筋肉ノ鬼~勇者よ、筋トレから出直すがよい~
一匹の鬼が、ピラミッドを乱立させた古代遺跡郡の地下で、静かに目を閉じ、瞑想に耽っていた。
「ああ、彼女欲しい……」
溢れ出す本音は、瞑想に邪魔な欲を吐き出しただけだ。この境地に至っている彼は、やはり悟りを開ききっている者なのだろう。自身の欲をコントロールする。万人に出来ることではない。
鬼が目を開く。澄んだ眼に宿るは、己の世界を変えんとする向上心。決意は彼を突き動かす。
師の一言が、鬼こと、ギンジに与えたは1つの理念。そう、「腹筋割ったらモテるぜ」と。
「さあ、始めましょうか」
遺跡の空気が変わった。乾き荒んだ遺跡に、汗と水蒸気が広がっていく。既に遺伝的限界の6パックを超え、新たに節を作り8パックなった銀次の腹筋が躍動する。まるで、筋肉の讃歌を歌うように……。
ギンジが腹筋を割り、背中に鬼を飼い、そして太ももを6分割しているその頃。この古代遺跡を踏破せんと、4人の男女が歩を進めていた。
先頭を進むのは、輝く剣を中段に構えた青年。その後ろに、ローブを身に纏った女性魔術師、曲刀を腰に提げ油断ない目付きで気を配る元盗賊、そして、見目麗しい僧侶がいた。近年世界中から注目されている勇者の一行だ。
勇者のパーティーは、ワンマンパーティーだ。勇者こそが力の中心であり、他のメンバーはせいぜい、揚げ菓子についてくる魔法の粉みたいなものだ。いたらいたで美味しいが、なくてももちろん構わない、そんな程度だ。もっとも、大事なのはパーティーを組んでいることであり、戦闘力の他に世間体を考えれば、他のメンバーも重要な要素だ。
世間体の結晶たる、王国を代表する勇者たちは、遺跡の奥から漂ってくる濃密な気配に気づいた。いつのまにか蜘蛛の巣が髪に絡まっていたような、ぶつけどころのない苛立ちと恐怖に立ち止まる。
勇者が油断なく気配を窺い、言った。
「筋肉の臭いがする……」
魔術師がすかさず同意する。
「そうね、この臭いは筋肉ね」
元盗賊が呟いた。
「強者の気配だ」
魔術師がすかさず否定する。
「なわけねーだろ、お前は黙ってろ」
勇者が目を見開く。
「恐ろしいことに気づいてしまった。これは……強者の気配だ!」
「言われてみればその通りね!」
魔術師が同意し、僧侶は沈痛な面持ちで元盗賊の肩を叩いた。決して憐れんでいるのではない。疎外感を共有したかっただけだ。会話せずとも、意見が否定されることはある。
パーティーの考えがまとまったところで、彼らは道を進んだ。その足運びは、強者の気配を感じる前と変わらない。やることは変わらない、それは自明の理である。湿気を感じただけで、気配察知の真似事をしてみたくなったとか、そんなことではないのだ。
勇者の予想を裏付けるかのように、石壁と崩れた砂でできた遺跡には、明らかに人間を凌ぐ大きさの足跡があった。まるで走り込みでもしていたかのように、指先で砂を掻いている。
「オーガだ。注意して進むのだ」
元盗賊が足跡を検分し、皆に伝える。魔術師は硬化の魔法を勇者と自分の防具にかけた。盗賊には軟化の呪いをかけ、僧侶のことは無視した。強きものには加護を与え、弱きものには試練を与える。慈悲の極みである。
「ありがとう!」
勇者が微笑んだ。国の広告塔たる勇者は、爽やかな笑顔を忘れない。微笑むときには歯を12本見せるのは基本中の基本だ。歯が生え揃う前から叩き込まれている。
魔術師はこの言葉に深い幸せを覚え、勇者にありとあらゆる加護を与えた。魔術師は魔力が切れた。
「戦闘前に何をやっているんだ……」
元盗賊は深いため息をつくが、それ以上は追及しない。噛ませ犬代表の盗賊稼業をやってきた彼は、空気が読める男なのだ。
「すまない、シファール。マリアを背負ってくれ」
勇者が合理的な提案をした。動けない魔術師を盗賊が背負い、全身から光輝を撒き散らし、顔が見えないまでに加護をかけられた勇者が一人で戦う。一分の隙もない布陣だ。
「いやよ!」
