二十六話 電波は走ると止まらない
あれから、数日が過ぎた。
ボクはずっと理央ちゃんの家の、あの部屋にいた。
そこで、理央ちゃんとご飯を食べ、お風呂に入り、歯を磨き、一緒に寝る。時間がある時は、お話したりゲームをしたり、後は無言の時間を過ごしてみたり。
案外、嫌じゃない日々。
身の回りのこと、全部理央ちゃんがやってくれる日常。
楽と言えば楽で、理央ちゃんがいる間は時間の流れが早い。
ただ、一人っきりになると思うんだ。
これ、まずいよねって。
理央ちゃんに全部管理されちゃうのは、百歩譲って良い。告白してないけど、その、新婚さんみたいだし……。
けど、当の理央ちゃんが、あんまり楽しそうじゃない。
むしろ、何かに怯えてるみたい。
曖昧な微笑み、一生懸命すぎる奉仕、それから……。
「……翼ちゃん、好きだよ、大好き」
本来なら、嬉しくなるはずの言葉。
今まで、たくさんの気持ちを込めて口で転がしてくれた、甘いキャンディみたいな言葉。
……けど、今の理央ちゃんに言われても、心から嬉しいって思えない。好きって言葉を告げる時、どうしてか必死にすぎるから。
何というか、へつらうために口にしてるみたい。
いつもみたいな、甘酸っぱさが微塵もない。
今の理央ちゃん、明らかに無理、していた。
ボク相手に、まるで怯えてるみたいに。
それに何より──。
「りお、夕暮れ、はね──」
「……うん、そうだね」
「りお、夜が冷たいの、理由、ある」
「……そうなんだ」
全然、ミステリアスができていない。
理央ちゃん、ボクがお話しようとすると、上の空になっちゃうから。
ね、理央ちゃん。
ボクさ、ずっと理央ちゃんが側にいてくれてるのに、何だか寂しい。
どうして理央ちゃん、そんなに怖がってるの?
……ボクのこと、怖い?
「りお、きかせて」
だったら、分からないと。
理央ちゃんの怯えの原因、分かってあげたい。
それに……大切な理央ちゃんに、怖がられたくなんてないよ!
「つ、翼ちゃん、急にどうしたの?」
「知りたい、りお、のこと。寂しい……こわく、ないから」
言葉を何とか手繰って、言いたいこと、思っていることを伝える。ボクの口も、理央ちゃんが好きだからか、逆らって来なかった。
「寂し、がらせちゃってたんだ、翼ちゃんのこと……」
このままじゃ嫌で、どうにかしたい。
必死にそれを訴えたからか、理央ちゃんはどこか諦めたみたいな表情を浮かべて。
「…………うん、分かったよ。代わりに、だけどさ。翼ちゃんが思っていること……教えてもらっても、良いかな?」
「ん」
多分、理央ちゃんもこの空気感が、何処となく居心地悪く感じてたんだと思う。それくらい、自然に頷いてくれていたから。
「それで、なんだけど」
先に、理央ちゃんが口火を切った。
そっと耳を傾けて、ボクに何か至らぬ点があったのかなって、ドキドキしながら耳を傾けた。
「──翼ちゃんは、私の何が好き、なの?」
ただ、出てきた質問は、全然予想外のものだった。
縮こまって、伺いを立てながらの問い掛け。
不安さが隠せていなくて、俯きがちで。
震えている声が、それこそが理央ちゃんの悩みの源だと訴えていた。
……え、ボクの好きって気持ち、疑われてるの?
…………なんで?
二人の気持ち、ちょっとずつ確かめていこうって、あの日の屋上で伝えられた。
友達以上で恋人未満の関係がくすぐったいけど、心地よい。そんな関係性を、ちょっとずつ前に進めていこう。
そう、約束できたって思っていた。
なのに理央ちゃんは、そう思ってくれてなかったってこと?
……それは流石に、いくらボクでも傷つくよ。
「やっぱり、何にも、ない、かな……」
けど、どうしてか分からないけど、理央ちゃんは傷付いていた。気が付いたら、心に棘がチクチクとたくさん刺さってしまってたみたいに。
小雨に打たれながら、自分には何にもない、暗い心だけしか持ってないって言ってた時みたいに。
……言いたいことは、たくさんある。
けど、まずは傷だらけの理央ちゃんを、守ってあげたくて。
「運命、あった」
「うん、めい?」
初めて会話した、あの夕暮れ時。
話しかけてくれて、本当に嬉しかった。
そう伝えようとしたら、言葉が運命の一語に圧縮された。
流石に言葉足らずだから、もう少し口を動かす。
「空を、独り占め、してたから。りおが来てくれて、はんぶんこ、できた」
口下手なボクと一緒に居て、話をしてくれるだけで本当に嬉しかった。一人で眺めていた空が、二人だとプリズム越しみたいにキラキラして見えたから。
あの時の感動が、きっと理央ちゃんを初めて意識した瞬間。
自分なりに考えて、纏めて、出した答え。
振り返ってみて、納得した。
──なんだ、ボクって最初から理央ちゃんのこと、好きだったんだって。
一目惚れじゃないのに、何かが始まる予感がした。
あの時のトキメキが、きっとそうだったんだ。
自覚した途端、心が高鳴った。
好きって気持ちが、より明確になったから。
世界と心が、華やいだ気がした。
ずっと幸せ、続いてたんだって理解して。
「二人で夕陽、見上げた。世界が眠る瞬間、何度も見た」
足りない語彙を掻き集めて、今まで感じた素敵を伝えていく。
二人で共有した、いっぱいの思い出のことを!
