬼の姿が消えたのだ。
とっさに振り向こうとした、半ば――。
ドンと全身に衝撃が走った。
桃子は急激に熱くなる自分のお腹を見下ろし、それを見た。
腸を、白鬼の鋭い爪が貫通していたのだ。
「が、はあっ」
あまりに突然のことで、思考が追い付けなかった。
青天井に増していく痛みが、やがて視界を霞めるほどに大きくなる。
串刺しにした桃子の体を、白鬼はゆっくりと持ち上げた。
それだけで、息も付けぬほど激痛が駆け抜ける。
「余裕そうなそぶりなどではない。はじめに見た時から分かっていた。お前はわらわに到底及ばないと。自分の写し姿でもよくよく見てくるのだったな。お前は美しい。だが、」
――ただの小娘だ。
白鬼は余裕げに、肉薄した桃の髪をくんくんと嗅いだ。
「血だけでこれほどそそるのだから、肉はさぞ甘いのだろう。……ああ、そうだ。うまい体にありつかせてくれる礼に、一つ教えてやろう。人間は、わらわに――」
「――っ!」
桃子は目を見開いた。
直後、再び腹をえぐられ、
「がああああっ」
壮絶な痛みが襲う。
思わず腹を抱え込もうとする桃子を、白鬼は首をわしづかみにして拘束した。引きはがそうともがくが、例によってビクともしなかった。
また野太い声が響く。今度はいくらか不機嫌そうな龍の声だった。
『もういいだろう。……はやく始末しろ』
「だまれ」
白鬼は、龍よりもさらに不機嫌そうにそう答えると、桃子が残る力を振り絞って白鬼の手を振り解こうとするのを、じっと見つめてきた。
「口ほどにもない。これが桃の血? ……あまりに弱い。弱すぎる……」
「う、ぐ、がはっ」
白鬼の指先から伸びる異様に鋭い爪が「グキッ」とさらに延長した。鋭利かつ太く長い爪は、少しでも力を込めれば、それだけで盛大に肉が裂けてしまいそうだ。
あまりの痛みに、桃子の腕の感覚がマヒしていく。




