14話
まるで生き物のように、空が低く唸った。
最初の雨粒が地面に跳ねたのを、直後、滝のように降り注いだ豪雨が押しつぶした。雨だれの盛大に弾ける音が、周囲一帯の聴覚情報を覆い、湿気が暗黒色の空模様と相まって視界をひどく悪くする。
たまに暗雲に閃く稲妻が、世界を真っ白に染めた。
カエルは、震える声で「ダメだ」と連呼した。
「桃子、いますぐ討伐隊を撤退させるんだ。相手がヤツと分かったらダメだ」
土砂降りの雨に小さな4本指を差し出し、
「この機嫌悪そうにざぁざぁやってんのは、古くから空に仕える龍の仕業だ」
桃子は顔をしかめた。
「……龍じゃと。なぜそんなものが人を襲う」
「んなこと分かるわけないだろ。あいつ等、時にやさぐれるんだよ。昔っから人間にえげつないこと仕出かしてきたんだ。今はなぜって頭ひねってる前に、戦うか逃げるかを決める方が先だ。刃を向けるのが鬼ならいいさ。まだ桃太郎さんが勝ったっていう直近の事例を知ってるんだからな。でも、相手が龍じゃわけが違う」
「勝った事例ならある。大古の昔、桃は神の一軍を退けたんじゃ」
「……それ、いつの時代のおとぎ話だよ」
カエルはもう涙声だった。
そして次の瞬間、注ぐ莫大な量の水粒を突き抜けて、それは直下してきた。あまりの速さに、身じろぎする間もなかった。巨体が、頭から長々と空を駆け下り、まっすぐと地面に突き刺さる、その瞬間――。
地面が破裂した。
まるで壁のようなプレッシャーに煽られて、討伐隊も桃子もカエルも、大勢が一挙に吹き飛ばされた。桃子は何度も身を打ちつけながら、辛くも受け身をとり、地に足を着けて身を立て直した。しかし、その時にはもう龍は空高くまで昇っていた。
残された跡を見て、桃子は驚かずにはいられなかった。
大地が広範にわたって凹み、破砕されたうえに、地盤が底深くまで裂けていたのだ。
「いったいどれほどの圧を掛ければ、これほど土を歪められるのじゃ」
同時に、腹の底からふつふつと怒りが湧いてくる。
桃の血が頭に上って、短髪がふわふわと逆立った。
「空を護る龍が、なぜ人を襲うんじゃ! 討伐隊は、悪事を働く鬼を退治するために戦おうとしておる! 罰に当たる理由なぞ、からっきしなかろう!」
空高いところから、答えが返ってくるはずもなく、代わりに轟々と雨ばかりが降りしきった。
カエルがぴょんと桃子の頭に移って前髪をひっぱった。
「逃げよう!」
「逃げると言っておぬし、アレからどうやって逃げるというんじゃ! 遮るモノ一つなく、びゅんびゅん空を飛んでおるのじゃぞ! 戦うほかなかろう!」
「相手が空飛ぶ龍だからこそ、増して全力で逃げようって提案しているんだ。本当に戦り合おうなんて考えちゃいないよな? あの口のバカでかさ、見ただろう!? ぱくりとされりゃ、ごくっと一飲みにされるのがオチだ!」
桃子はカエルを頭から引きはがし、大雨でぐちゃぐちゃの泥に落とした。
ぺちゃ、という落下音と、うっ、というカエルうめき声があがる。
「少しは戦うことも考えたらどうじゃ!」
泥に投げ込まれたことに怒って、カエルが「むむー!」とほっぺを膨らませた。
「カエルがせっかく注意してやってるってのに、ただ戦うだけが方法じゃないだろう! 俺たちの目的は、あくまで『鬼退治』なんだ! あんな空のバケモノと戦うことじゃアない!」
「その鬼を倒すために働く討伐隊が、今まさに空のバケモノに襲われているのじゃ! 見殺しにしろというのか!」
「ちがう! 勇気と無謀が紙一重んところで変わるのは、そこに思慮があるかないかだって、大人から教わんなかったのか!? つまり、俺が言いたいのは、その、桃子が、」
カエルが口をもごもごさせて言い淀む内容を、桃子は十分に察していた。
絶望的な最良の選択肢が、討伐隊を見捨てて逃げることの他に、あとは一つしかないことを。そして桃子の選ぶ道が、十中八九、後者であろうことも。
カエルは、パートナーを危地へ向かわせるのが嫌だったから、始めから「逃げる」という選択肢しか口にしなかったのだ。つまり、討伐隊の逃げる時間を稼ぐために、桃子が標的になろうとするのを避けるために。
「おぬしは、時に優しすぎて困る」
桃子は、腕に結んだ桃太郎のハチマキを、額に巻きなおした。
日本一を記した字面を見て、桃子の戦う意思を改めて認識したのか「ああもう」とカエルがため息をついた。
「どうせ言っても聞かないって、わかってたさ。……約束したしな。俺も付き合うぜ」
「いや、おぬしはここで待機じゃ」
カエルが口を半開きに、しばしぽかーんとする。目をぱちぱちして、我に返った。
「――えっ、何言ってんだ! 俺も戦うよ!」
「おぬしと約束したのは、あくまで『鬼退治』の件についてじゃからな。今回はわっちの独断じゃ。付き合わせるわけにいかんよ」
「ちょっとまてよ! 桃子、さっきは討伐隊が襲われているからって! 鬼の討伐に関係するからって言ったじゃないか!」
「すまぬ」
桃子が快足で駆け出すと、カエルがケロケロと続ける文句は、雨音に邪魔されてすぐに聞こえなくなった。




