二十一話 脳破壊的電波メンタルヘルス
「じゃあ、そういう手筈」
「……ん」
あれからボク達は、図書室でのこしょこしょ話を終えて、理央ちゃんを正気に戻す算段を立てて。
本当にこんなことして良いのかって気持ちがあったけど、操ちゃんがさっき……。
『────、全部の意味で。それを認めたら、後がなくなるから。だから、認められない』
とっても大切なこと、教えてくれたから。
一刻も早くという気持ちで、屋上へと向かった。
──操ちゃんと、手を繋いで。
屋上、夕暮れ。
帰っちゃってるかもって一抹の不安を持っていたけど、まだ理央ちゃんは居てくれていた。
けど、それに安堵できたかって問われたら、また別問題。
緊張で、背中がゾワゾワする。
正直にいうと、今だけは帰っててくれないかなって気持ちもあった。
……理央ちゃんにイジワル、することになるから。
「翼ちゃん! ……に、双葉……さん。…………何、してるの」
「手、繋いでる」
一瞬、笑顔を見せてくれた理央ちゃんの顔は、直ぐに夕暮れの影で滲むように暗くなった。
二人で手を繋いでるの、見つけて。
……操ちゃんが、見せつけるようにして。
「……翼ちゃん、こっち来て」
「残念、手、繋いでる。翼、動けない」
周りが、変な緊張感でいっぱいになる。
お腹、キュッてなるタイプの。
……操ちゃんが予想した通りに。
理央ちゃんの顔から、表情が消える。
操ちゃんがボクの手、今までで一番強く手を握って。
「羨ましい?」
「邪魔しないで、双葉さん」
理央ちゃんから、何かが滲んできた。
あんまり、愉快じゃない気持ちが伝わってくる。
操ちゃんを、それてボクを見る目が……鋭くて、怖い目、してるから。
「うちわ振って、応援したら? 翼ちゃん、こっち、向いてって」
「……バカにしてるの?」
「──してないと、思う?」
一歩、後ろに下がって隠れたくなる。
いつも優しくしてくれる二人が、今だけはすごく怖くて。
でも、下がれない。
理央ちゃんがこのままなんて、嫌だからっ。
ジッと、理央ちゃんを見つめる。
ボクの気持ち、気付いてって。
変な理央ちゃん、やめよう? って。
「っ、っ、私を……怒らせたいの?」
「もう怒ってる」
「──っ、あなたが、そうさせてるんでしょ!!」
こっちに踏み込んでこようとする理央ちゃんに、また操ちゃんは繋いだ手を掲げて。
「岸根、動くな。……翼は友達だけど、人質。岸根が何かしたら最後──翼にキス、する」
「なぁ!?」
……え、そこまでは聞いてないんだけど?
「ふ、ふざけないで!」
「ふざけているのは、岸根のその格好。バカみたい」
「こ、これはっ、翼ちゃんへの愛でっ、推し、だから!」
「じゃあ、私と翼、仲良くしてるところ、うちわ振って、眺めてたら? 女の子とイチャついてる翼ちゃん、かわいー、推せるーって」
夕焼け以上に、今の理央ちゃんの顔は赤かった。
プルプルと体を震わせて、目尻には薄らと光るものがあって。
──持っていたうちわを二つとも、へし折っていた。
「そんなに刺されたいの、双葉操っ!!」
「──私を刺す口実、欲しい?」
「もう十分あるわよっ!」
「なら、もっと刺したい気分、させてあげる──翼」
えっ、このタイミングで?
マジで? と操ちゃんを見つめたけど、その表情はピクリとも動かない。代わりに、早くと促すようにジィッと見つめ返された。
元々、タイミングが来たら理央ちゃんにこう言ってと、操ちゃんに指示されていた。それがどういう意味合いを持つのか、何となくは理解してて。
だからこそ、今ここで? と思ってしまった。
言ったら最後、理央ちゃんの箍が外れちゃいそうな気がして。
「翼」
でも、操ちゃんはまた促すように、ボクの名前を繰り返した。
……最初に操ちゃんを頼ったのはボクだ。
今更、操ちゃんの後ろに隠れてるだけ、なんて出来ない。したくない。
でも、ちょっと勇気が足りなかったから。
操ちゃんの手を、今度はボクが握って。
同じくらいの力で、握り返してくれたことで、やっと踏ん切りがついた。
「──みさお、友達。りお、ケンカ、しない、で」
「…………え?」
操ちゃんに指示されていたこと、それは理央ちゃんの前で、彼女の名前を呼ぶことだった。
単純だけど、単純じゃない。
理央ちゃんはボクが一番って言ってくれていたから。
じゃあ、ボクの一番は、本当に理央ちゃんなの?
