表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

一、椿の誘い

 咲はうんざりしていた。

 目の前に重ねられた大量の文。一体何人から送られてきたのか、数えるのも面倒だ。

 送り相手の名前だけ見て、次々に廊下へ投げ捨てていく。

「この人も、この人もこの人も。毎日毎日送ってくるなんて暇な殿方ね」

 大抵の人が何回も文を送ってくる常連だ。

 初めて見る名前は、捨てずにきちんと中を見る。

「やだわ。初めての人も似たような事ばかり」

 どれも咲を誉めたたえるものだ。

 女達の美しいとされる噂を聞き、殿方は女に歌を付けて文を送る。

 姿を見たわけでもない。ただの噂なのに、だ。

 咲も名門・長谷部家に生まれたからにはそのやり取りが始まる。

 顔は見せず、ただ文を交わす。咲は女達が楽しむこの文のやり取りを、一度も楽しんだ事はない。

 文はどれも咲を絶賛するものだ。叶うなら夢で会いたい。あなたの姿が頭から離れない。と、どれも一方的で、返事を返さなくてもまた文がやってくる。それに飽きたら送ってこなくなるだけだ。

 こちらも顔がわからない相手を好きになれるとは思えないし、相手も噂だけで送ってきているのだから本気ではないのだろう。

 ため息がつきたくなるほどの文の量を廊下に捨てていくと、見かねた女房が咲に声をかけた。

「姫様、読むぐらいいたしては? せっかく頂いた文ですのに」

「あら松島。おはよう」

 昔から咲の世話役だった女房の松島は、第二の母親という感じだ。

 咲は松島の叱責を流す。毎日言われて聞き飽きた言葉なのだ。

「本当にくだらない。顔がわからない相手に文を送ったりして、なんだというの?」

 昔、父は言っていた。

 お前の母を落とすには、私には競争相手が多すぎた。だから私は少しでも周りと差をつけようと、ある工夫をしたのだよ、と。

 父がした工夫。それは、季節の花を文をしたためた手紙とともに送ったそうだ。

 私の近くに咲く花をあなたに見せたいと書かれた文に、母は落とされたと言っていた。

「いいわね。わたしもお二人みたいな素敵なやり取りが出来たらいいのに」

 しかし、咲に送られてくる文はどれも同じで、凝った歌ばかり。

「あら、これが最後ね」

 今朝に届いた文の最後の一通。それを手に取り、裏返して送り主の名前を見て、咲は首を傾げた。

東野(とうの)正昭(まさあき)様? 聞き覚えのある名前だわ」

 そう呟くと、松島が咲の持つ封筒を覗き込み、驚いた声を上げた。

「東野正昭様と言えば長谷部家に続く名門! 東野家の次男様で、旦那様の直属の部下ですよ」

「え、お父様の部下?」

 宮廷の管理職に就く父の部下ともなれば、たとえ次男坊でもよく出世しているほうだ。

「初めて頂くというのに、なんだか前にも文を頂いた気がするわ」

 首を傾げながら封を切り、文を取り出す──と、何かが一緒に出てきて、ぱさりと畳に落ちた。

「まあ……」

 そう零したのは、松島なのか自分なのか、判断できなかった。

 落ちたのは綺麗な(くれない)色の椿の花で、思わず見入ってしまう。

「綺麗だわ」

 手にとって、うっとりする咲に、松島も笑顔で同意した。

「縁起の悪いとされる椿をわざわざ送ってくるなんて、姫様の好みを知っていたに違いありませんね」

 確かに、椿は縁起が悪いとされる。

 花がぽろりと落ちてしまう様が、首が落ちるのを連想させてしまうからだとか。

 しかし、そんな蔑みを受けるほど、椿は醜くなかった。それどころか、目を見張るほどに美しいその花を、縁起が悪いという理由だけで遠ざける事など、もったいないのだ。

「私が一番好きな花を、しかも文と一緒になんて……」

 間違いなく父の入れ知恵だ。

 しかし、今までの文の中で一番気を惹かれたのだから、文は読もうと、それを広げて──咲と松島は固まった。

「姫様……、これは……」

 文には何も書かれていなかった。挨拶も、歌も、ほめ言葉も。

 気を惹かれたを通り越して、度肝を抜かれた。

 冷静な思考に戻って、驚きから立ち上がると、今度は乾いた笑い声が口から漏れた。ははは、と笑う寒空によく似合いの寒々しい声を発する咲を、松島は不思議そうに見つめてくる。

「……やるじゃない。このわたしが見事にやられたわ」

 この失礼な男に、咲は初めて返歌というものを出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