しかし、空気を読まない勇者と、言うことを聞かない魔術師が対立した。板挟みの元盗賊は、挟んでくる板を抜け出し、魔術師を地面に捨てて僧侶の後ろに隠れた。
僧侶が疲れはてた顔をして、1歩前に出る。その身を削ってでも、苦しむ子羊たちを救うのが彼女の仕事なのだ。絶えない気苦労に耐え、それでも彼女は仕事をする。僧侶の仕事は、迷える子羊には地図を与え、目覚めぬ子羊にはコーヒーを飲ませ、そして寝言をぼやく子羊は夢の世界に送り込むことだからだ。
魔力のこもったロッドで魔術師の頭を殴り付け、一撃で昏倒させると、元盗賊の背中に積んだ。これにて万事解決した。実に有能である。人々が宗教にすがるわけだ。
「助かったのだ」
「感謝するなら神に。わたしがやったわけじゃない」
「便利な言葉だ……」
僧侶はことあるごとに己の行動の責任を神に帰属させる。それは、神の思し召しに従って動いているので当然のことなのだ。今日も元気に神へと責任転嫁し、僧侶は前へと進む。
勇者が左手を上げた。止まれの合図だ。薄暗がりに勇者は呼び掛ける。
「そこにいるのは誰だ!」
盗賊が「オーガだ」と言っていたはずだが、勇者にはそんなことは関係ない。過去も他人も、孤高の彼には関係ないのだ。
闇の中から、身長2メートルほどの鬼人が姿を現した。
「初めまして、鬼人族のギンジと申します。このような身なりで失礼いたしますが、何卒ご容赦を」
盛り上がるのは大胸筋、迸るのは水蒸気。つい数分前まで過酷なトレーニングをしていたことを窺わせる姿だ。裸の上半身は、惜しげもなく8パックの腹筋を衆目に晒す。
元盗賊は、その威容に本能的に敗けを悟った。ヒョロいのがマッチョに勝てる道理はないのだ。しかし、選ばれし、魔力を体に宿した勇者は違った。
「お前が、このダンジョンの主だな!?」
「いいえ、違います」
「さあ、勝負だ」
「落ち着いて下さいよ……」
勇者は魔物の甘言に惑わされない。困り顔のギンジに聖剣を振り下ろす。その手首を、ギンジは握って押さえつけた。
「くっ、放せ!」
「あ、失礼しました」
勇者の要望に応え、ギンジは手を放す。コミュニケーションは、相手の意を汲むところから始まる。しかし、勇者はそんな枠組みからは外れている。意を汲んだからといって、円滑にコミュニケーションがとれるとは限らない。
「なんて力だ、化け物め! だが、俺は負けない!」
放してもらった手で再び剣を握り、ギンジに立ち向かう。状況を理解できていないまま、不屈の精神を発揮する。これぞ、勇者の素質である。
「光穿戟!」
振られた剣から、一条の光線がギンジを襲う。しかし、瞬発力とは速筋の量で決まる。オーガの肉体を、極限まで鍛え絞り上げたギンジの速度は、やすやすと勇者の認識を超えた。
光線を潜り、足元から強襲。手刀で聖剣をはたき落とし、手首を返して勇者を転ばせた。
「いい加減、落ち着いて話をしましょうよ……」
正直なところ、ギンジもいきなり訳のわからない言動を繰り返す勇者の対応に、ほとほと困り果てていた。ギンジには、固定観念でしかものを見れない人の気持ちがわからなかったのだ。
すれ違いは、さらなる悲劇を招く。
「くっ、なんて深淵な罠なんだっ!」
「何の話をしているんですか?」
「誤魔化すつもりか、許さないぞ!」
ギンジはやや情緒不安定気味な勇者様に、ひとまずお眠り頂くことにした。
ギンジの気持ちを汲んだのか。宗教の門戸は万人に開かれており、当然僧侶はすべての民に、その手を差しのべる。
本日二回目の、神の思し召し――杖での殴打が施された。
「うちの馬鹿が迷惑をかけて、すみません」
「いいえ、怪我もしていませんし、気にしてませんよ」
「そういえば、すごい身体能力ですね」
僧侶が今更ながら、まじまじとギンジの体を眺めた。その視線には、勇者を見るときにはなかった熱が籠っており――。
ギンジは、目標を叶えることとなった。捧げるは師匠への感謝。そして、筋肉への感謝。
僧侶と元盗賊が勇者のパーティーから脱退し、ギンジとパーティーを組むことになったのは、遺跡を出た後の話である。




