二十三話 電波、聞こえた?
雨の降る中を、二人で歩く。
傘も差さず、二人で小雨に身を晒しながら。
理央ちゃんも傘、持ってきてなかったんだね。
……でも、夏だから。
この雨も、結構気持ちいいかも。
「りお」
「……どうしたの、翼ちゃん」
でも、もしかすると、この雨のせいかもしれない。
──ずっと、理央ちゃんの表情が優れないのは。
体調、雨に打たれてる間に崩れちゃったのかも。
「これ」
だから、そっと頭にタオルを被せた。
少しでも、濡れちゃうのを防ぎたくて。
理央ちゃんは、キョトンとした表情をしてから、そっとタオルに触れた。
「……お父さんの、お風呂上がりみたい」
そうして、やっと少し笑みを浮かべてくれた。
ホッとする、ずっと暗い顔だったから。
嬉しい、理央ちゃんを笑わせられて。
心に溜まっていた心配が、ちょっとだけ緩和した。
「お父さんじゃなくて、りお」
「……うん、翼ちゃんって感じ」
二人で歩く、雨の中を。
雨粒に身を晒して、しとどと全てを濡らしながら。
──繋いだ手は、しっかりと握って。
「入って、翼ちゃん」
「ん」
案内されたのは、とあるマンションの一室。
学生一人で使うには広めな、2LDKの部屋。
雨で濡れた靴下を脱いで上がらせてもらうと、入ってすぐの所にある洗面所へと手を引かれて。
「お湯、沸かすね?」
「ありが、と」
「すぐ沸くから、ちょっと待ってね」
給湯器を操作してから、理央ちゃんは近くにあったタオルでボクの頭をわしゃわしゃってしてくれていた。
なんか犬気分、生類憐れみの令時代の。
理央ちゃんに甘えられてるみたいで、なんだか恥ずかしい。けど、心地いい。
……アルビノゴールデンレトリバーの翼だよ!
うーん、微妙か。
ゴールデンレトリバーを名乗るには、ボクの表情筋はあまりに素直じゃない。
愛玩用のペットとしては、ダメダメすぎた。
「……りおのも、する」
「えっと、背の問題もあるし、気持ちだけ貰うね。ありがとう、翼ちゃん」
代わりに、人間に立ち返ってお返しタオル拭きをしようとしたけど、やんわりと断られてしまった、無念。
そうして、一通りタオルで水気を拭いた後、給湯器からお風呂が沸いたことを知らせる音声がして。
お風呂、まずは体調が悪そうな理央ちゃんに入ってもらわなきゃねって、そう思ってたんだけど……。
「じゃあ、入ろっか」
唐突に、何の予兆もなく、理央ちゃんが──その場で服を脱ぎ出した。
……えっ?
「翼ちゃんも、脱がないとお風呂、入らないよ」
そのまま、流れるようにボクの服まで脱がし始める。
制服のシャツとスカートが、瞬く間に床へとずり落ちて。
???
「りお、なに、してるの?」
「お風呂に入るんだよ」
「ちがう……。お風呂、一緒?」
「うん、待ってる間に風邪、ひいちゃうから」
いつもと違う、有無を言わせない強引さがあった。
気が付けば、ボクはブラとパンツを剥がれて、生まれたままの姿に。そして、理央ちゃんも……そうなってて。
「……翼ちゃん、恥ずかしがってる?」
「…………ちょっと」
体を隠して目を逸らしたからか、気持ちを看破された。余計に羞恥が蓄積して、顔が赤くなってないか心配になる。
いや、だってさ……。
ダメだよね、ジロジロ見ちゃうの。
学校の着替えの時とかは、人数いっぱいで意識も散るけどさ。一対一だと、話は別だよ……。
「女の子同士だから、恥ずかしくないよ」
「パンツ、なくて、はずか、しい」
手拭いで前を隠して、フリーズしてしまう。
散々、体育の着替えで一緒してるのに、二人きりだと凄く後ろめたくて。
「ね、翼ちゃん」
そんなボクに理央ちゃんは、折角逸らしてた視線を合わせて。逸らさないよう、しっかり両手で頭を固定する。
理央ちゃんの上の方、見えちゃってる。
形の良いお胸、全部見えちゃってるよ……。
「──意識、してくれてるの?」
逃げ場のない意識の中で、理央ちゃんの声が脳内に染み込んでくる。
意識、してる。
その言葉が脳内を乱反射して、咄嗟に、ボクは……。
「…………りお、えっち」
違うもんと言い訳しようとしたのに、口が勝手に理央ちゃんをえっち呼ばわりしてしまっていた……。
待って、違うよ!
そんなこと思ってないし、えっちなのはボクだから!
