10話
カエルは呆れ顔をした。
「神も鬼も一緒だって? そりゃないさ。どっちも大仰な存在だが、大層ちがう。同じ世界を表わすもんでも、天と地だってそうだろ? 神に比べたら、鬼なんてヒトの魂が残っている分、可愛いもんさ」
カエルの知った口を、桃子は「うむ?」と訝しんだ。
「おぬし、まるで神に出くわしたことでもあるような口ぶりじゃな」
はっとしてカエルは、それまでの話を振り切るように顔をぶんぶん振った。
「関係ない。神だろうと鬼だろうと、何だろうと。桃子には桃子の、俺には俺の、やるべきことがあるだろう? さあ、とっとと行こうぜ」
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ぽつり、ぽつり――……、
岩穴から見る外は、ひと降りきそうな空模様だった。濃灰色の雲越しに注がれる陽の光は、最後は塵と化す人間の遺灰のようだ。
手のひらを広げると、雪のような白肌に、所々青黒い筋が通っている。
かつてはヒトの血を通わせていたそれは、もう常人のものではない。胸の内には鉄塊が埋め込まれたかのように重く、その荷は解かれることなく、いつまでも鬱屈し続ける。
――人間が、憎い。
この手で奴の首根をつかみ、岩に叩き、許しを請うのも許さず、八つ裂きにしてやりたい。拳から、また、ぽつりと血が滴った。
怨念だけが、自分の存在意義だった。
この身をして、自らのことを「白鬼姫」と呼んだ。
白鬼姫は、歯ぎしりするたびキバが欠けた。またそのたびに、ギリギリと再生して、強く太くなった。憎しみが肉体を強固にしてゆく、まさに「鬼」そのものだった。
握りしめる拳には内側に爪が深々と食い込み、常に黒い液体を垂れ流している。恨みが具現化したかのように、黒い体液が辺り一帯に水たまりを作り、今もなお、ぽつり、ぽつりと範囲を広げている。
山中の岩穴にこしらえた空間には、他に来客もあった。
決して白鬼姫が自ら進んで歓待したわけではない。
むしろはじめ、白鬼姫はソイツを殺そうとした。だが、本来の姿をさらした時のソイツは、図体の威容がすさまじく、さらに空を飛べるという特殊な能をして、白鬼姫でさえつい殺し損ねるほどだった。
白鬼姫は、ソイツの本来の姿が持つ「口のでかさ」を見て「デカグチ」と名づけた。
デカグチは、今日もみすぼらしいヒトの姿に化けて、何か憂いたツラで突っ立っている。ボロキレのような髪が口元を多い、息がかかると揺れた。
ゆったり口が開き、低い声が響く。
「どうだ白鬼。気分は」
白鬼姫は岩塊を削ってこしらえた座に腰掛け、頬杖をついたまま、デカグチに目だけ寄こした。
「わらわの機嫌を伺うなら、ヒトの姿など見せるな」
威嚇のつもりだが、デカグチは身じろぎ一つしなかった。
重低音が続く。
「言ったはずだ、わしは敵ではない。人間を懲らしめたいのなら、手伝ってやろうと」
白鬼姫は、自分でもバカだと思うほど、狂ったように笑い声をあげた。
「助けなど要らぬわ。それに『――懲らしめたいなら』だと? 違う。地獄を味あわせて殺してやりたいのだ。復讐は、わらわの手で、わらわ自身の力で為し遂げる」
デカグチの憂いた面の影が濃くなり、一層陰鬱な気を醸し出した。
「白鬼、お前は人間の力を甘く見ている。あの希代の赤鬼ですら、たった一人の人間に敗れたのだぞ――」
デカグチが言葉を終わらせるよりも先に、白鬼姫はバチバチと唸りちる、もろ手の爪を立てた。
バチイィィィ!
今しがたそこにあったデカグチの顔がずんと消え、代わりに白鬼姫の鋭い爪が、後方の岩壁を発破し、巨大な凹みを穿った。
「忌々しいことを口にするな!!!!」
豪速で飛び退いたデカグチは、てんてん、と片足でホッピングをしながら余勢を打ち消した。
殺されかけたことにも意を介さぬ様子で、低い声を続ける。
「愛しき赤鬼を消された――、さぞ悲しく、苦しかろう。憎しみの嵩は計り知れない。だが恨み節を歌うだけでは、人間に勝てはしまい。奴らは群れ、手を携えながら、友情という名の妙技をけしかけてくるぞ。あれは強い。まして奴らには、厄介な【桃】までもが力を貸しているのだ。……すでにお前の存在は知れ、人間たちは動きだした」
ぽつりぽつりが、途中からぴちゃぴちゃに変わった。
拳に力をこめ過ぎて、血肉が破れたのだ。
白鬼姫は、体を左右へぐらつかせながら、ゆらゆらとデカグチへ歩み寄った。
デカグチがまとう、ぼろ布をわしづかみ、ぐいと引き寄せる。
怒りは、瞬く間に冷え固まり、大海原のような深い悲しみへと変わった。
白鬼姫の大きな両目からは、涙が流れ落ちる。
「……赤鬼を殺したのは、だれなのだ……」
泣きすがる白鬼姫を、デカグチは抱きも支えさえしなかった。
代わりに静かに応えた。
「桃太郎という人間の男だ。ヤツはもう死んだ。赤鬼は相討ちとなったのだ。人間相手にな。彼奴らの相手は手こずるぞ。だからこそ、このわしが手を貸そうという。わしとお前が力を補完し合いさえすれば、人間など、恐れることはない」
白鬼姫はギロリとデカグチを睨みつけた。
しかし目に宿るのは、怒気ではない。
狂おしいほどに悲しい涙だ。
「貴様に何ができる。わらわの、この晴れ得ぬ胸にこだまする、悲哀と憎悪の滴り音は、決して止みはしないというのに……」
デカグチは答える代わりに目をつむり、グギグギ、とその身を本来の姿へと伸長させた。びりびり衣服がちぎれ、やがて盛大に築き上げた岩穴の巨大空間でさえ手狭になるほどの、
――龍が姿を現した。
巨大な口を開けて、轟々と息を吸いながら、龍は岩穴から飛び出した。いつしか雷雨になっていた空を駆け登り、雷雲さえ貫いて飛翔する。
暗雲を裂いて渡りながら、やがて、天地が揺らぐほどの咆哮を、雷鳴と共に轟かせた。
――わしの前では、人間など塵も同じよ。




