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帝国の魔女

 ファリザート帝国の皇城の奥深くには、魔女が棲んでいる。

 魔女は、皇帝の教師であり、相談役であり、また、皇位継承者を指名する者であるという。


 ……というのが、この国の貴族の間で流れている魔女に関する通説だ。


「皇帝は、別に私が決めているわけでもないんだけどね」


 皇帝の執務室の応接スペースに向かい合って座っているのは、皇帝の側近であり外交担当の文官アルトと、「気持ちを整理するから」と優雅にお茶の準備をしている魔女コーデリアだ。

 アルトは今、自分の評判には無頓着な魔女に、いろいろ説明中である。そして、部屋の主である皇帝ダリウスは、執務机に向かって書類仕事を片付けていた。

 そんなアルトが並べた、貴族の間で囁かれている魔女に関する通説に対して、コーデリアがぽつりと溢した言葉を、仕事中の皇帝が拾う。


「そういうことにしておけば、皇位継承において、変に強欲な奴らに踊らされる事や、派閥争いの煩わしさもないからな」


 書類の文章を目で追いながら、こちらの話に口を挟むダリウスは、結構器用だと思う。

 コーデリアは、そろそろ茶葉も蒸し上がった頃合いかと、温めておいたカップの湯を捨てて、均等に茶を淹れていく。

 フワリと香るのは、初摘みの最高級茶だ。爽やかな花を思わせる香りが辺りに満ちていく。


「うちは側室制度がないから、その辺は割と平和なんだと思うのよ。それに、家族円満に仲良くやっているのがいいんじゃない? 皇子達もそれぞれ適性があるから、納得の皇位継承でしょ? 

 はい、アルト、どうぞ」


 コーデリアはカップとソーサーを魔法で浮かせて、1つをアルトの前に置いた。


「そういう環境になるように、魔女殿が暗躍してくれているからでしょうね……ああ、良い香りです。ありがとうございます」


 アルトは丁寧な仕草でカップを持ち上げ、香りを楽しみながら茶を口にした。

 もう一つをダリウスの机にも飛ばしてやりながら、コーデリアは言葉を返す。


「暗躍って……まあ、大昔に、よろしくって頼まれちゃったからね。かわいい子供達やこの国の民達には、おおむね幸せでいて欲しいのよ」


 彼女が茶を飲み始めたのを見ながら、アルトはソファーの背もたれに身体を預けた。

 帰国して真っ直ぐ皇帝の執務室に来たアルトはそろそろ疲れてきたが、ダリウスとコーデリアはまだ彼を帰してはくれないだろう。


「ええ、ところが、貴族ではない我が国の民達にとって、魔女の存在は皆さん半信半疑なんですよ。

 皇帝の傍には相談役的な魔女がいると言われていますが、積極的に情報を公開もしていませんから……それぞれ、勝手に常識的な範囲で解釈してくれるんですよね。

 だから、高名な魔法使いが皇帝の相談役として召し上げられていると思っている人が、ほとんどです。そういうわけで、賢者とも呼ばれてるんですよ。

 魔女殿が不老になって、968年でしたっけ? 普通に考えて、そんなに生き続けている人間がいるとは思わないでしょうから」


「隠してるわけではないんだけどな。

 確かに、皇帝の家族や側近や近衛以外の前には出ない、究極な引き篭もりであることは認めるけど」


 ついでに、一部の者達以外にはコーデリアの顔を認識できないように、認識阻害まで掛けている徹底ぶりだ。


「ええ。そうですね。

 あと、高名な魔法使いが皇帝の相談役と言われている理由ですが、我が国の魔法技術や理論は、他国よりも先進的で発展していますからね。優秀な魔法使いが相談役となっていても不思議ではないっていうことだと思います」


「ふうん。ベルン王国での私の噂は、どんな感じなの?」


 やはりコーデリアにとって気になるのは、ベルン王国の貴族間での彼女の評判らしい。正確には、カイルディーンのもとにどういう風に届いているかだろう。

 今まで自身の評判など欠片も気にしたことが無い癖に、夫の生まれ変わりかもしれない人物に、どう伝わっているかを気にかけるところは、「魔女殿も、少しは女性らしく可愛らしいところもあるのか?」という感想をアルトに抱かせた。まあ、アルトにとっての女性は、年下の可愛い婚約者のみなので、その他の女性に対しては割と雑だし容赦もない。


