表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

監禁五十九日目

考えが変わっていく。

ゆっくり、ゆっくり。


幼女へ、子どもへ、女の子へと向ける感情が、変化していく。

 箱の中で今日も霞白は考える。

 外では騒ぎになっているだろうか。事件として扱われているだろうか。

 だが、事件になったところで揉み消されていてもおかしくはない。もう死んでいることになっているかもしれない。

 寧ろ、事件にすらなっていない可能性もある。

 社会には仕事が辛くて逃げ出したのだと勘違いされ。家族には捜索願を出されることもなく。消えていく。

 毎日同じことを考え、欝になる。暗くなる思考を止められずに嗚咽を起こす。

 そして、吐き気が襲うよりも前に、

「シロ、あーそーぼ!」

 箱が開けられるのだ。

 箱の中を覗く無邪気な笑顔。それに安堵を覚える。心臓の高鳴りが消え、霧掛かっていた脳が鮮明になっていく。

 もう狭い中へ閉じ込められたままにされるという可能性は少ないというのに、蓋が取られただけで楽になる。

「ほらシロ。つけるから立って!」

 鎖を上下させ、結が催促をする。ばしん、ばしんと箱に鎖が当たり、腰に痺れるような振動が伝わってくる。

 結の機嫌は今日も良い。ピンク色の頬にエクボができている。

 霞白は落ち着いていく胸を抑え、滲んだ涙を拭い、頷いた。


「今日は新しいのもってきたの!」

 蓋を閉める時間も惜しいと、結は後ろに隠していた――ほぼ見えてしまっていたが――ものを霞白の目の前に突きつけた。

 霞白は床に垂れる鎖に躓かない位置に移動しながら、しげしげとそれを眺める。

「まほうの、すてっきー!」

 それはまさしく、見た目通りにステッキだった。白の柄にいくつもの星散らばり、先端にはピンクのハートが乗っている。今日、結が着ているピンクのワンピースによく似合っているおもちゃだ。

 握る手で隠れているボタンを押せば、スキップをしたくなる音程のオルゴールの音色が流れ出した。

「はやってる、アニメのなの! ママがかってくれたんだよ!」

 結はありがちな決め台詞を言いながらくるりと回り、ピースを作った指を額に乗せた。そして、期待の眼差しを霞白に向ける。

「どぉ? かっこいい?」

「え、あ、ああ。かっこいいよ」

「でしょ! かっこよくなるまほうをね、使ったの!」

 へん、しん、と唱え、今度は違う決めポーズで回り始める。どうやらポーズによって変身するものが違うらしいが、アニメを、いやテレビ自体を見られない霞白には分らない。

 流行りもののおもちゃ。これで何個目になるかと、霞白は結の繰り出す魔法を褒めながら数え始める。

 七色に光る剣に、掌に収まるドールハウス。ビーズでネックレスを作るキットや、描いては消して使えるお絵かき帳。高そうなものから誰もが手を出せそうなものまで、色々な玩具があった。

 多すぎる玩具を全て覚えていられるほど、霞白の脳は精巧ではない。正確な数を出そうにも、もう元がない。指さして確認することもできなかった。

 今度は跳躍しながら回る結に拍手を送りながら、霞白は数えることを放棄した。

 結はすぐ玩具に飽きてしまう。新しく持ってきた玩具でも、どんなに気に入っていたものでも、大抵五日経てば部屋から消えてしまう。

 そこで霞白は気付く。部屋を見回しても、それは見つからない。

「さっき持ってきた、あのおもちゃは……」

「すてたよ」

 決めポーズに一段落付けた結に問えば、返事は一言で終わった。今は話よりも玩具だと、結は夢中でステッキを振り回している。素早く振れば振るほどステッキは綺麗な音を奏でた。先程のおもちゃになど、もう欠片の未練すらない。

 早ければ一日でなくなるものもあったが、今回はそれを上回る最短記録だった。半日も持たず、持ってこられたものは消えた。

 結は何の悪意もなく捨てたという。物に対して冷酷だった。

 その冷たさは、無機質だけに向けられているのではない。生きている動物に対してもそうなのだ。

 ペットの話になった時も、結からは捨てたという単語が多く出た。噛んだから捨てた。引っかいたから捨てた。可愛くなくなったから、捨てた。

 捨てた。

 その言葉を聞く度に、霞白は身体の中心を通り抜ける、いい知れぬ何か。寒気でもない、電気が走るような感覚でもない。

 霞白の知らない感情が、心と身体に大きな穴を開けるのだ。

「そうだ! きょーはおべんきょもするの!」

 ステッキのボタンを連打していた結が、はっと真顔に戻った。転びそうになりながら走り出し、ドアの前へと駆けていく。そして、床に散らばっていた荷物を拾い上げた。

 抱えて来たものはカラフルな動物が描かれている教科書とピンク色のノート、細長いうさぎの人形だった。

「分らないとこはおしえてね」

 結は大事そうにステッキを床に置き、霞白の足元に座る。早く早くと急かされ、霞白も床に腰を下ろした。

 結の勉強を見るのはこれで二回目だ。手順は教えられたので、これから霞白がどうすればいいかは分かっている。

 一度目の時に言われた通り、霞白は結と向かい合うように正座となる。

 そうすれば霞白の左膝には半分に畳まれたノート、右膝には同じく半分にされた教科書が乗せられた。

 結はよしと意気込み、うさぎの背のチャックを開けた。中から虹色をした鉛筆や、消しにくそうな形をした消しゴムが出てくる。

 机を持ってきた方がいいという霞白の提案が飲まれることもなく、今日も集中できないような勉強が始まった。

「今日はここまでやらなきゃ」

 結が折って印を付けた場所は、始めようとしている場所から五ページも先の場所だった。そこにたどり着くまで霞白は正座を続けていなければならない。字が曲がったと結に怒られるため、背中一つ書くこともできなくなる。軽い、今の霞白にとっては軽すぎる、拷問だった。

