13話
カエルはケロケロと文句を続けたが、桃子はそれ以降「そうじゃな」「うむうむ」「わかっておる」と聞き流していた。それよりもぺろぺろされて付着した粘液を気にして、おそる、おそる、くんくんと匂いを嗅いでいる。
カエルはぷうとほっぺを膨らませた。
「失礼だな。意図しなきゃ毒っけはないぞ」
桃子はしばしあっちに目をやって、
「ふむ。意外と無臭なんじゃのう。もっとこう、おうえっ、ぐほっ、とむせび泣いて吐きそうになるかと思った」
と感想しつつ、そこは抜かりなく洗い落としたいのだろう、再び川辺に寄っていった。
その背を、恨めし気に見送った。
「ほんと失礼だよ」
カエルは深くため息をついた。けれど、ずっしりと重いこの気持ちは、桃子に依るものではなく、自分の身の振り方に起因している。
他人に動機うんぬん問うておきながら、いざ己のことになると、多くのことをあいまいにしてきたのだ。背伸びしたってしょせんは、カエル。突き詰めて両生類。本当は自分に言ってやらねばならない。お前の方こそ、覚悟などてんでできちゃいないではないか、と。
帰るべきなのは……帰りたがっているのは、自分の方だ。
静かに穴倉に引きこもっていれば、危ない目に逢わずに済むし、誰とも干渉しあう必要もない。カエルの余生を難なく過ごせるだろう。ちっこい我が身を労してまで、いちいち傷つかずともいい。それに、
「今更、あの子に会えたところで、俺には何のメリットもない」
迷う自分に、また一つため息をついた。
――いったい、俺自身はどうするつもりなんだ。
カエルは、両生類の4本指を見つめて、直後ぺちっと自分の顔を叩いた。
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二、三ぱしゃぱしゃ顔を洗っていると、ゾクッと不吉な気配を感じた。
桃子はゴロゴロ唸る暗雲を見て、顔をしかめた。
「雲行きが妙じゃ」
同じく空を仰いだカエルも、首をひねっていた。
「またひと雨きそうだな。どっかでやり過ごすか?」
「いや……胸騒ぎがする。おぬし何か見えぬか」
桃子は周囲に意識をやりながらカエルへ腕をのばした。
カエルがぴょんと肩に乗ると大きな瞳をパチクリさせ、今度は真一文字に目を細めて、川の向こう岸、さらに奥の山間をじっと見つめた。
「……わからない。でも『何かいる』。それも、俺に毛があれば総立ちしそうなほど嫌なもんが」
「同意じゃ。わっちの桃の血も、うずいておる」
「なあ、桃子」
どこか心配そうにするカエルに、桃子は応えられなかった。
桃子の意思とは別に、桃の血が発動しはじめたからだ。
全身からふつふつと熱気が立ち、筋肉がこわばっていく。カエルが蒸気する桃子の首筋に触れて「アツっ!」と飛び退いた。桃子の体が猛々しく変化するのを、しばらく驚いていたようだが、案外と「やっぱりいい。集中してくれ」と遠慮してくれた。
じっと気配を探っていると、遠方を震源とする盛大な地響きが足元に渡ってきた。
「……何なんじゃ」
「桃子、この方角は」
淀む雲の向こう側で何かが赤く瞬いた。その発信先を見て、カエルは桃子の肩からぐいと身を乗り出し、続けた。
「討伐隊のある方だ。正直、こんな早く鬼と遭遇するなんて思ってなかったけど、向かう逃げるは、早々に決めなきゃな。手遅れになるかもしれない」
「――わかっておる。つかまっておれ。わっちは、ちと速いぞ」
ズバンと桃子が走り出すと、カエルが「うぎょ!?」とらしからぬ悲鳴を上げたが、今はかまってなどいられなかった。
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なんじゃ、これは……。
人間が、大勢、転がっている。
武装の身姿から、中枢の討伐組と、農具を獲物にして駆け付けたのか、近辺の村人もいるようだった。しかし、それよりも目を引いたのは、大地を奇妙に削った巨大な痕だ。
桃子は小太刀を抜き、身をかがめた。
「これが鬼の仕業なのか……!?」
カエルがうめくように応えた。
「いや鬼ってのは、こんな器用かつ大胆に、地面に絵を描くのか……?」
まるで巨大なヘビでも這ったかのように、凹みが長々深々と縦横している。
その時、またしても空が唸った。
桃子は暗雲の向こうを射抜くように睨みつけた。
「あそこに何かおる」
同じく空を凝視したカエルは、次第に震えはじめた。
「桃子……やばいって。あれは鬼なんかじゃないぞ。相手にしたら不味い奴だ」
逃げろ! また『アイツ』がくる!
討伐隊の兵が指さす空を、桃子は桃の血で鋭敏化した瞳をもって、ギュンとフォーカスした。
一瞬だけ、雲間に輝きがのぞく。かすかに閃いたその数枚の煌めきを、桃子は視認し、驚いて目を丸くした。
――そんな、ばかなっ!
「ウロコじゃと!? 魚がおる! 雲の中に、魚が泳いでおる!」
しかし、すでに正体を知ってか、カエルは震えるようにぶるぶると首を横に振った。
「いや、違う。桃子、あれは俺がこの世で最も嫌いな分類の一種だ」
ゴォォォォォォォォ!
天から轟く咆哮に、桃色の短髪が逆立った。