「うちの皇城内の情報は、魔女殿のお陰で、そう漏れませんから。

 魔女についての情報は、外国においても我が国の一般的な通説レベル並なんですよ。

 ベルン王国でカイルディーン様にお会いした時に、「我が国に永らく生きている魔法使いのコーデリア様をご存知ですか?」って聞いてみたんですけど」


「……うん」


 一度言葉を切ったアルトに、コーデリアはじっと探るような視線を向けた。


「すごく不思議そうな顔で、帝国には行ったこともなければ、魔法研究に関する文献でその名を見たこともない、と興味なさげに流されまして」


「あ〜、皇子達を通して、研究論文を小出ししていたのが仇になった?」


 はあ〜と大きなため息をついて、コーデリアの肩が落ちた。

 がっかりしているのは、文献に名が載っていないことではない。カイルディーンが、コーデリアという名に反応しなかったことだ。


「お陰様で、うちの魔法学院や研究施設は素晴らしい発展を遂げて、優秀な研究者にも恵まれていますし、皇帝にならなかった皇子達も筆頭魔法使いとして、代々活躍出来ていますから」


 わかっていて話を逸らしたまま続けるアルトを、コーデリアは片手を上げて制止する。


「そうなんだけどね。

 じゃあ、今のところ、肝心のカイルディーン様には、まったく認識もされていないし、私を覚えてもいないってことね?」


 アルトは諦めたように息をついた。

 先程一度は告げた事実ながら、再確認のようにもう一度尋ねられ、一応彼も、コーデリアの心情を気にかけているのだろう。


「……失礼を承知で言わせてもらえば、彼は、ディーンファルト様と同じ魔力を持った、別人、ですね。魔女殿に興味もなし、です」


「別人……かあ……」


 容赦なく告げられた事実は、わかってはいたものの、それなりにコーデリアを打ちのめした。

 アルトには、特殊な固有魔法スキルというか、独特の魔力感知能力があり、他人の魔力を個別に認識することが出来る。また、魔力量さえ、おおよそ量ることが出来るのだ。

 その彼が、コーデリアを覆うディーンファルトの魔力を見間違えることはない。


「おい。大丈夫か? 先生」


 さすがにダリウスも心配げに、コーデリアに声を掛けた。

 そんな彼に視線を向けた彼女の紫紺の瞳は揺れている。


「なんていうか……再会を期待してすごい妄想を膨らませていた時期は過ぎていて、最近は、惰性で生きていた感じだったから」


「確かに、間接的に、殺せって言われ続けてるしな」


「ディーンが生まれ変わったのは嬉しいんだけど、冷静に考えたら、確かに記憶が無ければ、それは別人なのよね。

 会うのは少し怖いけど、でも、会わなかったら、きっとずっと後悔すると思う」


 目を伏せて、まるで泣き出すのを耐えているような魔女に、ダリウスは努めて明るく、言葉を改めて言った。


「そこまでわかっているのなら、どうするか考えてみませんか、先生?」


そうやって、コーデリアに家族としてではなく、自分の師として声をかければ、少しは彼女も前向きになってくれるだろうか?


