Ep.26 宴の始まり
王城内は、いつも以上に慌ただしく動いていた。
数日後に控えた王太子の婚約披露パーティーの為だ。
ヴィクトリアは次期王太子妃としての公務の傍ら、会場設営の指示、ドレスや宝飾品の選定、更にはクララの教育までを完璧にこなしていた。
私はそんな彼女を頼もしく、そして愛おしく思っていた。
「最近、毎日このピンキーリングを着けているな」
朝食の際、日課のように彼女の手を取って口づけを落としていた私は、ふと気付いて問いかけた。
数週間前から彼女が身に着けているのは、ピンクゴールドのアームに、彼女の瞳と同じ黄玉をあしらったシンプルなリングだ。
「ええ、これはお姉様から婚約祝いにいただきましたの。シンプルなのに、とても美しいので気に入っておりますのよ」
ヴィクトリアは愛おしそうに指輪を撫でた。
「そうだったのか。確か、姉君は帝国内の公爵家に嫁がれたのだったな」
「ええ。義兄とは幼い頃から婚約されていて、今でもとても仲睦まじいのですわ。ずっとお二人を見て育ちましたので、私の憧れなのです」
懐妊中のため欠席する義姉に代わり、帝国の筆頭公爵家であるクロード公爵夫妻が出席すると、返答の書簡が届いていた。
「そうか。パーティーには欠席されると聞いたから、お会い出来なくて残念だ」
「はい……。ですが、久しぶりに伯母様にお会い出来るのが楽しみですわ!」
クロード公爵夫人は現皇帝の姉である。
貴族学院に入学した頃、帝国の建国記念パーティーで一度会った記憶があるが、当時はセシリアとの仲が険悪で、軽く挨拶をした後、すぐに夫のクロード公爵と共に他の貴族たちと場を移してしまった。
彼女が帝国の高位貴族とどのような関わりを持っていたかなど、まったく関心外だったのだ。
ハインリヒは自分の思考に浸り、隣に座るヴィクトリアの視線が、一瞬だけ氷のように冷え切ったことに気付かなかった。
パーティー当日。
ヴィクトリアの私室へ迎えに行くと、そこには私の髪の色であるハニーブロンド色のドレスに身を包んだ彼女がいた。
その姿はまさに光の女神のようだった。
「あら、ハインリヒ様。お迎えに来てくださったの?」
「……ああ、美しいよ。私はこんなに美しく、素晴らしい妻を得られて幸せだな」
恍惚とした表情を浮かべる私を、ヴィクトリアは「ふふっ」と艶やかに微笑んで見つめ返した。
広間に王族の入場が告げられた。
当然、そこにクララの姿はない。
国王たちが入場した後に、私がヴィクトリアをエスコートとして入場すると、整然と並ぶ貴族たちが一斉に頭を垂れた。
「皆、顔を上げてくれ。紹介しよう。私の正妃となるヴィクトリアだ」
「お初めにお目にかかります。ヴィクトリア・フォン・クロンヴァルトでございます。これより、レイヴンクレスト王国の為に粉骨砕身、王太子殿下をお支えして参ります。皆さまにも、お力添えいただけますと嬉しく存じますわ」
ヴィクトリアの挨拶は完璧だった。
気品に満ちた美しいカーテシーと、謙虚さと威厳を兼ね揃えた言葉。
貴族たちは惜しみない拍手と賞賛を送り、国王夫妻も満足げにうなずいた。
王族への挨拶が始まると、高位貴族から順に階下へ並び始めた。
この国の貴族は公爵家が三家、侯爵家は四家、辺境伯家はトレヴァント辺境伯家のみ……
最初に目の前に現れたのは、王妃の生家である筆頭公爵家だった。
当主である伯父上がネック・ボウをすると、続けて挨拶の言葉を述べた。
「国王陛下、王妃陛下にご挨拶申し上げます。王太子殿下、皇女殿下。この度はご婚約おめでとうございます」
「伯父上、ありがとうございます」
恐らく、王妃である母上から私の犯した過ちを聞き、さぞかし気を揉んでいただろう。
「殿下。今度こそ、何かあれば必ず皇女殿下とお話しなさってください」
『これ以上の過ちは許されないぞ』
伯父上の鋭い視線がそう語っていた。
「……肝に銘じます」
私の言葉に伯父上が頷いたことを確認した後、父上が手を払う仕草をすると、再び一礼し下がって行った。
王弟である叔父上の挨拶が終わり、続いてアシュフォード公爵家がやって来た。
公爵、夫人、アーサー、そしてその婚約者であるローズウェル侯爵令嬢が揃って一礼する。
「国王陛下、王妃陛下にご挨拶申し上げると共に、この度は、王太子殿下と皇女殿下のご婚約をお祝い申し上げます」
公爵が挨拶と祝いの言葉をにこりともせず、淡々と紡いだ。
「ありがとうございます」
「ありがとうございますわ。まあ!ローズウェル侯爵令嬢のドレスはとても美しいですわね」
ヴィクトリアはローズウェル侯爵令嬢のドレスに目を留め、瞳をきらきらと輝かせた。
「このドレスは、アシュフォード公爵家が取引しておりますホーソーン子爵家が新しく開発いたしました物でございます」
ローズウェル侯爵令嬢がその場でくるっと回ると、光を吸い込むような艷やかな輝きが見る者の目を奪った。
「なんて素敵なのかしら!」
「この生地は、どんな色にも染まりやすい物なのだそうです。ただ数が少ないので、もしお気に召したのであれば手配させていただきます」
アーサーの言葉に、ヴィクトリアは嬉しそうに瞳を輝かせながら私を見上げた。
「ハインリヒ様、あの生地で結婚式用のドレスを作らせていただけませんか?」
「ああ。ヴィクトリアが気に入ったのならそうしよう。アーサー、頼めるか?」
「かしこまりました」
アーサーも公爵と同じように淡々と答え、そのまま父上に手を振られたのを見ると一礼して、アシュフォード公爵たちは去っていった。
アシュフォード公爵家の誰もがクララのことに触れなかった。
それに、私は言いようのない居心地の悪さを感じた。
しかし、その感情はすぐに消し飛ぶことになった。
侯爵家の四家の挨拶が終わり、トレヴァント辺境伯家の番になった瞬間。
広間のざわめきも、音楽の音も、まるで魔法で消されたかのように静まり返った。
多くの貴族たちが、何かに弾かれたように道を空けた。
いつもならヒソヒソと囁き、噂話を楽しむはずの者たちが、誰も声を発せずにいた。
その静寂の中を、コツ、コツと規則的な靴音だけが響く。
中央を堂々と歩いて来たのは、トレヴァント辺境伯レオンハルト。
⸺⸺そして、その隣にそっと寄り添う、セシリアだった。