いきなり変なこと言ってごめんね、そう伝えたい。けど、こんな時に限って、お口の機嫌が悪すぎた。
ツンツンとしたまま、言葉が途絶えた。
数秒の沈黙が、辺りを支配する。
き、気まずい……。
どうしよ、どうすれば良いんだろう。
そんなことを、必死に考えてる最中でのこと。
理央ちゃんが、そっと口を耳元に近づけて来た。
耳元に、ぬるい吐息が掛かって。
理央ちゃんのツンとしてる一部が、ボクの体に当たった。
「──そうだよ」
とっても甘い、チョコみたいな声が耳から流れ込んでくる。
「──今の私は、少しえっちだよ」
イタズラっぽく囁いた後、ペロって耳たぶ、軽く舐められた。
……体、ゾクゾクしちゃう。
落ち着かなくて、変な気持ちになっちゃう。
「だからね、翼ちゃん」
ぺちゃんこじゃないお胸って、こんなに柔らかいんだって分かっちゃって。理央ちゃんは良い匂いがするって、理解しちゃって……。
「──翼ちゃんも、そうなってくれると、嬉しいな」
手を引かれて、ボクはお風呂場に連れ込まれてしまっていた。
……抵抗、出来ない。
変な期待が、胸をドキドキ震わせる。
今日の理央ちゃん、分かんない。
本気なのか、冗談なのか。
何を考えてて、何をしたいのか。
体調は大丈夫なのか。
……何でさっき、自分はえっちなんて言ったのか。
何一つ分からなくて、頭がグチャグチャになっちゃいそうだよ……。
翼ちゃんはいつも透明。
白くて、透き通っていて、キラキラしてる。
一人だけ、世界から浮いてる存在。
なのに、世界から認知できないくらい、教室では存在感がなくて。
それが、翼ちゃんを翼ちゃん足らしめていた。
一人っきりで完成してる、孤独が平気な人。
この世に存在している、神秘を身に纏った女の子。
──けど、それはもう、過去の話。
「髪、流すね」
「ん」
一緒にお風呂に入って、その体に触れた。
まず、プラチナを纏っているように見える白髪。
翼ちゃんの透明な象徴で、風ではためいてると羽に見える。
シャンプーとリンスで、丁寧に洗う。
この髪には翼ちゃんが詰まっていて、本当に大切にしたいから。
そして、髪の次。
翼ちゃんの、体……。
「翼ちゃん、背中、ごめんね」
「……いい、りおなら」
背中に手を添えて、それをなぞった。
理央なら良い、その言葉だけで存在が認められてる気になる。
翼ちゃんしかいないって、そう思わさせられる。
一緒にいて息苦しくなくて、楽で、心地いい。
私と関わったせいで、特別でなくなりつつある女の子。
「痣になってる……」
真っ白な体、その唯一の瑕疵。
背中の爪痕、それが痛ましくて──愛おしい。
「……りお?」
「痛いの痛いの、飛んでけ、だね」
傷痕、翼ちゃんが人間の証。
完全無欠じゃないと天使になれないなら、きっと今の翼ちゃんは完璧じゃない。
「……痛くない、平気」
「それでも、だよ」
私が傷、つけちゃったから。
翼ちゃん、傷物にしちゃったから。
だから、私に責任を取らせて。
私に翼ちゃんの全部、任せて欲しいの。
「私にお世話、させてね」
ずっとお世話するから、遠くまで行かないで。
近くにいないと、お世話できないからさ。
……あとね、翼ちゃん。
私の方を見て。
目、逸らさないで。
「ね、翼ちゃん」
体の泡を流し終えると、真っ白な肌が露わになる。
その小さな背中に、ピトッとする。
翼ちゃんに、もたれ掛かった。
「り、お?」
そのまま、えいっと抱き締めると、翼ちゃんは腕の中で身じろぎする。モジモジと、ソワソワと。
「言ったよね、今の私は少しエッチだって」
「しらない」
翼ちゃんの首筋が、ほんのりと赤い。
多分、シャワーを浴びたから。
……でも、別の理由もあるのかも。
「さっき言ったよね、お風呂に入る前に」
「しら、ない」
「その後に言った言葉、覚えてくれてる?」
「……しら、ない」
翼ちゃんは、明らかに嘘をついていた。
必死にシラを切ろうと、もがいている。
今の翼ちゃんは、いつもよりも分かりやすい。
……だから、ちょっと魔が差した。
猫が甘えるみたいに、翼ちゃんの背中に私の体をスリスリとしてしまったのだ。
すると、翼ちゃんは体を小さく震わせて。
「りお、めっ!」
翼ちゃん的には精一杯な、必死の注意。
恥ずかしいよって思ってるのが、仕草から伝わってくる。
……可愛い、翼ちゃん。
「めっ、じゃないよ。だって、女の子同士だもん」
「……めっ」
それでもと、翼ちゃんはイヤイヤして。
けど、それも心なしか、さっきより勢いがない。
私の無茶苦茶な理屈で、困ってるんだと思う。
けど、本気で嫌がってはいない。
モジモジとしてるだけで、鳥肌は立ってないから。
そのお陰で、何となく感じ取れた。
──翼ちゃんって、女の子相手でも意識しちゃうんだって。
「あかいね、翼ちゃん」
「……ちがう」
さっきより、首筋が赤い。
女の子同士なのに、必死になってこっちの裸を見ないようにしてる。
それでいで、抱きしめながらスリスリすると、何かに耐えるみたいに手を握りしめてる。
まるで、必死に我慢してるみたいに。
「違くないよ、真っ赤」
白色の肌が、赤くなった部分を余計に目立たせている。私なんかの裸で、本気で照れてくれてる。
胸が、ドクドクと高鳴った。
翼ちゃんにも、背中越しに届いちゃうかもしれないくらい。
……女の子でも照れちゃうんだと思うと、凄い大胆なことしちゃってるって、自覚して。
「──翼ちゃん、えっちなんだ」
余裕を装い、耳元でイジワルに囁く。
すると、ふるふる頭を振る。
必死に否定するみたいに、一生懸命。
「えっち、ちがうっ」
それが、あんまりに可愛くて。
私はドキドキしながら、そっと翼ちゃんの胸に手を重ねた。
ビクンと背筋を震わせて、さっきよりも強くモジモジする翼ちゃん。いきなりこんなことされて、ビックリしてるんだと思う。
けど、ごめん。
もう少しだけ、感じさせて。
翼ちゃんの心音を。
いっぱいドキドキしてくれてる、心の音を。
ね、翼ちゃん。
一緒の気持ち、だね。
──一緒にドキドキ、止まらなくなってるね。