「はーじめっ!」

 自分でスタート合図をし、鉛筆が動き始める。

 背中を丸めなければ書き込めないため、姿勢が悪い。ノートには下敷きを使用していても、文字が曲がることもしばしば。良いことなど一つもない。

 やりにくいだろうという霞白の思いとは裏腹に、結は真剣に勉強に取り組んでいた。今日の勉強は算数だ。老眼でも見えるような大きな数字がいくつも並んでいる。

 悩むことは少ない。説明文をしっかりと読んで解読し、問題は早々と解かれていく。

「計算、早いね」

 イコールの後に書かれていく数字の速さに、霞白は思ったままの感想を述べていた。その声で結の手が止まり、顔が上がる。

 視線が合った。勉強の邪魔をしてしまった。ごく自然に出してしまっていた言葉に後悔する霞白の背中から冷や汗が噴出し、口の中から水分が一瞬にして引いていく。

「さんすうがね、とくいなの。もうね、かけ算はかんぺき! わり算だってできるんだから!」

 固まる霞白に、結はにぱっと笑った。怒るどころか機嫌をよくし、笑顔で顔を下に戻す。

 鉛筆の動きが早くなったように感じた。堅くなっていた身体は、安堵に救われて力を抜いていく。今度は安易に声を発さないようにと、唇を硬く結んだ。

 まだたどたどしい形をした文字を書く結を見つめ、霞白は今日何度目かになる思案に耽る。

 玩具が好き。褒めれば喜ぶ。無邪気に笑う。

 霞白の目に映る結は普通の少女だった。芯は、どこにでもいる子どもと何ら変わりない。

 結の常識はおかしい。それを作り上げてしまったのは、親だ。親さえ普通ならば、結は霞白を監禁するなどという逸脱した行動は起こさなかっただろう。

 結は犠牲者だ。霞白と同じ、可哀想な人間。

「あたしとシロの年のさは二十、だよね、あってるよね?」

 再び上げられた顔は、若干自信のなさそうなものだった。折り曲げられる指が、増えたり減ったりを繰り返している。

 その戸惑う顔には幼さしかない。霞白は頬の筋肉を忘れたかのように、口元を緩めていく。

「合ってるよ」

「わぁい! やった!」

 両手を上げて結は喜びを表す。くしゃりとした笑顔だけでも、結の思う感情を感じ取ることができた。

「あ」

 結が手を離したことにより、霞白の膝に乗っていたものが全て落ちた。開いていたページが閉じてしまい、結の表情が一転する。

 手入れされていない眉が下がり、半円のように開いた口が残念さを物語っている。思わず霞白が吹き出してしまうほどに悲しげだ。

「うー……あ、そうだ! シロ、こうやって!」

 拾われた教科書とノートが、ずいと霞白に押し付けられる。受け取れば、手が添えられたままの状態で膝へと戻される。落ちないように持っていてくれという意だ。

 どうせ勉強が終わらなければ正座を崩すこともできない。霞白は結の考えに従うように、邪魔にならない角へと指を移動させた。

 先程よりも字は書きやすくなり、文字も読みやすくなった。しかし、勉強は再開されない。一度は満足そうにしていた結は、今はもう勉強のことなど忘れ、ある一点に釘付けとなっている。

「シロのおてて、おっきいね」

 紙を握る手の甲に結の手が重ねられた。結は物珍しいものでも見るような目で、最近は細くなった指をぺたぺたと触る。

 指の腹だけで分かる、結の手の柔らかさ。爪など簡単に剥げてしまうように小さく、何もできないような長さ。凶器が一番似合わない掌だ。

 子ども体温で熱が高い。手に触れられているだけで、霞白の体温まで上がっていく。

「お勉強終わったら、シロにもステッキつかわせてあげるね」

 爪の先から関節部分までじっくりと観察を終えてから、結はようやく勉強に戻った。霞白の手を話して鉛筆を持ち、真面目な顔を戻して教科書に視線を落とす。

 手から温もりは離れていったが、側にある体温に、霞白は心の安定を覚えていた。

 真っ直ぐに勉学と向かい合う結の頭を見ているだけで、膝に伝わる文字の擽ったさにも耐えられることができる。

 結がいるだけで不安が、ない。

 霞白は自分がステッキを振る姿を想像し、笑った。振動を起こして結に怒られないよう、震えそうになる身体を必死に押さえる。声を出して笑いそうになるなど、本当に久々のことだった。


 ゆっくりと、変わり始めていた。

 結へと向ける、感情が。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