そう思わせることが、操ちゃんの作戦だった。
自分以外にもう一人、下の名前を読んだら……ボクにとって、その人も特別に見えるからって趣旨なんだって説明された。
もし、それでも推せる、なんていうなら諦めて。
確かに、その気持ちは推しに対するものだからって操ちゃんは言って。
けど、それで怒ってるのなら。ボクの特別は、理央ちゃん一人じゃないと嫌だっていうのなら、それは……。
『それは、推しなんてものじゃ、ない。太宰は書きました──愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない、って』
『じゃあ、岸根の気持ちは? 翼の全部が欲しいって思ってる、浅ましい独占欲の正体は、何?』
……その人が、特別だって気持ち。
他の誰よりも、その人に魅入られてしまう気持ち。
好きって、気持ち。
「なん、で、翼、ちゃん」
理央ちゃんの頬を伝って、雫が一滴、二滴と落ちていく。夕暮れが綺麗なのに、まるで雨の日の証みたい。
ボクに本気だから、流してくれる涙。
分からないけど泣いちゃってるみたいな、そんな無垢な顔。
……気が付けば、ボクは操ちゃんの手を離していた。
「やき、もち」
「…………え?」
操ちゃん、ここまでありがとう。
でも、ごめんね。
理央ちゃん、傷付いてるから。
……傷つけ、ちゃったから。
「──焼いて、くれた?」
計画してなかったことして、ごめんなさい。
でも、もう十分。
理央ちゃん、分かってくれたと思うから。
「りおが好き、ボクの、特別。……だから、変なの、もういい」
推しとかなんとか言って、遠くにしないで。
好きが怖いって気持ち、一緒だから。
「だいすき」
だから、一緒に言い訳を探そう?
寂しくない、二人で自然体でいられる言い訳を。
それでゆっくり、お互いの好きを確かめ合って、答え合わせ、しよ?
ボク達のこの気持ちが、一体なんなのかって。
「ずっと、一緒、だから」
焦らないで、不安があったら寄り添うから。
けど、一人で逃げないで。
逃げる時は、ちゃんと誘って。
「イジワル、ごめん、ね……」
一緒に悩もう、理央ちゃん。
それから、本当にごめんなさい。
もうしないから、許してください。
理央ちゃんの目の前で、彼女の波打っている瞳を見つめた。
望めば触れられる、前のデートの時みたいな距離。
──そこから、理央ちゃんは一歩踏み出して。
ギュって、強い力で抱きしめられちゃっていた。
許してあげるけど、もう離さないって。
だから、ボクも一生懸命抱きしめ返した。
胸の奥にある泉から、気持ちが溢れ出さないように。
二人で、一緒に栓をするみたいに。
もうちょっと、ボク達には時間が必要だから。
……ボクも理央ちゃんも、すごい心臓、ドキドキしてる。
心の泉、甘酸っぱいね?
「岸根、感想、ある?」
「…………悪趣味、すぎるよ」
理央ちゃんは片手でボクを抱きしめたまま、ゆっくりと翼ちゃん命ハチマキを解いて──投げ捨てた。
風に乗ったハチマキは、ふわりふわりとどこかへ流れていく。……誰にも拾われませんように。
「目、覚めた?」
「最低、本当に。あなたも、私も……」
「翼も?」
「知らない」
ソッポを向いた理央ちゃんは、珍しいことにムクれてて、ツンとしてるのがボクまで伝わってくる。主に、ギュってされてる力加減で。
でも、ボクの知ってる理央ちゃんだ。
安心できちゃう、ずっと可愛い人。
それはそれとして、恥ずかしすぎるから力を緩めて欲しい。
「りお、はなして」
いや、離してまでは思ってないけどね。
それはそれとして、力込められすぎるとポキってなりそうだから、加減して。
「……うん、話すね」
言葉とは裏腹に、理央ちゃんは更にギュッと力を込めた。お腹が、ギュッと(物理的に)なる。
もしかして、ボク許されてなかったりする?
トドメ、いま刺されそうになってる?
……どうしよう、トドメ刺されても文句言えないイジワル、しちゃってたや。
「でも、その前に双葉は出て行って」
「呼び捨て、なってる」
「人格が最悪だから」
「岸根とおんなじくらい」
「……うるさい」
「お幸せに」
「……余計な、お世話」
そして、ここまで味方してくれてた操ちゃんも、ボクが勝手なことしちゃったからか、そそくさと屋上から退去して行っちゃった。
共犯者さん、覚えててね……。
「私、ずっと不安だったの。翼ちゃんが遠い世界に行って、私の手の届かない人になることが」
けど、翼ちゃんの言葉が聞こえてきて、やっと勘違いに気がついた。
離してが、話してに聞こえてたってことに。
良かった、トドメを刺そうとしてる理央ちゃんはいなかったんだね。
それなら、多少苦しくても我慢できそう。心の余裕的に!