「きしねが、りおに、なった。お出掛け、一緒、した。二人で約束、した」
理央ちゃんだけだった、ボクにこうして接してくれたのは。楽しくてワクワクで、精一杯を届けてくれた人だったから。
「──だから、好き。りおのこと、大好き」
今度こそ、気持ちよ届いてください!
そんなお願いを込めた独白──ううん、もう告白か。
ボク、勢いで理央ちゃんに告白、しちゃってるや。
でも、微塵も後悔なんてしていない。
理央ちゃんの悲しいを、絶対に吹き飛ばしたかったから。
段階、踏めなくてごめんなさい。
でも、ボクの気持ちを分かってくれたら、とっても嬉しいです。
そんな、今のボクにできる精一杯に対して、理央ちゃんは……。
「──それ、私じゃなくても、大丈夫、だよね?」
泣き出しそうな顔で、ボクの方を見つめていた。
…………は?
「なに、いってる?」
流石に意味が分からない。
それは無いよ、理央ちゃん……。
ボク、真心込めてたよ?
君が好きです、君が良いんですって伝えたよ?
なのに、なんで……。
「…………偶々、屋上に来たのが私だっただけだよね?」
穿った見方、しないで。
誰も来てくれない屋上に、来てくれたのが理央ちゃんだったんだよ……。
「中身じゃなくて出来事を話してくれたって、そういうことだもんね」
「ちが、う」
一緒に共有できたことが嬉しかったから、そう言ったんだよ。一緒にして嬉しく無い人だったら、そんなこと言わない。
理央ちゃんだから、良かったんだよっ。
「違うくない、よね?」
「ちがう!」
初めて、大きな声が出た。
多分、今までで一番大きな声。
だって、本当に違うから。
ボクの気持ち、否定しないで!
「──じゃあ、私の中身で好きなところ、言ってみて」
泣きそうな顔が、いつの間にか強情な、キュッと口元を結んだ表情に変わっていた。頑なで、自分がダメだってことに、自信を持っている顔。
理央ちゃん、真剣なんだ。
真剣に、そんなふざけた思い込み、してるんだ。
……ごめん、初めて理央ちゃんの言ってること、否定するね。
ミステリアスに理解があって、気配り上手で、理解しようとしてくれて、話してると楽しくて、一生懸命で、双葉さんにパンチができて、それでいて──。
「かわ、いい」
だから、そんなことないんだよ!
そう伝えようとしてたのに、口からこぼれ出たのは"可愛い"の一語だけだった。
…………内容、全部伝わってないかな。
理央ちゃん、理解力高いし、ワンチャンない?
理央ちゃんか浮かべていたのは、無だった。
流石に、ちょっと無理が過ぎたみたいだ。
「……ごめん、信じられない」
口調は重く、失望を隠しきれていない。
酷く落胆していて、諦めの笑みが纏わり付いていた。
「──良い子と一緒、だ」
それどころか、開けちゃいかない記憶まで、開封しちゃってたみたいで……。
「──やっぱり、私には何にもない。素敵で可愛い翼ちゃんとだなんて、全然釣り合いなんて取れてなかった」
酷いくらいに納得した風を装って、自分に言い聞かせていた。……ボクの言い分は、全部無視して。
「だからね、ごめんね?」
こっちの感情に気がつく事なく、理央ちゃんは自己完結して部屋を後にした。しっかり、カチャンと鍵をかけて。
一人その場に残されたボクは、閉じられた扉を見つめた……ううん、睨みつけた。
うんと、穴が開いちゃえと思うくらい。
胸がモヤモヤして、それでいてドロドロと何かが煮えたぎっている。
久しぶり過ぎて、忘れてた感情。
それを思い出した、思い出してしまった。
ボクは今──すっごくムカついてるっ。
何でボクの話、聞いてくれないの?
何でボクの気持ち、信じてくれないの?
