一、椿の誘い
咲はうんざりしていた。
目の前に重ねられた大量の文。一体何人から送られてきたのか、数えるのも面倒だ。
送り相手の名前だけ見て、次々に廊下へ投げ捨てていく。
「この人も、この人もこの人も。毎日毎日送ってくるなんて暇な殿方ね」
大抵の人が何回も文を送ってくる常連だ。
初めて見る名前は、捨てずにきちんと中を見る。
「やだわ。初めての人も似たような事ばかり」
どれも咲を誉めたたえるものだ。
女達の美しいとされる噂を聞き、殿方は女に歌を付けて文を送る。
姿を見たわけでもない。ただの噂なのに、だ。
咲も名門・長谷部家に生まれたからにはそのやり取りが始まる。
顔は見せず、ただ文を交わす。咲は女達が楽しむこの文のやり取りを、一度も楽しんだ事はない。
文はどれも咲を絶賛するものだ。叶うなら夢で会いたい。あなたの姿が頭から離れない。と、どれも一方的で、返事を返さなくてもまた文がやってくる。それに飽きたら送ってこなくなるだけだ。
こちらも顔がわからない相手を好きになれるとは思えないし、相手も噂だけで送ってきているのだから本気ではないのだろう。
ため息がつきたくなるほどの文の量を廊下に捨てていくと、見かねた女房が咲に声をかけた。
「姫様、読むぐらいいたしては? せっかく頂いた文ですのに」
「あら松島。おはよう」
昔から咲の世話役だった女房の松島は、第二の母親という感じだ。
咲は松島の叱責を流す。毎日言われて聞き飽きた言葉なのだ。
「本当にくだらない。顔がわからない相手に文を送ったりして、なんだというの?」
昔、父は言っていた。
お前の母を落とすには、私には競争相手が多すぎた。だから私は少しでも周りと差をつけようと、ある工夫をしたのだよ、と。
父がした工夫。それは、季節の花を文をしたためた手紙とともに送ったそうだ。
私の近くに咲く花をあなたに見せたいと書かれた文に、母は落とされたと言っていた。
「いいわね。わたしもお二人みたいな素敵なやり取りが出来たらいいのに」
しかし、咲に送られてくる文はどれも同じで、凝った歌ばかり。
「あら、これが最後ね」
今朝に届いた文の最後の一通。それを手に取り、裏返して送り主の名前を見て、咲は首を傾げた。
「東野正昭様? 聞き覚えのある名前だわ」
そう呟くと、松島が咲の持つ封筒を覗き込み、驚いた声を上げた。
「東野正昭様と言えば長谷部家に続く名門! 東野家の次男様で、旦那様の直属の部下ですよ」
「え、お父様の部下?」
宮廷の管理職に就く父の部下ともなれば、たとえ次男坊でもよく出世しているほうだ。
「初めて頂くというのに、なんだか前にも文を頂いた気がするわ」
首を傾げながら封を切り、文を取り出す──と、何かが一緒に出てきて、ぱさりと畳に落ちた。
「まあ……」
そう零したのは、松島なのか自分なのか、判断できなかった。
落ちたのは綺麗な紅色の椿の花で、思わず見入ってしまう。
「綺麗だわ」
手にとって、うっとりする咲に、松島も笑顔で同意した。
「縁起の悪いとされる椿をわざわざ送ってくるなんて、姫様の好みを知っていたに違いありませんね」
確かに、椿は縁起が悪いとされる。
花がぽろりと落ちてしまう様が、首が落ちるのを連想させてしまうからだとか。
しかし、そんな蔑みを受けるほど、椿は醜くなかった。それどころか、目を見張るほどに美しいその花を、縁起が悪いという理由だけで遠ざける事など、もったいないのだ。
「私が一番好きな花を、しかも文と一緒になんて……」
間違いなく父の入れ知恵だ。
しかし、今までの文の中で一番気を惹かれたのだから、文は読もうと、それを広げて──咲と松島は固まった。
「姫様……、これは……」
文には何も書かれていなかった。挨拶も、歌も、ほめ言葉も。
気を惹かれたを通り越して、度肝を抜かれた。
冷静な思考に戻って、驚きから立ち上がると、今度は乾いた笑い声が口から漏れた。ははは、と笑う寒空によく似合いの寒々しい声を発する咲を、松島は不思議そうに見つめてくる。
「……やるじゃない。このわたしが見事にやられたわ」
この失礼な男に、咲は初めて返歌というものを出した。