甘口 「王子様がほしい」
甘口です。
甘口
「王子様がほしい」
玄関でチャイムが鳴ったら、あたしはエプロンのままかけだすの。
「おかえりなさい」
もどかしくチェーンをはずして、扉を開けたら、彼が鞄を置いてぎゅってあたしを抱きしめて。
「ただいま」
って言って、キスしてくれるの。
両手で頬を包み込んで、大事なものをあつかうみたいに、まずは額に。まぶたに。ほっぺたに。それからゆっくり唇へ。
「僕のいない間に、なにか心配ごとはなかった?」
って、髪をなでながら聞いてくれて。
あたしは、彼の唇を受け入れながら、「なんにもないよ」って答えるの。
***
逆だって、いいかも。
「ただいま」
ってあたしが家に帰ったら、「お帰り」って、出迎えてくれるの。台風の日には、バスタオルを持ってきてくれて。
髪の毛を拭いてくれて、「大変だってね」って抱きしめてくれるの。
「ごはんできてるよ? それともお風呂にする?」
そう言いながら、肩と腰に大きな手が包んでくれて。あたしがほっと力が抜けるのを待っててくれるのよ。
「大丈夫。僕がついてるから、もう心配ないよ」って。
そうしたら、「ぜんぜん怖くなかったし」とか言いながら、結局は意地を張りきれなくて、あたしはぐずぐず泣いちゃうんだ。
***
「前半は地方に単身赴任中で、後半は明らかにヒモだろ」
足の踏み場がないくらい、マンガ雑誌が積みあがった部屋。
大きなテレビ画面をメガネに映して、小太りの男が、汗をかきかき、野球ゲームをしてる。
これ、あたしの彼。現実。
「女の子の理想なの」
「理想はいいけど、なにやってる人なの。それ」
なんで男の人ってはシチュエーションじゃなくて、ディテールにこだわるのかしら。
だけど、設定してなかったとも言えずに、あたしは適当に答える。
「え、えーと。前半がパイロットで、後半が・・・・・・ベストセラー作家よ!」
「マジか。それ。男のオレでも抱かれたいわ」
「ぎゃー」
なんちゅーことを言うんだ。こいつ。
思わず想像をして、奴の背中を蹴りとばす。
靴下ごしに汗がしみて気持ち悪い。
思わずあたしは、エアコンの温度を下げた。
「そんなに寒くするとおなか冷えちゃうよ。オレ」
なに繊細ぶってんだ、こいつ。
そう思うなら、パンツとタンクトップやめろ。
大学のときからの付きあいだ。付きあいももう六年になると、いい加減どきどきとか、緊張感もなくなる。
劇団のサークルに入ってて、こいつは音響で、あたしは大道具だった。今はこいつはSEをやってて、ブラックとまではいかないけど、結構過酷に働いてて、あたしは駅中にある花屋で契約社員をしてる。
リボンをくるくるーってやったり、バラのとげを抜いたりするのが好きだ。あと、ごくごくごくごくまれに、男の人が照れ照れしながら、「プレゼント用に」って言うのが好きだ。
ちなみに「母へ」って言われると、ときめきが失せる。
(この部屋にも、花とか飾りたいのにな)
下手をすると晴れた日でも、シャッターが閉まったまま、延々とPCを見続けたり、ゲームをし続けたりするし、自分の面倒すらみれない男に、花は任せられなくて。
PCデスクに積まれたDVDケースの上に、かろうじてサボテンが置いてあるだけだ。そのサボテンだって、いつかDVDとともに崩れ落ちるんじゃないかと思うと、「不幸なおうちにきちゃったね」と悲しくなる。
あたしはベッドに腰かけて、枕元にあったマンガを蹴飛ばす。バサっと落ちるけど、落ちることに気を使わない程度には、ベッドの下にはいろんなものが落ちてる。
一応あたしがここに来るときには、一八禁のものはしまってくれて、ゲームも恋愛ゲームはやらないでくれてる……らしい。
(気遣いのレベルが低すぎる!)
