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桃姫伝  作者: 立花豊実
13/25

13話

 カエルはケロケロと文句を続けたが、桃子はそれ以降「そうじゃな」「うむうむ」「わかっておる」と聞き流していた。それよりもぺろぺろされて付着した粘液を気にして、おそる、おそる、くんくんと匂いを嗅いでいる。

 カエルはぷうとほっぺを膨らませた。

「失礼だな。意図しなきゃ毒っけはないぞ」

 桃子はしばしあっちに目をやって、

「ふむ。意外と無臭なんじゃのう。もっとこう、おうえっ、ぐほっ、とむせび泣いて吐きそうになるかと思った」

 と感想しつつ、そこは抜かりなく洗い落としたいのだろう、再び川辺に寄っていった。

 その背を、恨めし気に見送った。

「ほんと失礼だよ」

 カエルは深くため息をついた。けれど、ずっしりと重いこの気持ちは、桃子に依るものではなく、自分の身の振り方に起因している。

 他人に動機うんぬん問うておきながら、いざ己のことになると、多くのことをあいまいにしてきたのだ。背伸びしたってしょせんは、カエル。突き詰めて両生類。本当は自分に言ってやらねばならない。お前の方こそ、覚悟などてんでできちゃいないではないか、と。

 帰るべきなのは……帰りたがっているのは、自分の方だ。

 静かに穴倉に引きこもっていれば、危ない目に逢わずに済むし、誰とも干渉しあう必要もない。カエルの余生を難なく過ごせるだろう。ちっこい我が身を労してまで、いちいち傷つかずともいい。それに、

「今更、あの子に会えたところで、俺には何のメリットもない」

 迷う自分に、また一つため息をついた。


 ――いったい、俺自身おまえはどうするつもりなんだ。


 カエルは、両生類の4本指を見つめて、直後ぺちっと自分の顔を叩いた。



 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★



 二、三ぱしゃぱしゃ顔を洗っていると、ゾクッと不吉な気配を感じた。

 桃子はゴロゴロ唸る暗雲を見て、顔をしかめた。

「雲行きが妙じゃ」

 同じく空を仰いだカエルも、首をひねっていた。

「またひと雨きそうだな。どっかでやり過ごすか?」

「いや……胸騒ぎがする。おぬし何か見えぬか」

 桃子は周囲に意識をやりながらカエルへ腕をのばした。

 カエルがぴょんと肩に乗ると大きな瞳をパチクリさせ、今度は真一文字に目を細めて、川の向こう岸、さらに奥の山間をじっと見つめた。

「……わからない。でも『何かいる』。それも、俺に毛があれば総立ちしそうなほど嫌なもんが」

「同意じゃ。わっちの桃の血も、うずいておる」

「なあ、桃子」

 どこか心配そうにするカエルに、桃子は応えられなかった。

 桃子の意思とは別に、桃の血が発動しはじめたからだ。

 全身からふつふつと熱気が立ち、筋肉がこわばっていく。カエルが蒸気する桃子の首筋に触れて「アツっ!」と飛び退いた。桃子の体が猛々しく変化するのを、しばらく驚いていたようだが、案外と「やっぱりいい。集中してくれ」と遠慮してくれた。

 じっと気配を探っていると、遠方を震源とする盛大な地響きが足元に渡ってきた。

「……何なんじゃ」

「桃子、この方角は」

 淀む雲の向こう側で何かが赤く瞬いた。その発信先を見て、カエルは桃子の肩からぐいと身を乗り出し、続けた。

「討伐隊のある方だ。正直、こんな早く鬼と遭遇するなんて思ってなかったけど、向かう逃げるは、早々に決めなきゃな。手遅れになるかもしれない」

「――わかっておる。つかまっておれ。わっちは、ちと速いぞ」

 ズバンと桃子が走り出すと、カエルが「うぎょ!?」とらしからぬ悲鳴を上げたが、今はかまってなどいられなかった。



 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★



 なんじゃ、これは……。


 人間が、大勢、転がっている。

 武装の身姿から、中枢の討伐組と、農具を獲物にして駆け付けたのか、近辺の村人もいるようだった。しかし、それよりも目を引いたのは、大地を奇妙に削った巨大な痕だ。

 桃子は小太刀を抜き、身をかがめた。

「これが鬼の仕業なのか……!?」

 カエルがうめくように応えた。

「いや鬼ってのは、こんな器用かつ大胆に、地面に絵を描くのか……?」

 まるで巨大なヘビでも這ったかのように、凹みが長々深々と縦横している。

 その時、またしても空が唸った。

 桃子は暗雲の向こうを射抜くように睨みつけた。

「あそこに何かおる」

 同じく空を凝視したカエルは、次第に震えはじめた。

「桃子……やばいって。あれは鬼なんかじゃないぞ。相手にしたら不味い奴だ」


 逃げろ! また『アイツ』がくる! 


 討伐隊の兵が指さす空を、桃子は桃の血で鋭敏化した瞳をもって、ギュンとフォーカスした。

 一瞬だけ、雲間に輝きがのぞく。かすかに閃いたその数枚の煌めきを、桃子は視認し、驚いて目を丸くした。


 ――そんな、ばかなっ!


「ウロコじゃと!? 魚がおる! 雲の中に、魚が泳いでおる!」

 しかし、すでに正体を知ってか、カエルは震えるようにぶるぶると首を横に振った。

「いや、違う。桃子、あれは俺がこの世で最も嫌いな分類の一種だ」


 ゴォォォォォォォォ! 


 天から轟く咆哮に、桃色の短髪が逆立った。

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