二話 電波と会話が通じてないのは、結構良くあること
遂に、来てしまったかもしれない。
──ボクに、お友達ができる時が!
一人ぼっちだった屋上に、今日初めてお客さんが来てくれたんだよ!
それも、何と顔見知り!
クラスメイトの岸根さん。無愛想なボクにも唯一、毎日おはようって言ってくれる優しい人。ストレートの黒髪が似合ってる、ちょっと気弱そうな女の子だ。
どどど、どうしよ?
あっ、まずは挨拶しないとだよね!
「きしね、りお?」
夕日に見惚れちゃってるからか、朝の時よりぽややとしている彼女に声を掛けた。
岸根さん、良い夕日だと思わない? って。
すると、やっぱり口が勝手に反逆してきて、思ったことがそのまま口に出せなかった。
……ボクのおバカ。仲良くなりたいのに、何で初手フルネーム呼び捨てをしちゃってるかなぁ。あと、せっかく考えてた、良い夕日って言葉も口に出せてないし。
むぅ、第一印象は大事っていうのに!
ほら、岸根さんだって急に偉そうにしたから、目を見開いちゃってるっ。
……か、帰っちゃったりするかな?
ボク、優しい岸根さんとなら、仲良くできるって思ってるんですけど!
待って、て口に出せないから、ハラハラしながら岸根さんを見つめるしかなくて。
すると、岸根さんは。
「──あなたは幽霊? それとも、天使様なの?」
──胸と背筋に電流が流れちゃうくらいの、素敵なお返しをしてくれたのです。
エッ、待って!
いま、過去最高にドキドキしてる!
岸根さん、すごいよ!
ボク、たった一言で射抜かれちゃったもん!
そんな格好いいセリフ、簡単に言えちゃうものなんだね。ボクも気の利いたお返事、したいよ!
「しろがね、クラスメイト」
でも、とても残念なボクの口から出たのは、極々普通の自己紹介。全然ミステリアスじゃないし、舌ったらずさが余計に残念さを醸し出しちゃってる。
むぅ、むぅっ!
ボクのお口、ポンコツ侍すぎるよ!!
ほら、岸根さんも呆れちゃって、目をゴシゴシしてるし!
……あれ、耳じゃなくて、目?
も、もしかして、本当に幽霊さんだって思われてる? 毎朝、幽霊さん今日も登校してるとか、そんなこと思われちゃってたかな?
ま、まさかね!
「…………あっ」
ん?
「ああっ!?」
何かに気がついたみたいな、そんな岸根さんの驚いたって感じの声。まるで、クラスメイトだった事実にいま気がついたみたいに。
ほ、本当に今まで幽霊って思われちゃってたの?
……岸根さん、そんなの嘘だよね?
「ね、ねぇ」
「幽霊、違う。足、ある」
足あるよーってアピールすると、岸根さんはボクの顔と足を交互に見遣る。
その挙動で、確信しちゃった。
完全に、今まで勝手に登校してた幽霊生徒だって思われてたってことを。
……ん? あれ、逆に美味しい立ち位置じゃないかな、これ?
謎めいた、幽霊に見えるくらい無口で孤高な少女。夕暮れ時の屋上で、意味深に佇んでいる。
……なんかいける気がしてきた!
「し、白銀さんは、どうして?」
おあつらえ向きに、そんなことを聞かれたから。
ボクは、赤と黒がコントラストを描いている空を見上げて。
「──空、歩けそうって、思ったから」
思いっきり、ドヤ顔(心持ちは)で決め台詞を言い放った。
よしっ、今度はちゃんと言えたよ!
岸根さん、どんな反応してくれてるかなって気になって。見上げた空から視線を下ろすと、岸根さんは夕焼け越しに赤らんだ髪と頬をしていて。
「きしね、あなたも?」
そんな岸根さんが、何だか今は仲間に見えて。
ドキドキしながら、尋ねてしまっていた。
──屋上でミステリアス、やりに来たんですかって。
岸根さんは、ゆっくり頷いてくれて。
新たな同志、ミステリアス岸根の誕生に、ボクは深くガッツポーズ(体動かないし、心の中で)を決めた。
うおおおおーーーーっ!
遂にボク、友達できちゃうぞおおお!!
