二、御簾を隔てて
東野正昭と文のやり取りをし初めて、そろそろふたつきほど。
彼は実に変わっていた。今までの殿方は咲が返事を返さなくても、また文を送ってきた。
しかし、彼は咲が返事を受け取るまでこちらに文を寄越さない。
だから1ヶ月のやり取りで、彼と交わした文は週に二回程度。
しつこくないその具合が、筆無精である咲には丁度良かった。
最初のあの白紙について、たっぷりと嫌みを含んで文を出すと、すぐに彼から詫びの文が来た。
『競争相手から選んでもらおうと、ついあのような失礼な文を送りました』
その言葉と、また椿。
彼は送る文に必ず椿を忍ばせてくるのだ。
摘みたての椿は封筒から出すと香りがとてもよく、咲はそれを手に取りながら彼からの文を読むのだ。
そうしてやり取りをして少したった時、東野正昭は一つの提案をしてきた。
『あなたの声が聞きたい』
咲は別に彼の声なんて興味は惹かれなかった。ただ、椿が楽しみでやり取りをしているにすぎないのだ。
『女性の顔を見るわけにはいかないから、お互いに障子越し、でいかがでしょう』
普通は御簾を挟んで対話するのが通例だ。しかし、確かにそれではおぼろでも姿は見えてしまう。なるほど障子なら確かに完璧に声だけだ。
「お受けになられては? 東野様がこちらに来て下さるなら良いではないですか」
松島におされ、咲は彼への文に承諾の意を書いた。
「半分の月が夜中の真上に来たとき、わたしはあなたという風を招きましょう」
そう書いただけでわかるはずだ。月が半分になるのは今から三日後。三日後、彼がやってくる。
***
大きな広い間の中間に、部屋を二つにできるように障子を立てる事ができる。その片方の障子前で咲は座り、空いた片方の部屋の庭側の扉を開けておく。
時間を適当に潰し、やがてカタンという音と、畳をする衣擦れの音が閉じた障子の向こうから聞こえ、咲は訳も分からず緊張した。
見えるわけがないのに居住まいを正し、着物を軽く整える。
やがて障子の向こうから音がやみ、障子に写された影から、来訪者が座ったとわかった。
「風に乗って参りました。姫君はそこにおいでか?」
凛とした声は、なかなかの美声だ。若々しい中に、芯のようなものがある。心の奥にまで響く、低い声。
咲は緊張を解こうとゆっくりと呼吸し、言葉を紡いだ。
「はい、います。ようこそ。東野正昭様でいらっしゃる?」
「はい。東野家の次男坊です」
落ち着いた、ゆっくりとした口調に、咲は緊張が解けていくのを感じた。
「障子越し、なんて徹底されますのね」
障子越しでは、相手の影しかわからない。
黒く障子に映る姿から、彼は太っているわけでも、背が低いわけでもなさそうだ。
「あなたは警戒心が強くていらっしゃる。だから御簾越しと言ったら断ると思ったのですよ」
確かに御簾越しだったら断っていたのかもしれない。警戒心が強いわけではないと思うが、興味を惹かれない限り、あらゆる事に消極的なだけなのだ。
「全く姿がわからない、というのは確かに安心感はありますけどね」
咲がどんな容姿で、どんな表情をしているのかわからない、という条件は確かに魅力的だ。そばにお守りがわりに置いた椿に視線を落とすと、彼は「おや」と不思議そうに言った。
「わたしにはあなたの顔がよく見えますよ。また椿を見ておいでですね?」
「え!?」
かあ、と顔が真っ赤になっていく。
しかし、相手から見えているこの顔を隠したくて、袖で手で覆って隠していると、押し殺した笑い声が耳に届き、涙目になりながら顔を上げる。
「いや、失礼。あなたがあまりにも素直な方なので」
軽やかに笑う彼。そこでようやくからかわれたのだと理解できた。
咲が俯くのを、彼は影で見ているのだ。
その視線の先にあるものを、好きなものである椿だと、適当に当てはめて言ったのだろう。
「からかうなんて酷いわ!」
「慌てるあなたはとても可愛かったですよ」
「東野様っ!」
まだ笑い続ける彼に、どうにか自分の調子を取り戻そうと叱咤するように声を上げるが、思いきり笑う彼を、咲は止められなかった。