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桃姫伝  作者: 立花豊実
11/25

11話


 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 白い手が、ほっぺに触れた。

 舌を出しておどけていると、微笑みかけてくれた。

 それだけで幸せだった。

 だからこの上は、彼女に何も望まぬべきと自制した……つもりだった。

 彼女は、カエルの想像した先を、何度もいい方向に裏切ってくれた。

 突き放すこともせず、添い寝ですら嫌がらなかったのだ。

 少なくとも「きっとそのうちに飽きて捨てるに決まっている」と、常に訝しんでいたカエルの心根を入れ替えるほどには、その関係は続いた。カエルは、どうせいつか捨てられるのならと、その間だけでも、夢を見させてもらうことにした。

 油断といえばそうだ。

 それよりほかに、仕方がなかった、といえばそうでもある。


 カエルは、その娘に恋をしてしまった。


 だから――、


 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 はっと目覚める。

 瞼を閉じた上から、眼球をぐりぐりこすった。

 ぱちぱち瞬きをして、今まで微笑みかけてくれていた彼女が、本当に夢の中だけの存在だったのか、しつこく確かめた。

 本当は、在り得ないと、重々分かっているはずなのに。

「そりゃそうだよな」

 洞穴内にいる自分を、冷静に振り返る。

 カエルは、うすら、うすら、昨晩のことを思い出した。

 急に降り出した雨を凌ぎに、ここへ逃げ込み、野宿を決めたのだ。桃子は器用に火を焚いて暖を取り、横にならず座ったままだった。「寝ればいいのに」と何度も薦めたのだが、結局最後まで聞こうとはしなかった。

 改めて辺りを見渡すが、桃子はいない。

 カエルは桃子が醸す独特の「桃の香り」をくんくん嗅いだ。

 ぴょんと穴を抜けだすと、雨はすっかり止み、朝日が昇っていた。

 香りを追ってゆくと、近くでサアサアと川の流れる音がする。

 さらに行くと、開けた川辺で少女が一人、素っ裸で水を浴びていた。

 きれいだな、と見とれた。

 同時に不思議にも思った。

 なぜ、こんなにも美しい容姿なのに、鬼退治なぞと物騒なことに身を投じようと思ったのだろう――。


 桃子は陽にキラキラと照る髪をかき上げると、ちら、とこちらを一瞥した。

「朝っぱらからのぞき見かのう。関心せんぞ」

 眺めていたのがバレて、ビクッとする。

「あーいや! ほら、守ると誓っただろう? 一応、周囲警戒をと」

 と舌を出してごまかす。

「それに俺はカエルだぜ? 人間の裸になんか微塵も興味ないさ。両生類なめんな?」

 シュッ、シュッと舌出しを繰り返すと、桃子は呆れたように笑った。

 カエルを気にする風でもなく、桃子は陽に向かい、空へぐぐぐと伸びをした。

 しばらくを優しい風とせせらぎが通り過ぎていく。

 やがて、桃子が着衣しはじめると、カエルは思わず聞いていた。

「なあ。なんで鬼退治なんてしようと思ったんだ。大人しくしていれば、もっと安穏な道を幸せに歩めるだろうに」

 するすると袖に腕を通しながら、桃子は少し考え込んだ。

「鬼は、わっちの兄を奪った宿敵じゃからな」

 と言うが、少し間があく。

「……というのとは、ちょっと違うのかもしれん。わっちは兄が大好きじゃった。何をするのにも、兄の影にいれば安心じゃった。でも、一方で羨ましくもあったんじゃ」

 桃子が、きゅ、とはちまきを腕に結ぶ。

「兄じゃは優秀すぎて、時々、わっちの眼にまぶしかった」

「嫉妬してたのか? 兄の功績に」

 考え込み、また呆れるように桃子が笑った。

「いいや。少なくとも、命を落としてまで戦ってくれた兄を、妬むなど筋違いじゃろう」

 桃子が陽を仰いでまぶしそうにする。

「兄が命を懸けて遂げた鬼の退治。喜んでいいのか、悲しんでいいのか。助けられたわっちら自身は、優秀だった兄じゃに代わるほどの意義を見出せるのか。兄じゃの死が、わっちを複雑な気持ちにさせたのは事実じゃよ」

 桃子が握るこぶしが、かすかに震えるのを、カエルは不思議に見つめた。

「……そこまで気にする必要はないんじゃないか。お兄さんだってきっと、そんなこと微塵も思ってないって」

「置いてゆかれる遺族の苦しみを、兄じゃは知らなんだ。わっちら家族のために死んでしまったようなものなんじゃぞ。わっちは守られて生き残った。言い換えれば、わっちのせいで兄じゃは、生きていれば叶えられたろう夢を、閉ざさねばならなかったんじゃ。わっちのせいで、兄じゃは……」

 カエルはペロっと桃子のほっぺをなめた。

「うわっ! 何でぺろっとするんじゃ! せっかく水を浴びたのに!」

「こうすれば嫌がると思って」

「いきなり舐められたら、誰だって嫌に決まっておろう!」


 ――くよくよしてたら、お兄さん、報われないだろ。


「…………」

 桃子は舐められた頬を悔しそうにぬぐうものの、言い返さなかった。

 カエルは追い打ちをかけるように続けた。

「そんなこと気にして鬼を倒そうって? 無理なんじゃないか」


 無理。


 そう吐き捨てられたワードが、至極気に障ったのか、桃子はぷー! と頭から蒸気を噴出して、カエルの口の両端をつかみ、ぐいぐい引っ張って伸ばした。

「イタタタ」


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