八話 すれ違い電波通信
き、岸根さんに、名前で呼ばれる様になっちゃった。
翼ちゃんって、夕焼けてるニコニコ笑顔で呼び掛けられちゃって。でも、全然イヤじゃないんだ。むしろ、射抜かれちゃった感じがして、嬉しい様な……。
えへへ、何だかこそばゆいね?
「おはよう──翼ちゃん」
「おは、よ、きしね」
今日の朝も、登校すると白銀さんじゃなくて、翼ちゃんって呼んでくれている。あれから1週間くらい立ったけど、呼ばれる度にずっとこそばゆいままだった。
「……やっぱり、理央じゃダメ?」
「ん」
それと、岸根さんは自分が名前で呼ばれないこと、気にしてるみたいで。
……いつか呼ぶから、ちょっと待っててくれないかな?
下の名前呼び、照れて恥ずかしいから。もうちょっと仲良くなれたら、きっと自然に呼べる気がするからさ。
試しに心の中で呟いてみるとか、訓練始めた方がいいのかな?
えっと、理央ちゃん……だ、ダメだねこれ!?
心の中で呟いただけなのに、変に心臓速くなっちゃってるよ!
女の子を下の名前で呼ぶのなんて、前世も含めてやったことなんてなかったし、今のボクには難易度高めの挑戦みたいだ。
そういうことだから、しばらくは岸根さん呼びでよろしくね!
そうして、気が付けば放課後。
ボク達二人は、やっぱり屋上に立っていた。
「……ねぇ、翼ちゃんはさ、何で天使様の階段を登りたいって思ったの?」
強めの風が時折吹き抜ける中、そんな話を始めてくれた。岸根さんは、もう立派なミステリアス同好会(部員二名、不認可同好会)の仲間だね。
お陰で、ノリノリな気分でミステリアスを始められた。
「……きしね、空の向こう側、知ってる?」
「えっと、宇宙だよね」
岸根さんの答えに、首を振って否定する。
ボクが言いたいのは、そういうことじゃないから。
「違うの?」
「ちがう」
少なくとも、天使の階段がある時は。
「階段の向こう側、漏れ出た光の先は、別」
確かに、空の向こう側には宇宙が広がっている。
でもね、それは普通のお空の話。
雲間の隙間から覗いてる、あの階段はどこか別の場所に繋がっている。
それが天国とかどっか別の場所かは、ボクには分からないけど。でもね、どこか別の狭間へと繋がっている階段なんじゃないか、とは考えたことあるんだ。
知らない未知の世界と繋がる階段。
それは過去や未来かもしれないし、他の異世界なんかにも繋がっているのかも。もしかしたら、次元が違うスピリチュアル空間かもしれない。
なんてね!
これ、ロマンあるタイプの妄想だよね?
ボクが考えた妄想の中でも、結構お気に入りのやつなんだよ!
「……そこに、翼ちゃんは行きたいの?」
「そう」
本当にあるのなら、一度行ってみたい。
そこに神様とか居たなら、転生の謎とか尋ねたいしね。
行けないって分かってるから、好き勝手言ってるんだけどさ。
「……そう、なんだ」
どうせ行けないって分かってるし、この屋上から好き勝手に神様へ語りかけちゃおうか。感謝の気持ちは、その場で伝えないとスッキリしないし。空に近い屋上だから、いつもより聞こえやすいだろうし。
神様ー、転生させてくれてありがとーっ!
お陰で、素敵な友達ができましたー!!
「かみさま──これからも、よろしく」
岸根さんとお友達って気持ちが嬉しくて、ウキウキで声に出しだらやっぱりズレちゃった。
なんか、空の向こうにいる神様にっていうより、神社でご利益感謝します、みたいな伝え方になっちゃった。
まあ、どちらにも会えないんだし、大した違いなんてないよね!
「……翼ちゃん」
神様に感謝を伝えて、気持ちスッキリさせたところで、岸根さんに声を掛けられて。
振り向けば、夕暮れのせいか瞳が潤んで見える岸根さんが立っていた。
んにゃ、どしたの?
「もし、何だけどさ。天使様の階段──私が一緒に登れないって言ったら、どうする?」
妙に思い詰めた表情で、恐る恐るって感じでそんなことを口にした。まるで、約束を破っちゃったのを、告白したみたいに。
岸根さん、すごい申し訳なさそうな顔、してる。
結構大変な事情とか、ありそうな感じ。
……天使の階段が見える気候の日とか、生理不順になりやすい体質なのかな?
岸根さんも、女の子だもんね。
だったら仕方ないよ、それは。
「一人で、行ける」
だとしたら、任せて欲しいな。
とっても綺麗な写真、ちゃんと撮ってくるからさ!
一緒にキラキラな空を見たいって気持ちはあるけど、岸根さんに無理なんてさせたくないし。綺麗な写真撮れたら、岸根さんに真っ先に報告に行くよ!
「きしねは、無理、しなくていい」
えっへんと胸を張って伝えると、岸根さんは着信中のスマホみたく、俯いてプルプル震え出しちゃった。
……電波、受信中だったりする?