「…………ねえ、ダリウス。高位貴族の18歳の男の子って、どんな女が好きなの?」


 しばらくの間をあけて、顔を上げたコーデリアから飛び出した予想外の台詞に、ダリウスは拍子抜けしつつ、少しだけ安堵する。


「……そんなの人それぞれだろう? 俺が知るか。それよりも、だ。今ので俺が気になったのは、まず、先生が別人の18の男を好きになれるのか?ってところだな」


「ダリウス。ディーンはね、私の世界の全てだったの。彼の魔力の欠片でさえ、こんなに愛おしいのに……」


「……じゃあ、相手に、婚約者とか恋人とか好きな女がいたら? どうするんだ?」


 コーデリアの様子を伺いながら、恐る恐るといった感じで尋ねてきたダリウスに、彼女は少し淋しげに笑った。

 コーデリアとて、その可能性を考えなかった訳ではない。これだけずっと会えなかったのだ。もしかしたら?位には、考えたこともある。


「哀しいけど……しょうがないよね。約束が違えられたなら、私に生きる理由はないよ。やっと、終われる、かな」


 やっぱりそこに行き着くのか、とダリウスは苦々しげに顔を顰める。

 そうなったら、コーデリアはもうディーンファルトに囚われる必要はない。彼から解放されて、彼女の自由に生きればいいのに。


「……死ぬ前に、その不老の魔法は解いて、別の誰かと生きてから逝くっていう選択肢も、残しとけば?」


「え?」


 意外そうに目を瞬かせたコーデリアを、ダリウスは射抜くようにまっすぐと見る。


「先生には、解けるんだろ? もし、ディーンファルトいや、カイルディーンに別の相手がいたら、もうソイツに縛られることはない。先生は先生の残りの人生を、別の誰かと生きたって良いんだ」


「……どうだろう。実際に会ってみなければ、何もわからないな。私がここまで生きてきたのは、ディーンとの約束があったから、だしね。

 それに、不老の魔法と言っても、体内時間を止めているだけだから、約束が果たされない状態で解いてしまえば、そのままこの心臓は動かないままかもしれないしね」


「約束か……」


 約束を果たさず魔法を解けば、彼女の心臓は動かないままかもしれない……言葉に詰まったダリウスに、コーデリアは吹っ切れたように小さく笑った。


「別人になっているなら、諦めるよ。でも、忘れているだけなら……少し、頑張ってみようかな。

 どちらにしろ、18歳のカイルディーン様に引かれるのはちょっと……いや、かなり辛そうだから、第一印象位は良くしとかないと」


「うん。それはいいと思うけど、勝手に死ぬのは無しな。今後を決める前に、必ず、俺かシェリーに相談してくれ。ジルでもいい」


「ふふっ……わかったよ。ありがとう、ダリウス。アルトも。

 いろいろ考えてみるね」


 そうして魔女コーデリアはソファーから立ち上がると、フッとそのまま姿を消した。

 おそらく転移を使って部屋に戻ったのだろう。最初に見た時にはひどく驚いたものだが、今となってはその非常識な魔法にも慣れてしまった。彼女以外に使う者には出会ったことはないが、こんなことが出来る魔法使いが他にいたら、それはそれで困りそうだ。





 コーデリアが今まで腰掛けていたソファーを眺めながら、ダリウスはようやくカップに口をつける。

 おそらくコーデリアの魔法だろう。茶の温度がダリウス好みに調整されていて、思わず笑ってしまう。


「まあ、いくら動揺しても、さすがにないか」


 こんな些細なことにも気が配れる女だ。後々面倒になりそうなことをするわけがない。


「何がです?」


「ずっと待ち続けた旦那が見つかったからといって、いきなりベルン王国に飛び出さなかったからさ」


「魔女殿はしませんよ」


 アルトもまたカップを見つめている。


「ああ……そうだな。今頃きっと、いろいろ企んでいるんだろう」


「ええ。とうとう表に出るおつもりなのかも知れません」


「表に、か。よくもまあ、今まで上手く隠れていたものだ」


「そうですね。ですが、いろいろ覚悟も決められたのでしょうね」


 二人は、コーデリアの心情を充分に理解してやることは出来ないが、彼女の行動を読むことは出来る。

 子供の頃からの付き合いだ。

 恩師であり、家族のような、そんな関係を築いてきた。


「父上が、今代で先生を見送ってやれなかったことが、残念だと言っていたな。それもとうとう、俺の代で終わりかもしれん」


「魔女殿は、いつだって、ご自身にとって最後の皇帝を育てているおつもりだったでしょうから」


「48代だもんな。確かディーンファルトは、3代目の弟だったか。ずいぶんと世話になった。

 だが、この機会がどう転ぼうが、そろそろ限界なんだろう」


「ええ。どうか、報われて欲しいと……そう思いますよ。ジルには申し訳ありませんが」


「そうだな」


 そのジルラートは、呼ばなくとも間もなくやってくるだろう。

 もう一人の側近ジェイリーにも情報の共有が必要そうだ。

 ダリウスはメイドを呼び、ジェイリーへの言付けと、二人分のお茶の追加を頼んで、再び書類に向き合った。


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