Ep.9 嵐の前触れ
ハインリヒとアーサーが王都へ帰還して以来、トレヴァント辺境伯家は、火の消えたような静けさが屋敷の至る所で漂っていた。
セシリアが嫁いできた日に職務放棄を宣言したメイド長は、レオンハルトの母が嫁いできた際に連れてきた者で、母が出産と同時に命を落として以来、母の代わりのように傍にいてくれ、レオンハルトが信頼を寄せていた一人だった。
「メイド長、長年仕えてくれたことに感謝する…そろそろ、隠居するといい」
「なっ!旦那様!?なぜです!?私は旦那様に忠実にお仕えしてまいりました!!」
メイド長は長年仕えてきた主より、突如として隠居を勧められ、驚きのあまりに取り乱した。
「…セシリアから聞いた。見知らぬ土地に嫁いで来た彼女に、あのような部屋を与え、あまつさえ世話も放棄したそうだな」
「ですが、それは…!旦那様があの方を『妻とも夫人としても扱わない』とおっしゃったからです!旦那様に、あのような女は似合いません!歓迎されていないと分かれば、さっさと出て行くに決まっております!」
初めて見るメイド長の醜い形相に、激しい不快感と失望が込み上げた。
『母に仕えていたから』と、贔屓目で見ていたのだろうか?
「セシリアとの結婚は王命だ。それに背くことは陛下に異心を疑われかねない行為だ。それに、セシリアは公爵令嬢だったのだ。使用人ごときが軽んじるなど話にならない。打ち殺されても、文句は言えないぞ」
ため息をつき、メイド長に刺すような視線を向けると、強い言葉で非難した。
元々メイド長は男爵令嬢だったが、辺境伯家で働く平民の騎士と結婚し、現在は平民である。
たとえ、貴族が平民を殺したとしても罪にはならない。
それだけ、身分差があることは知っていたはずなのにも関わらず、レオンハルトの威を借りてセシリアを見下していたからこそ、できた所業なのだ。
レオンハルトに言われたことで、ようやく己の愚かさに気付いたのか、メイド長は顔を青ざめさせ、床にぺたんと座り込んでしまった。
セシリアはあの部屋を使っていなかったたため実害はなかったが、他にも嫌がらせに加担していた使用人も解雇し、職務放棄をしていた者たちは減俸処分とした。
その後、日当たりのいい一室を改装させ、そこをセシリアの新たな部屋とする。
夫人の部屋は、レオンハルトと続きの部屋になっているため、受け入れてもらえないだろうと判断した。
⸺⸺⸺
ハインリヒたちが王都へ戻って一月が経つ頃、アシュフォード公爵家から手紙が届いた。
封蝋を見ると、当主であるアシュフォード公爵からのようだ。
……ただ、封を開けるだけの行為が、とてつもなく気が重い。
「主~?開けないんですか~?」
「…黙れ」
ユーリの暢気な声に苛立ちを感じながら、意を決して封を開けると、入っていたのは手紙がたった一枚だけ。
『先日は息子が世話になり御礼申し上げる。来たる21日午後、妻と息子と共に貴領を訪問する。その際、娘との席を設けて欲しい』
読み終え、深いため息を吐きながら手紙をハンスへ差し出す。
「…よろしいので?」
読んでいいのかと許可を求めたハンスに無言で頷くと、ユーリもハンスの横から覗き込んでいる。
「21日って…あと二週間じゃないですか~!?」
騒ぐユーリを余所に、ハンスは無言のまま手紙を二つ折りすると、私に返してきた。
「急ぎ準備はいたしますが…問題は、奥様です」
そうだ。アシュフォード公爵夫妻がやって来ると聞いたら、セシリアはどうするだろうか?
しかし、伝えないわけにもいかない。
「…私が伝えよう」
そう言うと執務室を後にし、セシリアの部屋へ向かう。
屋敷の中でも一番端にあるため、執務室からは少し遠いのだが、用があると呼びつけることはできなかった。
部屋の前で足を止め、一度深呼吸をすると、ノックをしてから声をかける。
少しの間のあと、セシリアの執事がドアを開き、中からセシリアが姿を現した。
「ごきげんよう、閣下。何かご用で?」
「ああ、すまない。これを」
セシリアは淡々とカーテシーをしながら挨拶をすると、早々に用件を促してきた。
レオンハルトが手紙を封筒ごと差し出すと、その筆跡に見覚えがあったのだろう。
表情は変わらず無表情だったが、僅かに眉がピクッと動いたのが見えた。
受け取った手紙の内容を確認すると、すぐに返してきた。
「悪いが、時間を取ってほしい」
「特にお話しすることはございませんが、承知いたしました」
「あ、セシリア!」
承諾すると用は終わったと、早々に戻ろうと背を向けるセシリアを、レオンハルトは思わず呼び止めた。
「…実は、ここではなく別の部屋を用意した。ここは何かと不便だ。君に連絡をするにも、ここまで来るのは少し遠い。できれば、新しい部屋に移ってくれないか?」
引き止めたことで訝しげな視線を向けられたが、『邪な気持ちではなく、不便だから部屋を移動して欲しい』と頼むと、少しの沈黙のあと、承諾してくれた。
恐らく、新しい部屋にも住むつもりはなく、単に出入口が変わる程度にしか考えていないからだろう。
そのまま新しい部屋へ案内をし、ドアを開いて中に入るよう促した。
「君の好みが分からなかったため、仮で整えさせた。好きに変えてくれて構わない」
「ありがとうございます。ですが、結構ですわ。私は普段、別邸におりますので」
部屋の中を一瞥したあと、そう答えるとそのまま入り口のドアに向かって指を向けた。
淡い光とともに、魔法陣のようなものが浮かび上がり、ドアに吸い込まれるように消えた。
あれが、セシリアへ知らせを送るための魔法なのだろう…
やはり、ここに住む気はなさそうだが、自分が蒔いた種だ。
とりあえず、出入口だけでも移動してもらえたことだけでも、一歩前進したと考えるしかないだろう。
部屋を出ると、セシリアは「それでは、失礼いたしますわ」と告げられた言葉とともに、パタン、とドアが閉じられた。
もう、ドアの向こうにセシリアたちはいないのだろう。
レオンハルトは、その場から動けず、しばらくの間立ち尽くしていた。




