甘雨
曇天の下、地雨が降り注ぐ今日のよき日に、黒い死に装束を身に纏った私は、
とある待ち人を待っているのです。
ええ、正確には、ある日通りすがった青年を、再びこの目に焼き付けるために、
ふらりとあらわれるその瞬間を、只当てもなく待っているのです。
世の少年少女は、一般的に丁度今の時間帯に、学び舎で勉学に励み、
共に苦楽を共にするものと友情を育むと聞きます。
しかし、残念ながら私にとっての学び舎は、私に一等似合う死に装束を与えてくれた、
ただそれだけの場所でした。
人は私の装束と同じものを指差し、セーラー服と呼びました。
もう一つ、強いて言うとすれば、あの学び舎は私がすべてを諦めるには十分すぎる場所でした。
同じ顔をした彼女たちは、
一人時代から取り残されたような容姿の私が気に食わなかったのでしょうか、
非道なことをいくらかされたように思います。
どういうわけで彼女たちが私を攻撃するのかわからず、
なすすべもなく浮かべていた薄い笑みが、余計彼女たちを刺激したのでしょう。
ダニだのポリデントだの、呼ばれた固有名詞の数々はもう覚えていませんが、
家には既に心休まる場所がなかったためか、
度々行う生を確かめる行為のためか、
最早あの時の私は痛みという感覚も麻痺していました。
そんな私に、今まで感じたことのない痛みを教えたのが、その人との出会いでした。
あの日は今日と同じ、人の身体に纏わりつくような雨の日で、
ゼリーに沈み込んだような色の紫陽花が、印象的でした。
紫陽花の前には幾年も雨風にさらされ、風化した小さなベンチがあり、
私は蝙蝠傘をさして座っておりました。
そうして、足元に落ちた灰色の空に、波紋が浮かぶのをぼんやり眺めていたところ、
木の影から現れたのがその青年でした。
彼は今時珍しいマント付の学ランを身につけていました。
一瞬、一度だけ彼と目があったのですが、
その人は私に気を留めることもなくそのまま行ってしまわれました。
しかし、その刹那、或いは一秒ともいえる長い時間彼との両目で交わした交流は、
私の生をより絶望的なものにするには十分すぎるものでした。
この私の中に起こった衝撃は俗称一目惚れと呼ばれるものですが、
これまで一人で十分足りていた自分が一度に崩れ、
脳髄から内臓の隅までその人物がいなければ満たされなくなるのですから、全く恐ろしい薬物です。
そうして、恋という病に侵された私は、
今もこうして、再びその青年が通りかかるのを待っているのです。
出会ったのはあの一度きりで、声すら聞いたことはありませんが、
彼の声はきっと、丁度紫陽花の虚構の花びらを、雨が揺らすように、優しく響くのでしょう。
しかし、そのためには私自身があの青年に相応しい一部にならなければなりません。
背後に咲く紫陽花は、土がアルカリ性故か赤みの方が強いですが、
赤いのは手首に巻きつく包帯で、その下に咲く包丁の切り傷で十分。
願わくはまっさらな青に染まりたいと、雨音に耳を傾けながら思うのです。
ルミノール反応なるものがあるのを知っているでしょうか。
血痕に対し青白く蛍光する反応ですが、あれをこの装束にふりかければ、
きっと美しい青に染まるでしょう。
ここに座り続けて、どれ程の時間が経ったかは、曇天故に把握する材料がありませんが、
私の両足が地面に根を張る音が聞こえましたから、後戻りをすることは許されません。
曇天の下、地雨が降り注ぐ今日のよき日に、黒い死に装束を身に纏った私は、
とある待ち人を待っているのです。
再び出会うその日まで、私の心を刈り取った死神を想いながら、
雨音の語りに耳を澄まし、
紫陽花色に染まり、
己の内臓まで紫陽花で埋め尽くされてなお、青年の来訪を待っているのです。
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「ねえ、知ってる? 雨沢公園の幽霊の噂……」
「あー、随分昔池があったところを埋め立ててつくられたという公園のこと?」
「確か雨の日になると人柱として埋められた青年の霊がうろつくんですってね」
「そうそう、でもどうやらそれだけではないらしいの。見たのよ私」
「何を?」
「古い形のセーラー服を着た女子高生の幽霊」
「昨日、帰宅中に見たのよ」
「かなり風化したベンチに、蝙蝠傘をさして座っているの」
「笑顔が微動だにしなかったから不気味だったんだけど」
「今朝公園の前を通ると、昨日のベンチはなくて」
「あー……それ、もしかして40年くらい前の事件の……」
「え? なんかあったの?」
「結構陰惨な事件で、被害者はこの学校の生徒だったらしいの」
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――16日未明、A市に住む女子高校生が何者かに殺害されているのが見つかりました。
女子高校生の後頭部には何者かに鈍器などで殴られた跡のようなものが見つかり、
また胴体には胸辺りから下腹部にわたって刃物で切り裂かれた傷が確認されました。
司法解剖の結果、女子高校生の身体からはあらゆる臓器が持ち去られ、
代わりに無数の紫陽花の花が詰め込まれていたとのことです。
腹部の傷が医療用の糸で縫いつけられていたことなどから、
犯人は医療従事者の可能性もあるとみて調べを進めています―― (1962年6月17日)