Ep.31 手駒
「もういいわ。一人にしてくれる?」
最近の日課となった、離宮の庭での散歩。
少し前までの私は、ハインリヒ様から突きつけられた信じられない言葉の数々を、ただ受け止めきれずにいた。
『私がお飾りの側妃』
『永久に離宮から出ることは叶わない』
『私との間に子を作ることはない』
……嘘よ。嘘、嘘、嘘よ!!!
ハインリヒ様が、私にそんなこと言うはずがない!
だって、私は『選ばれた』のだから。
けれど、現実は残酷だった。
離宮の使用人たちが、ひそひそと噂している話が聞こえてくる。
「もうすぐヴィクトリア様と王太子殿下の婚約披露パーティーね!」
「とても素敵なパーティーなんだろうな~。あ~私も行きたーい!」
⸺⸺婚約披露パーティー。
本来なら、私の為に用意されるはずだったのに……
心は石のように重く沈み、指一本動かす気力も湧かない。
何を食べても砂を噛むようで、ただ毎日、ぼーっとベッドで天蓋を見上げて横たわっているだけ。
心配をして様子を見に来てくれたお父様とお兄様も、私に冷たい言葉を投げた。
「……クララ。辛いのは分かるが、これはお前が招いたことなのだ。しっかりしなさい」
「現実を受け止めるんだ。逃げていても何も始まらないぞ」
……何で?どうして二人ともそんな事を言うの?
私が可愛くないの?
何で、助けてくれないの!?
結局、私が何も答えないことに二人は肩を落とし、去って行った。
「クララ様。お加減はいかがかしら?」
そして、この皇女は毎日やって来る。
「困りましたわね……ただでさえ、教育が遅れてますのに」
困ったような顔をして小首を傾げているけれど、私を見下ろす瞳は氷のように冷たい。
時計の秒針の音だけが響く静まり返った部屋で、どれほどの時間が経ったのかさえ分からなかった。
そんなある日。
何の反応も示さない私に油断をしたのだろう。
部屋の掃除をしている使用人たちが話し始めた。
「こないだの披露パーティー、凄かったらしいわね!」
「そうみたいね。ヴィクトリア様が手配された会場も料理も、とても評判らしいわ。挨拶のスピーチも素晴らしくて、拍手喝采だったみたいよ」
あの皇女が賞賛を浴びていると聞いた瞬間、私の指が微かにピクッと跳ねた。
「それよりも、トレヴァント辺境伯夫人でしょ!」
「聞いたわ!まるで『闇夜の女王』のような威厳で、その美しさに誰も声を出すことが出来なかったとか……ああ!直接見たかったわ!」
「……ねえ。夫人ってクララ様の『お姉様』でしょう?全然似てないわよね?」
⸺⸺お姉様。
その言葉を聞いた瞬間、急に意識が引き戻されたのが分かった。
お姉様は選ばれなかったのに。
王都から、惨めに追い出されたはずなのに。
どうして?どうして私じゃなくて、お姉様が賞賛されているの!?
……違うわ、すべて間違いなのよ……
また、私が正してあげないと……
「……だ……れ、か……」
掠れた声だったけれど、使用人は驚いて駆け寄って来ると、「水がほしい」とだけ告げた。
そこから、私は少しずつ食事を摂り、体を回復させていく。
「まあ!クララ様。お食事を召し上がれるようになりましたのね!」
皇女は胸の前で手を叩き、嬉しそうに声を上げている。
……白々しい。私が回復して残念でしょう?
お姉様だけじゃないわ。皇女も、私の敵よ。
「……ありがとうございますわ。少しずつ、食べられるようになりました」
儚げに微笑んで見せると、そのまま皇女が連れてきた侍医の診察を受けることになった。
「精神的なストレスで一時的に体力が落ちてはおりますが、身体に異常はございません」
「まあ、本当に良かったですわ」
侍医の報告を聞き、瞳にうっすらと涙を浮かべながら微笑んでいる。
『慈悲深い正妃様』を演じる皇女に、使用人も侍医も感動しているようだ。
反吐が出る……
その後、体力を取り戻す為に庭の散歩を勧められ、皇女たちは退室して行った。
庭の散歩を始めた時、久しぶりに外の空気を吸い、いつの間にか強張っていた肩の力が抜けた気がした。
散歩の最中は、パーティーの後に付けられた侍女が一人と騎士が一人、常に付き添った。
ずっと放置されていたこの離宮に無理やり押し込まれた時には、雑草だらけだったこの庭も、皇女の指示で整えられ、今では季節の花が咲き乱れている。
その事を理解していたからこそ、その花々を見て歩いても、私の心が慰められることなど一度もない。
「……悪いけれど、一人にしてくれないかしら?」
三歩ほど後ろを歩く侍女に告げると、彼女は懸念の表情を浮かべた。
「……逃げたりしないわ。ただ、静かに一人になりたいだけなの」
「……侍女殿、私が残ります」
そう声を上げたのは、護衛の騎士だった。
侍女は少し悩んだかのように間を空けた後、「……承知いたしました。近くにおりますので、何かありましたらお声がけください」と一礼してその場を去った。
「ありがとう。あなたのお名前を伺ってもいいかしら?」
「はい、ブラムウェル伯爵家三男、イディオと申します」
「……そう、イディオ……」
ブラムウェル伯爵家。
確か、クロンヴァルト帝国寄りの辺境に領地があり、絵に描いたように平和で穏やかな地域だと聞いたことがある。
同じ辺境でも、トレヴァント辺境伯領とは正反対だ。
王都育ちのお姉様が魔獣が出没したり、隣国との小競り合いが多いトレヴァント辺境伯領に嫁げば、さぞかし苦痛を味わうだろう……
そう思い適当な理由を付け、ハインリヒ様に強請って王都から追い出したのに……
そこで使用人たちの言葉が頭の中をぐるぐるとかけ巡り、急にガクッと足の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。
「ご令嬢!!」
その様子に駆け寄ってきたイディオの声が遠くに聞こえる。
私の顔色は真っ青だったのだろう。
色々と声をかけられたが、その言葉は耳に入らず気付けば、ベッドの上で横になっていた。
翌日の散歩の際、その日の護衛もイディオだった。
「昨日はごめんなさい。あなたが運んでくれたのでしょう?ありがとう」
私は、今にも壊れてしまいそうなほど弱々しく、そして今にも消えてしまいそうな微笑みを彼に向けた。
「いえ、私の役目ですので、お気になさらないでください。今日の体調はいかがですか?ご無理はなさらないでください」
眉尻を下げ、心配そうに私を見つめている彼の瞳には、明らかに同情の色があった。
「ええ、大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
……この男は使えるかもしれない。
私は彼の同情心を、蜘蛛の糸のように手繰り寄せながら、ゆっくりと庭を歩き始めた。