赤と黒の境界線上に、白銀さんは立っていた。
ただ、そこにいるだけなのに、空間の全てを支配している。そんな印象さえ、持ってしまう。
──この子なら、空を飛べるのかも。
そんなことさえ思ってしまうほど、超然とした空気が彼女にはあった。
だから、私は乾く口で恐る恐る。
非日常的な、そんな空気感に飲まれながら。
「そう、だよ。私、空を飛びに来たんだ」
心臓の音が聞こえるくらいドキドキ鳴らしながら、白銀さんに告げてしまった。私が、ここに何をしに来たかについて。
言った瞬間、肌が騒めいた。
罪の告白をしてしまったような感覚に、急に襲われる。
身を縮こませながら、彼女の顔を覗いた。
同じこと、考えて屋上にいるんだよねって。
けど、やっぱり白銀さんは、表情を変えてなくて。
「白銀さんも、そうなんだよね?」
不安になって、尋ねてしまう。
仲間なんだよねって、確かめるみたいに。
──けど、白銀さんは、ゆっくり首を振って。
「飛ばない、歩くの。空を」
そんな、違いの分からない訂正をしていた。
……どういうこと、なんだろう。
空なんて、踏み出しちゃえば落ちるだけなのに。
「歩けないよ、空なんて」
些細な訂正だけど、どうしてか私を否定された気持ちになって、つっけんどんな物言いをしてしまった。
「……」
白銀さんは、私の否定に返事をするでもなく。
ジィっと、ただ空を見上げた。
赤色が呑まれて、もう殆ど黒に染まりつつある空を。
……無視、しないで。
何か、言って欲しい。
じゃないと、何か、困る。
今、白銀さんから、目が離せないから。
「……どうやって歩くの、空を」
結局、私の方が耐えられなくなって、話しかけてしまっていた。
……一緒の気持ちを抱いてる人に、どうでもいいって、思われたくなくて。
「──階段」
「え?」
「階段、待ってる」
だから返事が返ってきてほっとして、よく分からなくて困惑する。
階段って何?
空を歩くって話、何だよね?
「ごめん、分からないかな」
今度は素直に聞くことができた。
白銀さんと世界を共有できたらって、そう思えて。
白銀さんは見上げていた空から、私へと視線を下ろした。
そうして、ジィっと私を見つめたのだ。
……な、何かな?
「きしねも、登る?」
「な、何を?」
「──天使の、階段」
白銀さんの言葉が、何でか耳にスッと入ってきた。意味はよく分からないのに、ニュアンスが何となくで伝わってくる。
空から階段が降ってくる。
天使様が、用意してくれる階段がある。
少なくとも、白銀さんはそれを信じているんだって。
「天国へいける階段なんて、あるんだ?」
「時々」
「ふ、ふふっ、変なの」
時々。そのあんまりに適当な言い方に、少し笑えた。白銀さんの中での天使様は、結構適当な生き物なんだって分かって。
「……へん?」
すごく無表情なのに、白銀さんからキョトンとしてる雰囲気が伝わってくる。
それと一緒に、さっきまで漂っていた空気感が、ふわりと溶けた。浮世離れして感じた白銀さんが、今は普通の女の子に戻っている。
……でも、教室にいる時の、空気みたいな白銀さんとも少し違って。
「少し」
「そっか」
ハッキリと、その存在を近くに感じる。
暗がりの中で、どうしてか、その白い髪が輝いて見える。
「きしねが言うなら、そうかも」
多分、それは白銀さんが私を認識してくれたから。
無視しないで、私を見てくれたから。
「きしね」
呼び掛けも、何だか距離が近く感じて。
「どうしたの?」
「──天使の階段、見よう。一緒に」
甘い、熟しすぎた果実みたいな、そんなお誘い。
それに、私は素直に頷いた。
きっと今日は、その日じゃなかったんだって思えたから。
空を歩こうなんて誘い文句──単なる飛び降りより、ずっと素敵に感じざるを得なかったから。
「うん、そうしようかな」
私の答えに、白銀さんはやっぱり無表情で。
けど、トコトコと私の前まで来て、一言。
「……うれしい」
抑揚なく、けど小さな女の子みたいな雰囲気で、そう伝えてくれた。その様子が、どうしようもなくいじらしくて、久しぶりに心が華やいだ。
私は今日、この瞬間、初めて本当の白銀さんと出会ったのかもしれなかった。
そんな、久しぶりの嬉しいことで、胸がいっぱいになって。
──だから、信じられた。
──きっと死ぬには、もっと良い日があるんだって。