「翼ちゃんは透き通り過ぎてて、気づいた時には、大気に溶けちゃってそうだから……」
でも、その余裕もすぐに消える。
ボクが無口過ぎて、理央ちゃんに心配かけちゃってたって話してくれたから。
……ごめんね。
「だから、この前の神社に行った時……浮かれちゃった。私なんかと楽しく遊んでくれて、一緒にお願いしてくれて──私の幸せ、お祈りしてくれたから」
「ん」
けど、前のデートのことを口にし始めて、理央ちゃんの口ぶりが変わった。すごく大切なことを語るみたいに、口調が柔らかくなってる。
言葉の節々から、嬉しいが滲んでる。
「翼ちゃんがどこにも行かないんだって思ったら、嬉しくなっちゃって。嬉しくて、幸せで──だから、悩ましかった」
「なや、ましい?」
「うん、ずっと隣にいてくれるなら──それって友達以上の関係性なんじゃないかって」
友達以上の関係、その言葉にドキッてした。
意識しちゃっていたの、見抜かれた気がして。
「だからね、ずっと悩んで、いっぱい考えて、そういう関係性はダメだって何度も言い聞かせて、辿り着いたの。──推しって概念に」
「推し……」
あっ、そういうロジックだったんだ。
急に電波受信してて怖かったけど、理由が分かったら安心できちゃった。
……多分、ボクと一緒の気持ち、だから。
「翼ちゃんなら、無条件で好きでいられるって自信、あったんだ。私が一番、翼ちゃんを好きって自信も」
「ボクも、りお、一番」
「ふふ、嬉しい。ありがと、翼ちゃん。……でも、甘かった。私、翼ちゃんが双葉と仲良くしてるのを見て、頭がぐしゃぐしゃになっちゃった」
スッキリした顔で話してくれてるけど、胸がちくってする。……イジワルして、本当にごめんなさい。
「ごめん、ね」
「……ずっと一緒って言ってくれたから、特別に許してあげます」
「言って、なかったら?」
「──翼ちゃんが、ずっと離れられないようにしたかも」
そっか、と納得した。
一緒に、胸がこしょこしょする。
理央ちゃんはボクのこと、そんな例えしてくれるくらいに想われてるんだって考えると、くすぐったくて。
「安心、して。一緒、だから。……胸のこしょこしょ、一緒に、考える」
「──うん、胸の気持ち、一緒に考えて。それで、一緒に悩んでください、翼ちゃん」
「ん、一緒、する」
ボク達はそのまま、ギューっと気持ちを伝え合う。
言葉を手繰れないから、抱きしめあって。
……胸、いっぱいだ。
ボクの胸の中、理央ちゃんでいっぱいだよ。
翼ちゃんとずっと一緒って約束した日から、2週間が経った。
未だに、あの日のことを思い出すと、いても経ってもいられなくなって、バタバターってしちゃう。
翼ちゃんが、毎日素敵で可愛すぎるから。
翼ちゃんのこと、好きだって毎日自覚、しちゃうから。
お陰で、考査の勉強が殆どできなくて、赤点スレスレでの補習放免。
……これも全部、翼ちゃんのせいだね。
そんな幸せな毎日を過ごしてた最中、大切な思い出の場所になった屋上に、今日も二人して集まった夏休み前の日のこと。
「りお、見れそう」
今日も難しいけど、心踊る翼ちゃん哲学のお話を聞けるって思ってた。けど、今日はなんだか様子が違った。
翼ちゃんが、ほんのりと淡い──微笑、浮かべてたから。
ビックリして、そわそわして……胸から、嬉しさが抑えられなかった。
私、翼ちゃんの笑顔、見れたんだよ! って。
世界に自慢したくなるくらい、それが誇らしくて。
「何が見れそうなのかな、翼ちゃん」
もう直ぐ夏休みなのも相まって、浮かれる気持ちが抑えきれなくなって。私も嬉しいを抑えないで、楽しい気分で尋ねた。
翼ちゃんが微笑んでる理由は、なんでしょうかって。
「──天使の階段、見れそう」
その言葉を聞いた瞬間、世界が停止した。
……そんな、気がした。
──翼ちゃん、なんで?