Ep.54 入れ替わる天秤
「……よく、分かった」
容赦なく突き付けられた現実に、私たちが呆然としていると、父上の低い声が響いた。
「セシリア夫人。 よくぞ国の為に、セキトフ辺境伯と条件を取りまとめてくれた。 感謝する」
セシリアは賞賛を受けると、音もなく立ち上がり、非の打ち所のないカーテシーと共に「滅相もございません」と応えた。
「さて…… 皆、夫人の説明で状況は理解出来たかと思う。 現状、開戦を避ける為にはセキトフ側の条件を呑むほか、道はない」
「そんな……!!」
母上が悲鳴のような声を上げて立ち上がったが、父上の言葉は止まることはなかった。
「当事者のうち、王妃の両親である先代公爵夫妻は事故で既に亡く、裁くことは出来ぬ。 先代国王である父上も病死し、母上も離宮に籠りっきりだ。 だが、それでも責任は取ってもらわねばならん。 よって、王妃。 そなたには王太后と共に、王領の修道院にて終身、奉仕を命ずる」
己の末路を宣告され、母上の手から力が抜けた。
ずっと握り締められていた扇子が、柔らかな絨毯の上へ音もなく落ちる。
「……陛下。 父と…… セキトフ辺境伯の姉君との間に生まれた子ですが…… いかにして捜し出すおつもりですか? 仮に見つかったとしても、まともな貴族としての教育を受けていなければ、即座に当主を交代など…… 難しいと存じますが……」
一つ目の断罪が終わり、次は己の番だと悟ったレオンハルトが、青ざめた顔で異母弟の『資質』について口を開いた。
確かに、彼の言う通りだ。
その子はセキトフから行方を眩ませて以来、生死すら不明だったはず。
トレヴァント家も最近まで存在を把握していなかったことから、絵姿どころか名前すら知らないという。
名も知らぬ平民として育った男が、一国の盾である辺境伯爵位を務めるには荷が重すぎる⸺⸺。
「それに関しては心配いらぬ。 子の方は既に見つかっており、貴族としての教養を完璧に身につけていることは、私が直接確認済みだ」
父上が小さく溜め息を吐き、言い放った言葉にレオンハルトだけでなく、私も驚愕を隠せなかった。
「言っておくが、私が捜し出させたわけではないぞ」
父上の視線がセシリアへ移ると、彼女はどこまでも涼やかに微笑み、口を開いた。
「ご紹介いたしますわ。 先代トレヴァント辺境伯と第二夫人の『嫡子』⸺⸺ セオドリック・アラクチェーエフ卿ですわ」
セシリアが促すと同時に、彼女の背後に控えていた辺境伯家の騎士が横へ一歩踏み出した。
彼は先ほどの騎士の礼ではなく、完璧な『貴族の礼』を執った。
「ただいまご紹介に預かりました、セオドリック・アラクチェーエフと申します。 国王陛下におかれましては、拝謁の機会を賜わり、恐悦至極に存じます」
所作、声のトーン、言葉選び……。
そのすべてにおいて、幼少から貴族として教育を受けた者たちと並んでも、寸分も遜色ないものだった。
「うむ。 顔を上げ、夫人の隣へ座るが良い」
セオドリックは「ありがとうございます」と短く答え、セシリアと適度な距離を保ってソファへ腰を下ろした。
「セ、セオ、ドリック…… お前が、本当に……?」
レオンハルトの震える声に、セオドリックは『人好きのする微笑み』を浮かべた。
「ええ、閣下。 ……ああ、これからは『異母兄』、とお呼びしたほうがよろしいですか?」
淡々と、しかし確かな棘を込めて自らが『異母弟』だと認めた。
辺境伯騎士団の騎士服を身に纏っている以上、レオンハルトも彼を知らないはずがない。
自分の優秀な部下だと思っていた男が、実は異母弟だった⸺⸺。
これ以上に皮肉な話があるだろうか。
「いつから…… いつから、お前は……」
「私がいつ己の出自を知ったか、ですか?」
言葉を紡げないレオンハルトに、セオドリックが先回りして補足する。
「私が先代トレヴァント辺境伯の息子だと知ったのは、まだセキトフにいた頃です。 先々代当主様が、物心がついた頃にすべて教えてくださいました」
そんな幼い頃から…… レオンハルトの顔に悲痛の色が滲んだ。
「先日、セシリア様が協定継続の交渉に同行した際、初めてセキトフ辺境伯閣下…… いえ、叔父上にお会いすることが出来ました」
そう語るセオドリックの表情は崩れることはなく、同じ微笑みを浮かべたままだ。
「セシリア…… なぜ、君はセオドリックと……」
「セオドリック卿とは、以前ご縁がございまして。 冒険者ギルドマスターにご紹介いただきましたの。 優れた才を持ちながら、貴族子息として教育の機会に恵まれなかったとお聞きしたので、僭越ながら私が直接、教育を施させていただきましたわ」
セシリアと冒険者ギルドマスターの繋がりに一瞬の違和感を覚えたが、それよりも彼女が教育を施したと聞き、すべてに納得がいった。
彼の隙のない所作や徹底した表情管理……。
それは貴族子息のそれというより、王族の『理想像』に近いと言えた。
「見たところ、確かに作法に問題はないようだ。 だが、領主…… しかも辺境伯爵位を継承するならば、武力や執務能力も不可欠だぞ」
私が懸念を口にすると、セシリアは「ふふっ」と小さく笑った。
「もちろん存じておりますわ。 私が施したのは単なる貴族子息の教育ではなく、貴族家の『後継者』としての帝王学ですわ。 武芸においても、彼は辺境伯騎士団で自力で副団長の座も勝ち取っております。 若さゆえの至らなさは、周囲が補佐すれば問題ないかと」
非の打ち所がなかった。
……いや、セシリアが関わっているのだ。
完璧で当然なのだ。
⸺⸺なのに、何故だ?
何かが、引っかかる……。
言いようのない違和感が、頭の中で警鐘を鳴らしている。
だが、それが何なのかが分からない……。
思考の沼に深く沈み込んでいる私を、父上がじっと見つめていることにも、私は気付かなかった。
「……セオドリック・アラクチェーエフを、先代トレヴァント辺境伯の正当な子息と認める。 よって第二夫人を正式な辺境伯夫人として追贈し、彼をトレヴァント家の『嫡子』とする。 ⸺⸺並びに、レオンハルト・トレヴァント」
父上に名を呼ばれ、呆然と俯いていたレオンハルトはハッと顔を上げた。
そのままソファの横へ身を移すと床に膝をついた。
「そなたはセキトフ辺境伯との交渉を停滞させ、国防を危うくした。 また、王命婚でありながら、正妻であるセシリア夫人を虐げ、先代と同じ道を辿ろうとしたことの罪は重い。 よって、辺境伯爵位をセオドリックへ即刻移譲し、今後は彼の補佐へ回ることを命ずる」
「……御意……」
父上の命令にレオンハルトは声を掠れさせ、答えた。
胸に当てられた拳は、白くなるほど強く握り締められ、細かく震えていた。
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