二十五話 電波は何処に?
何度か扉をガチャガチャしたけど、全く開く気配がない。窓はあるけど、カーテンを開けるとそこは板で塞がれちゃってた。
よしんば開けたとしても、ここはマンションの三階。お外に出た瞬間、ボクは真っ逆さまに地球へダイブするしかない。
どう足掻いても、自力でこの部屋から出るのは不可能そうだった。
本当に何なんだろう、この状況は。
理央ちゃん、何で急にこんなことを……。
『翼ちゃんはさ、その頭の出来からして、本当は人間じゃないよね? うん、分かってたんだ。実は翼ちゃんが──アホウドリの一族だってこと』
『放っておけないから、部屋飼いにするね? 大切な友達で、絶滅危惧種だもん。ちゃんと管理するから安心して!』
つまりは、こういうことなの?
ボク、理央ちゃんから、日本近海でバサバサしてる鳥類だって思われてた?
そんな現実、許されて良いの?
ねえ、理央ちゃん気付いて。
実はね、ボクは翼がないし言葉を喋れるんだ。
人語を解する鳥じゃない、鳥頭なだけな人間なんだよ!
結局、扉が開いたのは、一時間後のことだった。
「窮屈、してない?」
開いた扉から、お盆を待った理央ちゃんが現れた。
色とりどりのサラダと、ハンバーグを乗せて。
……えっ、ご飯?
「あっ、これ? ……ごめんね、翼ちゃん。もっとオシャレな食べ物がいいかなって思ったけど、一番美味しく作れるのがこれだったの。あっ、でも、ちゃんとソースまで手作りだし、全力で作ったんだよ!」
理央ちゃんは、いつも通りに……ううん、いつもよりも明るいくらいな顔をしていた。
何にも無かったみたいな顔して、部屋にあったテーブルにサラダとハンバーグを配膳する。
それが普通すぎて、ちょっと戸惑う。
もしかして、全部ボクの勘違いだったんじゃないかって、そう思えて。
「りお」
「どうしたの、翼ちゃん?」
目の前には笑顔の理央ちゃん。
訳がわからないまま、ボクは……。
「おしえて、りお」
配膳された食事の前に座って、理由を尋ねた。
お腹自体は空いてたからね、うん。
「……食べよっか」
「ん」
モクモク上がる湯気と匂いに逆らうことなく、ボク達は頂きますと唱えて箸を取った。
箸でハンバーグを割ると、肉汁が滲む。
パクっと口に運んだら、お肉の旨みが口全体に広がって弾けた。
えっ、すごい美味しい!?
「……おいしい」
「そっか、よかった」
朗らかな微笑が浮かんで、安堵の気配が漂った。
小さくガッツポーズを取ってる辺り、本当に喜んでる。
「上手、料理」
「一番美味しく出来るのが、ハンバーグなんだ」
サラダと一緒に、モグモグする。
口が小さいから、一気には食べれないけど、確実にお箸は進んで。
「…………なに?」
ある程度、無言でモグモグし続けてから気が付いた。
理央ちゃんが、ジッとボクの方を見ている。
食べる所作を、観察するみたいに。
「翼ちゃんを見てるの」
自分のご飯に殆ど手を付けないまま、頬杖をついてボクのことをずっと見ている。
気が付いてしまうと、なんか落ち着かない。
モジモジする感触、箸が止まる。
「翼ちゃん?」
「……どう、して?」
箸が止まって、正気に戻った。
食欲に負けて忘れてたことを、思い出す。
わーい、女の子の手作り料理だ! じゃないんよ。
何で閉じ込められてるのか、それを聞かないと!
「鍵の、こと」
「……あぁ、うん」
理央ちゃんは笑っていた、曖昧な笑み。
ボクが美味しいと言った時みたいな、キラキラの笑顔じゃない。
「……帰りたい?」
「……別に」
微妙な間、気まずい空気が漂う。
奇妙な緊張感が、じんわりと広がる。
そんな中、理央ちゃんは表情を微塵も崩さなくて。
「──なら、いいんじゃないかな?」
え?
「ずっと一緒って、そう言ってくれたもんね!」
???
笑顔のまま、理央ちゃんはそう言い切った。
他に答えなんてないよねって具合に。
「一緒……」
「そう、一緒!」
澱みそうな雰囲気を、取り繕ったみたいな明るい声が掻き消す。分かってくれるよねって、一緒だもんねって問い掛けるみたいな声が。
その必死な姿から、ボクにも理央ちゃんの気持ちが伝わってくる。
……まさか、そういうことなの?
──同棲、しようってこと?
まだ付き合ってすらないのに!?
「聞いて、ない」
告白、してないしされてないから、まだ早いって思うよ!
……その、さ。
何となく、気持ちは分かってるんだけど。
「いま、言ったよ」
でもね、やっぱり順序ってあるよね。
……前の屋上で理央ちゃんを泣かせちゃった時、きちんと順序を守っていこうって決めたから。
「だから、良いよね?」
もう決まったことみたいに言う彼女に、軽く首を振る。正しいとか間違ってるって話じゃない、一人で決めないでって抗議を込めて。
「りお……メッ」
待ってと、言葉尻の部分の叱りつけた。
ボクの言い分も、ちゃんとあるんだよって。
「翼、ちゃん?」
「ボク、は」
今世では女の子同士だとか、理央ちゃんは本当に良いのだろうかとか、もう関係ない。
だって、素直になるって決めたから。
気持ちを隠して、理央ちゃんを不安になんかさせないって。
ちゃんとするよ──告白。
だから、ボクの心の準備ができるまで待っててほしい。ボクにとっても初めてで、本当に一生物の出来事になるからさ。
焦らずに、二人で一緒に、ね?