ここ、ミステリアス同好会だから、電波はニアリーイコールなんだけど?
俯いたのは、ほんの少しの間だけ。
直ぐに顔を上げた岸根さんの目は──どうしてか、ウルウルとしていた。
……え?
「つ、翼ちゃんにとって、私って……行きずりの相手でしかないんだねっ」
ふぁっ!?
「きし、ね?」
「知らない!」
呼び止める暇もなく、岸根さんは勢いよく屋上を飛び出して行ってしまった。追いかけようにも、ノコノコくらいのスピードしか出せないボクでは、到底追いつかない速さだ。
……行きずりの相手って、一体何?
ボク、なんか変なこと、言っちゃってたのかな……?
白銀さんから、翼ちゃんへと呼び方を変えてから数日。私の胸の中は、翼ちゃんのことで溢れる様になっていった。
翼ちゃんと口にする度、その存在が大きくなる。
特別であって欲しいと、勝手に像を大きくしてしまう。
構って欲しくて、気付いてって視線を向けて。
二人でいたくて、双葉さんを威嚇しちゃって。
それでいて──彼女の特別でいたくて、名前で呼んでと何度も伝えてしまった。
今日も、また同じことの繰り返し。
「おはよう──翼ちゃん」
「おは、よ、きしね」
きしねと愛らしく呼ばれる度、まだ特別になれてないんだってモヤモヤする。
『……きしねは、きしね』
……私って、翼ちゃんの中では、一体どんな人なんだろう。
「……やっぱり、理央じゃダメ?」
「ん」
……私じゃ、翼ちゃんの特別に、なれないのかな。
最近、気が付けば放課後になってる。
ずっと翼ちゃんのことを考えて、ふと顔を上げれば終礼のチャイムが鳴っている。
授業、どうだったっけ?
ノート、取ってたっけ?
──まあ、いっか。
「……ねぇ、翼ちゃんはさ、何で天使様の階段を登りたいって思ったの?」
それより、翼ちゃんのこと。
もっと翼ちゃんのことが知りたくて、仲良くなりたくて、信頼してほしくて。
──彼女の特別に、なりたくて。
「……きしね、空の向こう側、知ってる?」
「えっと、宇宙だよね」
だから、彼女の世界を頑張って理解したいって思う。
不思議で満ちてる言葉を、確かめていきたいんだ。
ふるふると、リスみたいに首を振る翼ちゃん。
早速、普通とは違う、その意味に触れてみた。
「違うの?」
「ちがう」
空をふわりと見つめている翼ちゃんは、不思議な空気を纏っていた。
不思議で、不可思議で……ちょっと不安になる空気感。
「階段の向こう側、漏れ出た光の先は、別」
ふわりと、気が付いたら居なくなってそうな、そんな存在感。
教室で、私だけが知っている薄い気配とはまた別の、透明な感じ。
「……そこに、翼ちゃんは行きたいの?」
「そう」
目を離したら空に踏み出してそうな、そんな危うさがある。
……翼ちゃんは空を歩こうって、まだ思ってる。
「かみさま──これからも、よろしく」
無表情なのに、どうしてか弾んで聞こえる声。
空を見上げる瞳が、夕陽の反射で煌めいて見える。
翼ちゃんは、神様の近くに行こうとしてるのかな。
「……翼ちゃん」
ドクンと、イヤな感じがした。
私の予感が本物なら、だって……。
一緒に天使様の階段を登れても、離れ離れになっちゃう。
──翼ちゃんはきっと、天使様に生まれ変わるつもりなんだ。
「もし、何だけどさ。天使様の階段──私が一緒に登れないって言ったら、どうする?」
私なんかは、天使になれない。
俗物で、低俗で、重い人間だから。
……生まれ変わったら、一緒にいられなくなる。
こんなに私の心の中で大きくなってるのに、そんなの……。
だから、一緒にいると言って欲しくて。
祈るみたいに、翼ちゃんを見つめて。
「一人で、行ける」
その言葉に、突き放された気持ちで心が溢れかえってしまった。
「きしねは、無理、しなくていい」
無表情で告げた翼ちゃんと私の間に、透明な隔たりが形造られていく。俗世と彼岸を分つ、そんな川みたいな壁が。
翼ちゃんにとって、私って……。
手を握りしめる、悔しくて。
歯を食いしばる、切なくて。
翼ちゃんとって、私は偶々そこにいただけの人で、どうでもいい相手なんだって、分かっちゃって、それで……。
「つ、翼ちゃんにとって、私って……行きずりの相手でしかないんだねっ」
自分は天使様になって、私を置いていくつもりなんだって、見捨てられたって気持ちが氾濫して。
悔しくて切なくて寂しくて──許せなくて。
「きし、ね?」
「知らない!」
翼ちゃんが呼び止めてくれたのにも関わらず、勢いよく屋上から飛び出してしまっていた。
翼ちゃんのことは、本当に特別だから。
だからこそ、余計に我慢できなかったんだ。