何で自分のこと、そんなに悪く言うの?
何にもないって、本気で信じ込んじゃっているの?
色々な何でやどうしてが渦巻く。
胸の中でドロドロと、頭の中でぐちゃぐちゃと。
それでいて、一番ムカついたのが……。
「釣り合い、意味、不明」
全部を諦めた表情で、釣り合ってないなんて言ったこと。
ボクの告白を無視した挙句、勝手に自己完結して振るどころか無視したところ。
全部が全部、一人で決めないで案件すぎた。
理央ちゃんのバカ、大バカ!
両想いなんだよ、アホウドリのボクでも分かることなんだよ!
自分に自信がないのは、しょうがない。
ボクだって、自分が無敵で最強です、なんて思ってないし。
けどね、努力はできるんだよ?
好きな人のために、その人のために頑張ろうって一生懸命になれるんだ。
理央ちゃんも、こんな部屋を頑張って作ってくれて、努力が方向音痴だけど、ボクのために一生懸命になってくれてたんだよね?
なのに口から出てくる言葉といえば、何もないだの釣り合ってないだの、そんな御託ばっかり!
微塵もボクのこと、信じてくれてない。
ボクが他の女の子に、好き好き言いまくる浮気性だって思われてる。
……いや、違うか。
ボクが浮気性って思ってるなら、もっと詰って然るべきだもん。
じゃあ、何?
考えてみて、直ぐに浮かんだのは彼女の暗い顔。
妙に自責の念に囚われてるみたいで、苦しげな。
ボクじゃなくて、自分のこと悪いって思ってるなら……。
そっか、分かった。
理央ちゃん──後ろめたく思ってるんだ。
自信が無さすぎて、信じられてない。
何で自分に、こんな幸運がって。
何故か銀行口座に、理由なく一億円振り込まれてた時みたいに。
少しの納得を得て、ちょっと溜飲が下がる。
ムカついてるのはそのままだけど、規模感がプチムカついてます、くらいに収まる。
頭が冷えた、落ち着きが戻ってくる。
だからか、次に頭に浮かんだのは……。
──なら、ボクの隣にいて良い理由が出来れば、納得してくれるの?
そんな、単純がすぎる帰結。
1+1=2みたいな、ごくごく当たり前の気付き。
けど、シンプルだからこそ、ごちゃついている頭にはちょうど良くて。分かりやすいからこそ、行動として選択しやすい解でもあった。
頭が回る、地球くらいぐるぐる回る。
理央ちゃんとボクのこと、沢山考えて。
そうして、決めた。
──脱走、しちゃおうって。
買い物から戻った時、違和感は感じなかった。
ただ、気まずいなって、漠然と思っていた程度。
嫌われちゃったかな、嫌だな。
でも、それが私だもん。
そんな、埒が開かないことを延々と考えながら、翼ちゃんの部屋の扉まで来た時のこと。
……何か、違和感を感じた。
翼ちゃんの気配が、薄くなってるような、そんな気配。
あり得ない、まさかね。
そんな気持ちで、恐る恐ると扉を開けた。
すると、そこには……。
「い、ない?」
忽然と──翼ちゃんの姿が消えていた。
板で塞いでいた窓が開かれていた。
窓から、カーテンやシーツを結んで作られたローブが、垂れ下がったままになっている。
窓の周りには、破壊された板の破片と、"親友たる翼へ送る太宰全集 注釈付きフルカスタム仕様 あっ、角は冷凍バナナみたいに硬いよ(笑)"なんてクソみたいなタイトルの本が一冊、その場に落ちていて。
……状況証拠的に、板をこの物理的に硬い本で破壊して、カーテンとシーツで作ったロープを垂らして脱出したとしか、考えられなかった。
後悔が押し寄せる。
自身の管理の甘さと、意味の分からない本に対して。
……双葉の手作り本、持ち歩いてたんだ。
ちゃんと確認して、焼却しておけばよかったと。
本当に、必死に何度も板を叩いて、ヘトヘトになりながら壊したんだって伝わってくる。バカ丸出しなくらい分厚い本の角が、ボコボコにへこんでいたから。
そんな惨状の部屋の中央、そこに一枚の書き置きがあった。小さめの文字で、余白まみれのその紙に書いてあったこと。それは……。
『あなたと出会えた場所で、待ってる』
たった一行の、なのに理解できてしまう文章。
「翼ちゃんっ」
居てもたってもいられず、悲鳴同然の声をあげて走り出していた。
だって、玄関には翼ちゃんの靴が、置いたままになっていたから。足を傷だらけにしながら、学校に向かってるんだって分かっちゃったから。
ゆっくりと、陽が傾きつつある。
街が、坂が、空が──全てが。
茜色に染まっていく、そんな時間帯のことだった。