急ぐことない、ボクたちの歩幅で進もう?
まだ早いよ、理央ちゃん。
急ぐとコケちゃう、それを伝えるために。
あと、半分くらい、こっちが覚悟を決めるまでの時間稼ぎも込めて……。
「──籠の、鳥?」
アホウドリ扱い、しないで。
ボクは絶滅危惧種じゃないし、理央ちゃんに負担掛かるのはイヤだよ。
そんな意思を、もう半分に込めて伝えた。
まるでボクが、一人じゃ生きていけない生き物みたいに扱われてる気がしたから。
「…………違う、違うよ、翼ちゃん」
よそ行き用の笑顔が、ようやく崩れた。
表情が転がり落ちて、理央ちゃんの顔が真っさらになる。
透明とは違う、白色の表情。
唇が、僅かに戦慄いていた。
「……あれ、違わない? 私、翼ちゃんが天使になってほしくなくて、羽を手折ろうとしてたの?」
そうして、小さな声で独り言。
何かが、理央ちゃんの中で、グルグルと循環している。
白い顔のまま、目まぐるしく。
「……りお?」
理央ちゃんの心が迷子になり掛けている気がして、呼び止めようと声を掛けた。
ただ、その呼び掛けが届いているかどうか……。
顔を俯かせて、視線が合わなくなって、小さく何かを呟き続けていた。
「翼ちゃんは天使じゃない、まだ。なら、空なんて飛べない、飛べちゃいけない」
「でも、心配が止まらない。もしもは、翼ちゃんの気持ちなんてお構いなしでやってくる。もし、神様に見つかったら(事故なんかにあったら)。それを思うと、不安で不安で仕方なくなる」
「……あれ、私、翼ちゃんが心配なの? それとも、自分の心配をなくしたいだけ? …………わかんない、よ」
グルグルと、思索の海に溺れているようで。
白い顔と、震え始めている手を見てると、ひどく落ち着かなくて。
「りお、ボク、いるよ……」
背中に回り込んで、そっと理央ちゃんを抱きしめた。
安心して、一人で悩まないで。
一緒って言葉、大事にしてくれてるよねって。
ほんのり、シャンプーの匂いがする。
今のボクと、一緒の匂いが。
ね、ボクからも、おんなじ匂い、するよね?
……それで安心、できないかな。
いなくならない証明の代わり、ならない?
「そっか、そうだよね。──勘違い、しちゃってた」
首元に回した手に、そっと触れられる。
クーラーが効きすぎて冷たくなっていた手が、ほんのり温かくなった。
気持ち、伝わった?
どうかな、理央ちゃん。
「ごめん、ね」
けど、ダメそうだった。
呟いた理央ちゃんは、唐突に立ち上がった。
抱きついてたボクは、振り落とされて尻餅をついて。
「私には何にもないから──だから、翼ちゃんだけは他の人に取られたくないの」
それだけ言い残して、部屋を去ってしまった。
ガチャンと、鍵が閉められる音と一緒に。
呆然と、それを見送るしかできなかった。
部屋に残されたのは、ボクと、手が付けられていない理央ちゃんのご飯だけ。
……ハンバーグ、冷めちゃってた。
ふと、思い至った。
私は翼ちゃんが好き、だけど。
それは間違いなくて、本当に愛おしいって思ってる。
……けど、利己的な感情が混ざる。
翼ちゃんのことですら、純粋に思い遣れてない。
そんなことに、思い至ってしまった。
神様から、翼ちゃんを隠す部屋。
悪いもの全部から守ってあげる、翼ちゃんを天使にさせないための。
でも、さっき感じてしまった。
抱きしめられた時に、羽に包まれるような感触を。
天使様の見えない羽、それが私を慰めてくれていた。
そこで気がついた、今更ながらに。
──翼ちゃんは天使になろうとしてるんじゃない、既に天使だったんだって。
私のために堕天してくれて、こうして隣にいてくれている。
それを思うと胸が震えて、ココアで心が満たされていく感触がする。
純真な真心に、溺れそうになっちゃう。
けど、翻って私は?
私は、翼ちゃんに何を返せたの?
何も持っていない自分、何の取り柄もない人間。
空っぽな何かが、自分を憐れみながら生きている。
それが私で、自分のことだけで精一杯。
人のことなんか、思いやる余裕がない。
じゃあ、いま私がしてることって……。
自覚、してしまう。
本当に醜い自分が、これでもかってくらいにくっきりと現れる。
──やっぱり、全部自分のためでしか、ないんだ。
自覚して、息が漏れた。
失望はない、予感はしていたから。
けど、余計に怖くなった。
今の自分と翼ちゃんに、とても釣り合いが取れてると思えなかった。もっと翼ちゃんが好きになれちゃう人が現れたら、そっちに全部持って行かれてしまうんじゃないかって。
ずっと隣にいてくれる自信なんて持ちようがないほど、自分は薄汚れてたから。
「翼ちゃんは、どうして私が好きなの?」
悪いこと全てから守る、なんて理由の一部でしかない。
本当は──私だけを翼ちゃんに見て欲しかった。
何の価値も見出せない私だけど、翼ちゃんは好きって言ってくれてるから。
私、翼ちゃんに必要とされて、求められたかったんだ。
その権利を、誰にだって譲りたくない。
翼ちゃんだけが、私の中に何かを見出してくれたから。翼ちゃんだけしか、それを見つけてくれなかったから。
だから私は、閉じ込めた。
宝物をしまうように、永遠に色褪せないように。
……私、好かれる自信なんてない。
翼ちゃんのずっとで、永遠でいられないよ……。




