15話
ぬかるむ泥を弾きあげながら、桃子はちゃけちゃけと高速の足音を立て続けた。
鋭く向けた視線は、暗雲の先、雷を散らして泳ぐ龍に向ける。
ピシャァと雷光が閃く瞬間、雲の中の巨体が浮かび上がった。
位置を確認した桃子は、進行方向を龍のそれに合わせる。
次に降りてくる機会を、逃さないために。
カエルは、龍を相手に、桃子が「おとり」程度にしかならないと案じた。
思い出すと、奥歯にぎりぎりと力が入る。
何事も、やってみなければ分からないではないか。相手が龍だろうと、自分が女だろうと、そんなもの物事の決定要因にはならない。あくまで一要素だ。それをただ怯えて逃げるだなんて……絶対に嫌だ。
桃子は急ブレーキをかけて、その場に仁王立ちした。
黄金の瞳をギロリとたぎらせ、息を深く吸い込む。そして、
「うおおぉぉ――――!」
土砂降りの雨音すら突き破って空に吠えた。
途端、龍の動きが変わった。まるで狙いを定め予備動作に入ったかのように、一点をぐるぐると回りはじめる。龍を目に捉えながら、桃子は虚空へつぶやいた。
「……兄じゃなら、どうしたんじゃ。相手が龍なら、どう振舞った。まさか逃げはせんじゃろう? わっちの知る兄じゃは、相手が誰だろうと、関係なかった。いつだって強大な敵に立ち向かっていく勇敢な男じゃった。わっちだって、逃げたくないんじゃ。桃の血はすごかったと、世に知らしめたい。兄じゃが遺してくれたもの、その大きさを証明したい――」
そう強く念ずる一方、心のどこかでカエルの言い分を認めてしまい、力が伴わないと不安がっている自分がいる。それが、何よりも悔しかった。
自分を鼓舞するように、ぐぐ、と拳を強く握りしめる。
討伐隊の面々が一斉に逃げまどう中、桃子は腰を低く身構えた。
「――こいっ! わっちが相手じゃ!」
グオオオオォォォ!
龍が再び超滑空を始め、咆哮がとどろき渡るが、
「うおおぉぉ――――!」
桃子は負けじと再び威勢を張り、小太刀を握り構えた。
龍が地上に激突する一瞬――。
桃子が突き立てた小太刀が、龍の肉体をわずかに斬り裂いた。が、硬いウロコはそれ以上びくともせず、桃子を連れたまま、龍は大空へ戻り始めた。
「うぐう!」
豪風にあおられながら、桃子は小太刀をあらん限りの力で握り続けた。
「――なんて力じゃ」
少しでも緩めれば、弾かれてしまいそうだ。
ぐぎぎ、と骨と肉がきしむ。
それでも、諦められない。なんとしてでも龍を止めねばならないのだ。その一心で腕を伸ばし、ウロコをがしりとつかんだ。必死にしがみつき、豪風雨を耐え凌ぐ。
桃の血で熱気した身でなければ、急速に冷やされて小太刀をつかんでさえいられなかっただろう。龍が雲海を飛び越えるのに、それほど時間はかからなかった。ばふん、と雲を突き破った先には、下界の様相が信じられぬほどの快晴が広がっていた。龍はそこで上昇を止め、雲と並行するように緩やかに進み始めた。大気が、ひゅうひゅうと髪をすいた。
「……ゆっくりになったのう」
桃子は、上方へよじ登りはじめた。
龍の背部にたどり着いた、その時だ。
――わしが叩き落とそうか?
腹の底から響くような、野太い声がした。
次いで、
――よい。わらわの獲物だ。
品のある、それでいて、どこか哀愁の漂う声が響いた。
桃子が龍の頭上に目を向けると、そこには人影があった。
すらりと白い細身に、豊満な胸、しなやかにくびれた腰。臀部へと続く体の曲線は、一見、美しい人間の女性そのものだ。
だが明らかにヒトでない。まったく血の気がなく、肌が異様に白いのだ。反して爪や瞳が白目ごと黒ずんでいる。頭には、小さい顔に不釣り合いな大角が、優雅に弧を描いて伸びていた。桃子は眼を丸くして驚いた。
「……おなご? いや。その角、まさか……」
桃子の予想に反し、白いヒト型は意外なほど沈着な態度で応じた。
「まさか、こんなところに鬼はいないだろうと思ったのであろう? だが、そのまさかだ。まさしくわらわは鬼。そしてここは龍の背の上。どちらも現実のことだ」
白い鬼は「それと」と、ひと呼吸置いた。
「おなごと言ってくれたな? うれしいぞ。わらわの身に性が残っているのなら、女でありたいのだ。かつては見目も麗しく好かれもの。しかして、いまや男は、抱かれるよりも喰らう方が好きになってしまった」
冷たい笑みを浮かべると口元の牙が剥き出た。
「……鬼、じゃと……」
桃子は顔をしかめた。
なぜ、龍の背に鬼がいる――。
龍の馬鹿げた力なら、今しがた味わったばかりだ。
さらに立て続けに現れた強敵、鬼。その強さなど、戦ったことのない桃子には計り知れないことだが、世の中を恐怖に陥れたという逸話はいくらでも聞いてきた。
だからこそ兄・桃太郎は偉人として称えられたのだ。鬼が弱いなら、世はこれほど騒ぎ立てたりしない。何より、桃子に流れる桃の血が警告している。
危険すぎる、と。
龍と鬼。片方だけでも厄介極まりないというのに、その両者が結託したとなれば、それは……。
「――絶望、か?」
白い鬼が満面の笑みで、そうつぶやいた。
「この世の終わりを見るような、いい目だ」