と、時々悲しくもなる。
「どっか行きたいとこある?」
マンガの落ちる音に反応したのか、コントローラをかちゃかちゃさせながら、背中で問いかけられる。
「んーーー、」
でも結局は、あたしも疲れてるし、積極的にでかけたいわけじゃないんだよね。
沈黙してても間が持たないわけじゃない。
たとえば、あたしが今から「アイス食べたい」って言ったら、こいつはゲームをやめてコンビニまで付きあってくれるだろう。
どっか行きたいって言ったら、畳んでないけど、洗濯してあるしわしわの服の山をほじくり返して服を着て、一緒にでかけてくれるだろう。
なんにもしたくないって言えば、きっとこのままだけど。それだって、あたしを見てないわけでも、無視してる訳でもないんだ。それくらいは、わかるくらいの付きあいになってる。
「あ、そうだ」
ゲームの画面をストップさせて、振り返る。
「カレー作っといたけど、食う?」
なにその、うれしそうなドヤ顔。
(……かわいい)
なんか、さっきまでの退屈な気分が吹きとんで、「食う」とあたしは、枕を離した。
***
こいつのカレーはうまい。
牛すじとかをしつこく煮込んでとろとろにしてある。
野菜は大きく切ったごろごろのやつ。
あたしが作ると、野菜とか大きく切ると火が通るのに時間がかかるから、細かく刻むか、レンジでチンするかしちゃう。
だから、「カレーだけは、オレの勝ちだね!」っていつもこいつはえばってて。なんだかんだで、あたしがここに遊びに来るときは、前日から仕込んでくれてたりするんだ。
それを狭いキッチンにある、二人掛けのテーブルで向かいあって食べる。
「ほら、オレだって飯作って待ってたんだから、王子レベル1はいってるね」
「はいはい」
添えてあるゆで卵はきれいな半熟だ。スプーンを入れると黄身がとろっと溶けてくる。
半熟卵は熱湯で八分。それを教えたのはあたしだけど、それを覚えてて、わざわざ作っててくれる。
「おいしい」
おいしさだけじゃなくって、なんか愛的なものを感じて、あたしの顔はゆるんじゃう。
だけど、そうだろう、そうだろう。とうなづいて、自分のカレーに夢中になってるこいつは、今のあたしの感動がわかってない。
(王子様とはほど遠いわ)
と、思いつつ、王子様ってなんなんだろう、とふと思案する。
だって今、目の前に、王子様が現れたって、あたしこいつと別れてお付きあいするとか考えないし。
でも、なぜか渇望してやまないんだ。
あたしは、ずっと王子様がほしい。
「……王子様っていってもさ。本当は、安心したいだけなんだよね」
スプーンを置いて、ぽつりとあたしは言った。
「んあ?」
スプーンをくわえたまま、彼はあたしに相づちをうつ。
「“怖いことなんかないよ。”“心配することはなんにもないよ”って言ってほしいだけなんだよ」
だけど、現実は不安定だし、絶対の安心なんてない。
結局は怖いことだらけな世界を、手をとりあって生きてくしかないんだ。
魔法みたいに、なんでも解決してくれる王子さまなんかいない。
だけど、どうしても求めてしまう。
もう、大丈夫。
もう、幸せの中にいるから。
もう、不幸にはならないから。
もう、怖いものなんかなにもないから。
そう言って、王子様の背中に隠れて、心配ごとをなんにも考えずにいたいだけなんだ。
そう言うと、彼はしみじみうなづいた。
「王子様だって、ほんとうは”やっべー、マジ不安なんだけど”って思いつつ、精一杯カッコつけてるだけかもなあ」
意外だった。
王子様なんだから、そんな不安とは無縁じゃないのって思うのに。
「だったら”やっべー不安だ”って言ってくれてもよくない? で、”一緒に乗り越えよう”って言えばよくない?」
そう言うと、わかってないなあ、とこいつはスプーンを振って否定した。
このカレーは甘口だぜ、と言うみたいに、したり顔。
「男ってのは、そういうもんよ」
お前はいつ、王子様のマブだちになったんだ。
「はー、なにそれ」
「だって、そうやってカッコつけて、女の子がすごーく安心して、リラックスして、かわいく笑ってくれんなら、いくらだってウソつくね。その方がいいじゃん」
そう言ったあと、ふとこいつはスプーンを置いて、にや、っと笑った。
「な、なに」
二人掛けのちいさなテーブルに身を乗りだして、手が伸びてくる。
めったにそんなことしないのに、その手はやさしくあたしの頭をなでてくれた。
「大丈夫。心配ないない。オレがずっとついてるから」
今の話の流れから言って。
そんなんウソだ。
心配ないなんてこと、ない。
世の中不安だらけだし、あたしたちだって、将来どうなるかわかんないけど。
「なんてな、……え!?」
なんだか、涙がぼろぼろこぼれてしまった。
(くやしい)
うっかり、奴の言葉にほだされてしまった。
「と、とりあえず。食え。食ったらなおる」
あわてて、キッチンから鍋を持ってきて、あたしの皿にルーを足す。
それから麦茶もあふれんばかりにとくとくとコップにつぎ足す。
アイスもあるし。ケーキも買いにいくかって。
急にもてなしはじめるし。
なんだその、雑ななぐさめかた。
「……ばか」
パンツと、カレーがとんだ白いタンクトップ。
小太りで、汗っかきで、オタクで、カッコわるいくせに。
彼はまぎれもなく、あたしの王子様なのだ。
おわり