七つの顔を持つ男
七つの顔を持つ男。この世界で私はそう呼ばれている。私は変装の名人であり、選りすぐりのスパイだった。この能力を最大限に活用して不可能と言われた数々のミッションを成功に導いて来た。そして先日指示された任務をあっさり遂行してしまった私は、次の指令を受け取るべく雑貨屋に入った。ここの店主はとぼけた顔をしているが、実は組織の連絡役をしている。なかなかやり手の男だった。そう思ってやって来たのだが、そこに座っているのはいつもの彼ではなかった。彼に何かあったのだろうか? それとも連絡役が交代になったのだろうか? とりあえず私はその店主にメモをそっと差し出した。ヨーゼフKさんと話がしたいのですが。メモにはそう書いた。それは以前ここにいた店主の名前だった。これで私がエージェントであることは察するだろう。
「どういうお話ですか?」
「次の仕事の話です」
なんだか新しい連絡役は私のことを知らないようだった。
「あなたの名前を教えてください」
彼は言った。そして私は本名を名乗った。しばらくの間、彼はじっと私を見ていた。
「顔が違いますね」
彼は言った。顔が違う? どういうことだと思った。確か組織には本当の顔と本当の名前で登録してあるはずだった。それなのに顔が違うということは、今の私の顔が本当の私の顔と違うということなのか? 今までずっとこの顔が本当の顔だと思っていた。いや、もしかしたらこの顔は本当の私の顔で、組織に登録してある顔が本当の私の顔と違っているのかもしれない。その顔を教えてもらう訳にはいかないだろうか? いや、無理そうだ。そんなことを言えば、怪しまれるだけだろう。いや、もしかしたら顔は合っているが、名前の方が違っているのかもしれない。ずっと今まで本名だと思っていたが、もしかしたら本名ではないのかもしれない。そんなことってあるだろうか? いろんな名前を使っているうちに本名でない名前を本名と思い込むようになってしまったのだろうか? 運転免許証も十枚ある。どれが本物だろうか? どれも本物のような気がする。今までずっと使って来たものだ。その人物になりきっているうちは、その顔が本当の私であり、その名前が本当の私であったような気がする。それをずっと続けているうちに、いずれの名前も顔もすべて私と考えるようになってしまったのかもしれない。しかし待てよ。そもそも私というもの自体が虚構ではないのか? 生き物が自律的に行動するためには行動の主体が必要になる。過去の体験を現在の行動に活かそうとするのであればエピソード記憶を統一的に扱う「私」という存在が必要になる。だから本当は「私」なんて存在しないのだ。それに名前にしてもただの記号ではないのか? 他の個体と区別するために割り当てられた番号のようなものではないのか? それ自体に深い意味はない。それなのに私は、本物の名前は何だろうかとか、本物の顔はどれだろうかとか、考えている。そんなものどうだっていいじゃないか? そんな虚構や記号に操られていること自体おかしいと思わなければならない。唯一無二の私という存在。顔とか名前とかどうでもいい。私が私であること。それだけが尊いことなのだ。そんなことを考えながら、私は雑貨屋の店主の顔をチラッとながめた。今、考えたことが通じるような相手ではなさそうだった。私は仕方なく、スパイを廃業することにした。
私はその後、豊富な経験に基づいて自我や自意識についての考察を重ねた。その体験を動画にしてアップロードし、自分探しをしている若者の圧倒的な指示を獲得するに至った。スパイで稼がなくても動画の収益で十分やっていけそうだった。生活にゆとりのできた私は時折、あの時の出来事を思い出しては懐かしく思うのだった。人生を変えてくれたあの雑貨屋の店主は私にとっては恩人かもしれなかった。




